調査報告
ホールに響く軽やかなバイオリンの音色。
シュゼのために飲み物を取りに行った俺は、給仕スタッフに「グラスを一つくれ」と声をかけた。
彼は恭しく礼をして、しばらくお待ちくださいと言ってここを離れる。
グラスの一つくらい自分で出せればいいのに。そんなことが頭をよぎった。
魔法使いにもできないことは多い。
たとえここに材料があったとしても、シュゼに使ってもらえるような美しいグラスは生み出せないだろう。
給仕スタッフが戻ってくるのを待っていると、見知った顔が近づいてきた。
秘書官のリンクスだ。
舞踏会で浮かないように黒の盛装まで着ているのに、その顔つきはどう見ても仕事の話を持ってきたという雰囲気だった。
俺は、視線だけで彼に廊下へ出るように促す。
二人して足早に歩き、人波を抜けて大きな扉に近づいていくと、ドアマンの男が無言でそれを開けてくれた。
廊下に出てしばらく行けば、俺が立ち止まったタイミングを見計らってリンクスが口を開く。
「お一人ですか?」
「シュゼを待たせている」
「それは雑談している時間はなさそうですね」
やれやれと苦笑いのリンクスは、上着の内ポケットから連絡用の便せんを一枚取り出した。
俺はそれを受け取ると、すぐに目を通す。
『レイナルド・オーシャン公爵 肝炎』
『ミリア・マークス辺境伯夫人 蕁麻疹』
『ソル・シングオン侯爵令息 原因不明の体調不良』
そこには、名だたる高位貴族の名前と患っている症状が書かれていた。
リンクスが持ってきたものは、俺が頼んだ調査結果だとすぐにわかる。
文字を目で追う俺に対し、彼は声を潜めて言った。
「ここ半年以内にルウェスト薬師長と面談した貴族のリストです。病状についてはあくまで推定ですが、半分くらいの者はガードが固くて使用人や親族からも情報が集まりませんでした」
「だろうな」
高位貴族の健康状況は、最重要といっていいくらい秘匿される情報だ。
金と権力を使ってどうでもいいような相談をする者もいるが、ルウェスト薬師長を頼るとなればすでに状態が悪化していることも多い。
「このミリア・マークス辺境伯夫人なんて、表向きは蕁麻疹での相談ですが、実際には何らかの毒を盛られたことで症状が出たのだと思われます。ここは今、愛人と夫人がとっても揉めていますんで」
「物騒な話だな。当主の女好きは俺の耳に入っている」
話しながら、俺は目を動かし続けた。
途中、一人だけ不自然な名前を見つけてかすかに眉根を寄せる。
「気づかれました?おかしいですよね」
「何者だ?このマリナ・ハークス子爵令嬢とは」
ルウェスト薬師長は、宮廷薬師のトップだ。しかも、この国の叡智と名高い。
たかが子爵令嬢が、いくら金を積んだところで調合を依頼できることはないはずだった。
「おそらく代理かと。マリナ・ハークス子爵令嬢は、第三王女殿下付きのメイドです」
俺は、今日挨拶したばかりの王族の面々を思い浮かべる。
儚げで穏やかそうに微笑むステシア第三王女は、王族の中でも穏やかな気性で人当たりがいいと評判だ。
「用件は不明か……」
「はい。子爵令嬢が情報を秘匿できるわけがありませんので、調べて何も出なかったのはただのお使いの可能性もあります。または、薬師長に会っていたのは王女殿下自身だったのか、という想像もできますね」
証拠がないので、あくまで可能性の話しかできないのがもどかしい。
ただ、もしも王女がルウェスト薬師長に記憶を操作する薬を依頼したのだとしたら、一体誰に使うつもりだったのか?
「自分のことを忘れさせたかった?もしくは自分自身が何か忘れたいことがあった?」
誰かに自分のことを忘れさせるためだったとして、自分は隣国に嫁ぐ身だから問題ない。またその逆も。
だが、シュゼに飲ませる必要性がわからない。薬の効果を確認したかった?それならば、彼女に飲ませるよりもきちんとした検証を行った方がいいはずだ。
「ちなみに、グラン様はステシア王女殿下と接点は?」
「ない」
お互いに存在を認識してはいるが、挨拶以上の言葉を交わしたことは一度もない。
リンクスは首を傾げて唸る。
「う~ん、じゃあ依頼した人間と薬を盛った人間が別ってことですかね」
「そうかもしれないな」
王女が調合室に出入りするのはほぼ不可能だ。
王族の居住区は城の奥にある本棟で、王族がそこから自由に出ることは叶わないし、調合室のある薬師塔への出入りを近衛が把握していないわけはない。
「このマリナ・ハークス子爵令嬢を調べてくれ。マルリカにも、第三王女に病歴がないか念のため確認を」
「かしこまりました」
念のため、とは言ったものの、おそらくマルリカの方からは何も出ないだろう。
何か病気でもあれば、政略結婚の話はなくなっているはずなのだから。
俺はすぐさま右手の人差し指に炎を灯し、リストを燃やす。
灰色の煙がのぼり、瞬く間にそれは消滅した。
「さて、舞踏会でちょっと情報取集でもしてきますかね。クソみたいな貴族に囲まれるのがオチかとは思いますが」
リンクスがそう言って軽く笑う。
俺は「早くシュゼの元へ戻らねば」と思った。
「シュゼが飲み物を待っているんだ」
「それは早く行かないといけませんね」
愛らしいシュゼに何かあっては困る。彼女は基本的に人を疑わないし、愛想がいいから心配だった。
「シュゼの近くに男が近づいているような気がする……!」
「え?勘ですか?普通に引きます」
顔を引き攣らせるリンクスを置いて、俺は急いでホールへと戻っていった。





