師への報告
『シュゼット、何だか大変なことになってるみたいだね~』
緊張感のない声が、会議室に響く。
その声が発せられた壁掛けの鏡には、遠い場所にいるルウェスト薬師長の姿が映っていた。
薬草や素材の採取に出かけてから音信不通だった薬師長と、ようやく今日こうして話をすることができて、私とマルリカさんはこれまでのことを報告した。
要約すると、「作っていた魔法薬の情報が洩れて何者かに私はそれを飲まされました」「グランジェーク様との2年分の思い出が消えました」ということである。
まとめてみると、意外に短い。
実際に体験している私にとっては一大事なのに、報告はとてもシンプルで簡単な内容でしかなかった。
報告を聞いたルウェスト薬師長は、ひとまず音信不通だったことを詫びる。
「ごめんね~、ちょっと遅くなってて」
「ちょっと!?」
心なしか何だか楽しそうにも感じられて、私は思わず眉根を寄せた。
「面白がってる場合じゃないですよ!早く帰ってきてください!」
お願いというか嘆きというか、今の私にできるのは師に助けを求めることだけだった。
私の隣に座るマルリカさんは、薬師長ののんびりとした様子に呆れてため息をつく。
ようやく捕まえたルウェスト薬師長から何としても記憶を戻す手立てを聞かなくては、と思う私と薬師長との温度差がすごい。
このままでは話が進まない、と思ったマルリカさんが少し苛立った声音で尋ねる。
「薬の成分について、今教えていただくことはできないのですか?」
そうすれば、グランジェーク様のことを思い出す薬も作れるかもしれない。
マルリカさんは最速での解決を目指していた。
ところが、ルウェスト薬師長は困り顔で答える。
「今は無理かな」
魔力を使っての通信では会話内容が傍受される可能性があるため、今この場では言えないということだろう。魔法薬の依頼は、依頼主と薬師との間で交わされる契約であり、通信での会話は禁止されている。
その上、さらに面倒な事情があるようで────
「それに、シュゼットが飲んだ魔法薬は特殊オーダーなんだよね」
「特殊オーダー、つまり依頼主は侯爵位以上ってことですか……」
マルリカさんが表情を曇らせる。
私は図書館で見た貴族名鑑を頭に思い浮かべ、「意外に多いな」と思った。
「グランジェーク様のカーライル侯爵家を含むと侯爵家は七つ、王家に連なる公爵家が三つ、全部で十ですか……」
そんな高貴な方々が、なぜ記憶を操作する魔法薬を依頼したんだろう?
たとえば、私みたいに家族の愛情を得られなかった人がその記憶を消したいと思うのはあり得る。虐待されていた、とか理由があるなら魔法薬で記憶を消したいと願うのも理解できるわ。
けれど、誰のことを忘れるかによっては日常生活に支障が出る。
日頃から接点がある人を忘れてしまったら、相手や周囲に不審がられるし、揉め事になるリスクも高い。
それに、いっときは忘れられても、日常的に会う人ならばその顔を見たら思い出してしまう可能性だってある。現に、私だってグランジェーク様と長く過ごしていたら、自然に思い出す可能性があるとマルリカさんは言っていた。
「忘れたいし忘れても支障がない相手」に対してならば、魔法薬で記憶を消しても問題ないのだけれど……。
「依頼主は、一体誰に対して使うつもりだったんでしょうか」
思わずそんなつぶやきが漏れる。
すべてを知っているルウェスト薬師長は、何も答えなかった。
そして、彼はしばらく何やら思案してから言った。
「そうだなぁ、う~ん。今言えるのは、私が帰るのはひと月くらい先になりそうだってことだね」
「ひと月後!?」
「うん」
あっけらかんとそう言う師を見て、私はあれこれ想像を巡らせた結果を口にする。
「材料、ですね?」
「そうそう!さすがシュゼットは私をよくわかっているね!えらいよ!」
ごきげんな師は、ぱちぱちと手を叩いて大げさに私を褒めてくれた。
マルリカさんは何が何だかわからない、という顔でこちらを見る。
「どういうこと?」
「ルウェスト薬師長は、私の記憶を元に戻すための薬を作ってくれるつもりです。でも材料がないので、今からそれを採りに行って、だいたいひと月くらいあれば手に入るだろうって見越しているようです」
「はぁ!?そういう意味でひと月後っておっしゃったんですか?」
マルリカさんが、顔を引き攣らせる。
ルウェスト薬師長は基本的に細かく説明しないから、こっちが彼の思考を読んで、言葉の意味をただしく想像するしかないのだ。
もう五年以上、彼の下についている私はそれなりに師の言葉が解読できるようになっている。ルウェスト薬師長の下で働けるかは、才能より体力より何より忍耐力がいると言われているのはこれが原因だった。
「昔はね、いっぱいあったんだけれど。変異種の一角獣のツノ」
「それが必要なんですか?」
真っ白な体に、額の中心に長い銀色のツノを持つ一角獣。清らかな水辺や森の中に住むよくいる魔獣だけれど、変異種でツノが二つある一角獣はめったにお目にかかれない。
三十年ほど前までは、そのツノの粉末が市場に出回っていたという。けれど、今はもう存在自体があまり知られておらず、これから手に入れるとなれば大変な労力がかかると予想される。
ルウェスト薬師長は、周囲にいた魔法使いにあれこれ指示を出し、今すぐどこかへ採取に行くと言った。ある程度、アテはあるんだろうなと感じたけれど、付き合わされる魔法使いたちには「がんばってください」としか言えない。
ルウェスト薬師長は、視線を斜めに外しながら呟く。
「ウィングナー殿が作っていた“星の雫”なら、何とかなったかもしれないけれどなぁ」
“星の雫”。それは、私の祖父が残した回復薬である。
宮廷薬師だった祖父は、心身の状態を健全な元の状態にリセットする回復薬を開発していた。魔力持ちにしか効かない薬だけれど、魔法使いたちの間ではかなり重宝されていたそうだ。その材料の一部に、変異種の一角獣のツノが使われている。
私も形見に一本小瓶を持っていたが、以前、遠征先で使ってしまって残量はない。
闇オークションでは取引されているそうだが、数年に一度くらいしか出品されない上に、古城が買える値がつくとか何とか誰かが言っていたような。
「ツノ、取りに行ってくださるのは嬉しいですが気を付けてくださいね?」
一角獣がいるような場所は、人が住んでおらず自然が手つかずだ。うっかり崖から滑落でもしたら即死である。
「うん、わかったよ。ごめんね、長い間不在にして」
まったくです。
通信もなかなか通じないし、ようやく今日になって連絡が取れたのだから、自由奔放な師には困ったものだと心底思った。
ルウェスト薬師長は、苦笑いの私を見てなぜかしみじみと感想を述べる。
「あー、でもそうか。シュゼットがグランジェークを忘れちゃったのか……。結婚するって聞いたときは、てっきり流されて押し切られたんだと思ったのに」
「どういうことですか?私がグランジェーク様を忘れたことと、それと何か関係が?」
真剣に問いかけるも、教えてくれる気はないらしく、師は会話を切り上げ笑顔で手を振った。
「じゃ、またね!また連絡するから!」
「え!あの、まだ話が……!」
背後で立っている魔法使いたちが、出かけるルウェスト薬師長を慌てて追いかける。
それを最後に通信は途絶え、会議室の鏡はただの鏡になった。





