想像なんてするもんじゃない
その日の深夜、グランジェーク様は玄関前に転移して戻ってきた。
階段を上る足音に気づいた私は、寝間着の上からカーディガンを羽織り、急いで寝室を出て彼の元へ向かう。
「グランジェーク様!」
「シュゼ?」
紫色のローブのボタンを右手で外しながら歩いていた彼は、私の姿を見て驚いていた。
いつもならもう眠っている時間だから、私がまだ起きていると思っていなかったみたい。
私は二階の廊下で彼に駆け寄ると、笑顔で言った。
「おかえりなさいませ。よかった、今日は会えて」
「っ!」
過労でやつれていたらどうしようかと思った。
見た感じでは少々の疲労感はあるものの、目の下にクマがあるわけでもないし相変わらず神々しいくらいの美貌だ。
「もうお食事は向こうで……、グランジェーク様?」
きちんと食べたのかと尋ねようとすると、彼がなぜか右手で顔を覆ってふるふると震えていることに気づく。
どこか体調が悪いんだろうか?立ち眩み?
何だか呼吸も速いし、もしかして食事を抜いて働いていて低血糖になった?
不安に思った私は、さらに一歩近づいてその顔を覗き込んだ。
「グランジェーク様?」
ところがその瞬間、彼は階段の手すりを掴んで思い切り頭を打ち付ける。
──ガンッ!!
「グランジェーク様!?」
なんで!?
突然の奇行に私は目を見開いて驚く。
顔を上げたグランジェーク様は、額が赤くなっていた。
「だ、大丈夫だ……!俺は俺の欲望からも君を守ると決めている」
「どういうことですか!?」
あわあわと狼狽える私に対し、グランジェーク様は優しい笑みを向けた。
「ただいま、シュゼ。今日も可愛いな」
「そんなこと言ってる場合ですか!?額から血が出ていますよ!」
私は彼の腕を取り、強引に寝室へと連れて行く。
そして椅子に座ってもらうと、チェストの引き出しから薬箱を取り出し、色とりどりのケースや小瓶の中から回復魔法がかかった軟膏を取り出した。
「これ、すぐ治るかな……」
指で軟膏を掬い、彼の額にそっと薬を塗っていく。
緑色の軟膏がするすると彼の皮膚になじみ、赤く滲んでいた血も擦れた傷口も少しずつ薄くなっていくのが見えた。
「よかった、もう治りそうです」
魔法師団長様が額を腫らしているところは、ほかの人には見せられない。
ホッと安堵した私は、軟膏を薬箱の中へと戻した。
そのとき、背後からふっと笑いを漏らす声が聞こえてくる。
「グランジェーク様?」
振り返ると、彼が目を細めて笑っているのが見える。
「いや、その、シュゼに手当てしてもらえるなら怪我するのも悪くないなと思ったんだ」
そんなバカな。
「できれば怪我はしないで欲しいし、自分で手すりに頭突きするのはもうやめて欲しいです」
私が呆れてそう言うと、彼はまた笑いを漏らして「うん」と頷いた。
本当にわかっているのかどうかは怪しいけれど、グランジェーク様が私を見る目がとても優しくて、じっと見つめられていると落ち着かない。
私がふっと視線を下げると、グランジェーク様はからかうように言った。
「シュゼ、こっちを見て?」
声が甘い。
心拍数が上昇して危険なので、普通にしゃべってもらいたい。
私が恨みがましい目で見ると、彼は困り顔で笑って話題を変えた。
「そういえば調合室ではどう?仕事は問題ない?」
仕事の話を振られ、私は思わず背筋を伸ばして答える。
「問題ないです。いつも通りです」
「そうか。それはよかった」
本当に、何もかもがいつも通りだった。
アウレアが張り合ってきて、私はそれを受け流し、休憩時間には先輩たちやフィオリーと何気ない話をして……。
もっと疑心暗鬼になるかと思っていた。
でも、あまりに日常が日常過ぎて。
誰かが私に魔法薬を盛ったなんて、全部何かの勘違いなんじゃないかって思うくらい。
「本当に、調合室の誰かが犯人なんでしょうか」
思わずそんな言葉が漏れる。
本当のことを知りたい。
でも知るのが怖い気がする。
知れば絶対にショックを受けるから。
