理想の旦那様
「母さん」
騎士に連行されていく母親を見て、オクトくんは呆然と立ち尽くしていた。
弟のこと、母親のこと、突然にすべてが変わってしまった現状を受け止めきれないのかもしれない。
「この子は私が面倒を見ましょう」
リンクスさんがそう言い、にこりと優しい笑みを向ける。
魔法師団の見習いが住む寮があるので、そこでしばらく預かって様子を見るという。
「兄弟ならば、同じく魔法の素質があるかもしれません。弟よりは魔力が少なく、気づかれていないだけの可能性もありますから」
可能性は少ないですけれど、とリンクスさんは補足し、そしてオクトくんの手を取って城内へと向かった。
去り際に、オクトくんは振り返って私たちを見る。
「あの……、ありがとうございました」
私は、彼にかすかな笑みを向けて手を振る。
オクトくんはこれからどうなるんだろう?
身分的には男爵令息だから、魔力がなかったとしてもジャレンくんの兄ということで、魔法師団で文官や従者見習いの職にはつけるかもしれない。
数日したら、様子を見に行ってみよう。ジャレンくんには、私は「お兄ちゃんの友だち」って言ったしね。できれば、彼らの成長を見守りたい。
ただ、今はゆっくり心と体を休めてもらいたい。
「シュゼ、俺はジャレンの様子を見てから邸に戻る」
グランジェーク様の優しい声に、私は思わず問いかける。
「あの子はこれから大丈夫でしょうか?」
悪霊憑きだと別荘に監禁され、母に殺されかけた少年。
今思い出せば、あの部屋には精神安定剤の一種である苦い薬の入った瓶が転がっていた。あれは心身ともに疲弊した大人に処方される薬であって、子どもに、しかも魔力持ちだからと処方されるものではない。
あんなものを飲めば、昼間はぼぉっとしてしまって頭が働かず、夜になると不安が押し寄せるだろう。
あの枝のような手足を見る限り、体の方もボロボロだった。もうとっくに、極限を超えていたに違いない。
グランジェーク様は私の気持ちを察し、そっと肩に手を置いて慰めてくれた。
「子どもには可能性がある。だから、心配し過ぎない方がいい」
「そうですね……」
「それに、ジャレンの皮膚はまったく凍っていないし傷ついてもいなかった。まだ魔力器官が壊れていないことを証明している」
グランジェーク様によれば、魔力持ちの暴走はあれでもまだ軽い方らしい。己の魔力に己の体が傷つけられたら、それこそ魔力の源である魔力器官が壊れている状態で、命も魔法使いとしての才能も危ういと言う。
「マルリカの専門は魔力器官だから、ジャレンのあの様子ならそれほど大きな心配はない。今後適切な治療と教育を受ければ、氷魔法が得意な魔法使いになれるだろう。炎と同じくらいに、氷は重宝される」
その言葉に、私は少し安堵した。
どうか、これから先はジャレンくんやオクトくんにとって幸せな未来であってほしい。両親に恵まれなかったけれど、彼らはまだ間に合った。
今後のあの子たちに必要なのは、人の優しさやぬくもりだと思う。きっとそれが何よりの薬になる。
魔法師団の人たちなら、二人を仲間として迎えてくれるだろう。
いつか、心から安心して笑える日が来て欲しい。
「二人を、よろしくお願いします」
私はグランジェーク様に頭を下げる。
「わかった。今夜は遅くなる、シュゼは先に休んでくれ」
彼は私の頭をそっと撫でると、柔らかに微笑んだ。
その笑顔を見ていると、何も心配はいらないんだと信じられる。
ジャレンくんのことは部下に任せっきりにすることもできるし、むしろ団長としてはそれが当然のはずなのに、自分で様子を見に行くような温かい人。「人は裏切る」とか人間不信気味なことを言っていたのに、子どもを気にかける優しさも残っている。
以前の私は、グランジェーク様のそういうところも好きになったんじゃないかって思った。
「あの、言いそびれていたんですが、ありがとうございました。守ってくれて」
グランジェーク様が守ってくれなかったら、私もオクトくんも吹き飛ばされて大けがを負っていただろう。
「シュゼが無事でよかった」
彼はそう言うと、私をそっとその腕で包みこむ。
大事なものを抱え込むみたいにされて、心臓がどきりと大きく跳ねた。
「では、行ってくる」
彼はいつものように穏やかな笑顔で去っていった。その背中を見つめていると、離れることが妙に寂しく感じてしまう。
いけない。何となくこれはまずいと思う。
私ったら記憶喪失になったくせに、早くもグランジェーク様にどっぷり依存しているのでは?
頬に手の甲で触れると、少しだけ熱い。
どきどきと鳴る心音に対し、お願いだから静まってと心の中で思う。
「本当に理想の男性よね。グランジェーク様って」
「アウレア!?」
驚いて振り返ると、あきれ顔でこちらを見るアウレアがいた。フィオリーもその隣で、薬草の入った籠を抱きかかえながら立っている。
「まったく、休みの日に精神崩壊状態の子どもに遭遇するなんてどんな確率なのよ」
アウレアの言う通り、めったに出会わないだろうな。
私が困り顔で黙っていると、彼女はグランジェーク様の背中に目を向けながら言った。
「グランジェーク様みたいに完璧な人は、精神崩壊なんてしないんでしょうね」
「そりゃ、そうね。魔法師団長様だもの」
とはいえ、アウレアの言う「完璧な人」という部分には引っかかるものがあった。
グランジェーク様が精神崩壊状態になるのは想像できないけれど、私が記憶を失って以降、彼は挙動不審だったり情緒不安定だったり、今にも飛び降りそうな悲痛な顔をしたりと「完璧」というイメージからは離れている。
遠くからただ眺めていたときのグランジェーク様より、人間らしさというか彼の人となりが知れた気がして、それはちょっと嬉しいような気もした。
「でも、グランジェーク様だって、意外に普通の人っぽいところもあるわよ」
何気なくそう呟くと、アウレアがじとりとした目で私を見た。
「は?私は普段の彼を知っていますっていうアピール?」
「え?いや、そんなんじゃなくて」
「どうでもいいわよ、あなたたちのことなんて。私にだって素敵な婚約者がいるんだから!」
ふんっと顔を背けたアウレアは、もう話を終えたという風に歩き出す。
どうやら、これから調合室へと向かうらしい。
フィオリーはおろおろしていたけれど、籠を持ってアウレアについていく。
「シュゼットさん、えっと、また明日!」
「うん、また明日。今日はありがとう!」
一人きりになった私は、ぶかぶかのローブをまだ羽織っていたことに気づいてそれを脱ぐ。
丁寧にたたんだローブを改めて眺めると、ついていたブローチが一部欠けていることに気づいた。
「あれ……?」
これって、いつ欠けたんだろう?破損部分を見ると、傷ついてからしばらく経っているように見えた。
「直さなくていいのかな?」
気にはなったけれど、グランジェーク様の物を勝手に修繕に出すわけにはいかない。
これ以上破損が広がらないようにしなきゃ、と思った私は、ローブを落とさないように大切に腕に抱いて邸まで持って帰った。