「こんなに弱気じゃダメですよね」
無理やり笑顔を作ろうとすると、グランジェーク様はそっと私の手に自分のそれを重ね、真剣なまなざしで言った。
「俺は絶対にシュゼを裏切らない。どんなことがあっても」
「グランジェーク様……」
彼が本気でそう言っているのが伝わってくる。
その気持ちが嬉しくて、自然に笑みが戻った。
グランジェーク様がいてくれてよかった。
心からそう思えた。
私は大きく息をつき、そして彼に尋ねる。
「お食事はもう済ませました?」
彼は、私の問いかけで初めて食事のことを思い出したかのように「あ」と声を上げた。
これはどう考えても食べていない反応だわ。
「厨房から何か持ってきますね?」
私がそう言うと、グランジェーク様は「ありがとう」と言って笑う。
こんなやりとりをすると、何だか本当に家族みたいだ。
ちょっとだけ嬉しい気分になる。
私は廊下に出て、控えていたロボットメイドと一緒に食事を取りに行く。
「遅い時間だからシチューがいいかな」
『かしこまりました』
作っておいたじゃがいものソテーを乗せたサラダもある。グランジェーク様に好き嫌いはないけれど、その分これが好きという物もないようで、栄養のあるものを口に入れてもらわなくてはと思った。
厨房で料理やドリンクを用意し、ロボットメイドと共にそれを二階へと運ぶ。
「グランジェーク様、お食事ですよ」
ご機嫌な私は、ノックとほぼ同時に寝室へを入る。
けれどそこには、椅子に座ったまま眠っている彼がいた。
よほどお疲れだったらしい。
私が入って来ても、瞼がぴくりと動くこともない。
『食べさせ ましょう か?』
「やめて、喉に詰まっちゃう!」
気遣いが過ぎるロボットメイドは、スプーンを持ってやる気満々だ。いくらなんでも、寝ている人の口に突っ込むのはサービスの範疇を超えていると思う。
「このまま寝させてあげましょう」
『かしこまりました』
ロボットメイドは、料理やドリンクを厨房へと下げに行った。
私はベッドから毛布を持ってきて、グランジェーク様を起こさないようそれをかける。
こんなところではなくベッドできちんと休息を取ってもらいたいところだが、私にグランジェーク様を運べる力はなく、毛布をかけることしかできないのが残念だ。
椅子のそばに屈んで、その寝顔をじっと眺める。
睫毛が長い。
夜なのに、さらさらの青銀髪は乱れることもなく、彫刻のように美しいこの人はすっかり眠り込んでいる。
もしも私が記憶喪失になっていなかったら、今頃はどんな新婚生活だったのかしら?
そもそもひと月ほど同棲していたわけで、その間は同じものを食べて同じ時間を過ごして、同じベッドで寝起きして……。
そこまで考えて、はたと気が付く。
私は、いや、私たちは、どこまで……?
記憶を失くしてからの二週間が鮮烈すぎて、今ようやくそこに思い至った。
私が医局で目を覚ましたとき、グランジェーク様は当然のように口移しで水を飲ませてきた。つまり、それまでにもキスはしていたということだろう。
「二年も付き合っていたんだものね」
しかも、結婚式は一年前から決まっていたとマルリカさんが言っていた。となると、婚約期間も一年はあったと思われる。
貴族同士の婚約では、私たちの場合は年齢的に遅い分類に入る。それを思えば、とっくの昔に深い関係になっていたとしてもおかしくはない……。
「ふええええええ!?」
私とグランジェーク様が!?
真実はわからないけれど、今の私からすればすべてが信じられない。
頭を抱えて床にうずくまると、つい想像してしまった。麗しい笑みを浮かべ、甘い声で私の名を呼ぶグランジェーク様を……。
『シュゼ』
「!?」
想像しかけて、あまりの衝撃の強さに考えるのをやめた。
付き合っていた記憶がまったくない私に、グランジェーク様との夜の暮らしは刺激が強すぎる。
それこそ脳がぐちゃぐちゃになりそうだわ。
一人で勝手に狼狽える私のそばで、グランジェーク様はぐっすり眠っていた。





