忘れていること
「あの~、そんなに作って大丈夫なんですか?」
お昼過ぎ、調合に集中していた私の背後から、事務官のフィオリーが心配そうに声をかけてきた。蜂蜜色の濃い茶髪がふわりとしている可愛らしい彼女は黙々と仕事をするタイプで、おとなしい二十歳の女の子だ。
自分から話しかけてくることはほとんどないので、そんな彼女に声をかけられるということは、よほど私の姿が必死だったのかも。
「休んで迷惑をかけたから、取り戻さないと」
今日中にやる仕事は、まだまだある。
五日も休んだせいで、作業の感覚も少し遅くなっているのでがんばらないと。
フィオリーは露骨に表情を曇らせ、じっと私を見つめる。
「シュゼットさんはがんばりすぎです。倒れてすぐなんですから、あまり無茶しないでくださいね?」
「いや、そんなに無茶はしてないと思うよ?大丈夫だから、ね?」
そういえば、過労で倒れたことになっているんだった。
フィオリーが心配するのも理解できる。
「本当に大丈夫ですか?」
「うん、心配してくれてありがとう」
私がそう言うと、彼女はまだ少し何か言いたげな目をしながらも私のそばを離れていった。
これは相当心配されている。確かに、そろそろ休憩を取った方がいいかも。
ちょうど精製水がなくなりかけた頃だったこともあり、私は作った分の魔法薬を鑑定ボックスに入れてから食堂へと向かった。
そういえば、今頃グランジェーク様はどうしているのかな。休暇を取っていた分、きっと彼も仕事が溜まっているに違いない。
左手首につけている腕輪を見ると、これをつけてくれたときの優しい笑顔を思い出した。
あれほど過保護な人が、私の出勤をよく許してくれたなぁ。
まぁ、昼間から誰かに襲われることも、また薬を飲まされることもないよね?
そんな風に安堵したそのときだった。
「おい」
「?」
突然、背後から声をかけられ、振り返ろうとする。けれど、私がその人の顔を見る前にいきなり肩を掴まれて、研究室の一室に引き込まれた。
ガチャッと鍵の閉まる音。
バランスを崩してたたらを踏むと、その人は切羽詰まった声で言った。
「あの薬、どうなった!?」
丈の長い白のローブは、両方の袖が少し薄緑色に染まっている。
「クラウディオ、いきなり何なの?」
迷惑そうにそう言った私に対し、彼は顔を顰めて訴えかけた。
「いや、だから!あの薬だって!」
「あの薬?」
一体何のことだろう?
本気でわからない、という私の反応を見て彼は悲壮な顔つきになる。
「嘘だろう!?覚えてないのかよ」
「ええ……?」
「あれだよ!俺が、その、頼んだ薬だよ」
私は首を捻り、真剣に考えた。
薄っすらと記憶の端に何か引っかかっている気がする。
すると、焦れた彼は懇願するように言った。
「苺、わざわざ一緒に取りに行っただろう!?もうできてる頃だと思ったのに……!忘れてたならそれでもいいから、今から作ってくれよ。もう時間が……」
「苺?ねぇ、それって」
もう少しで何か思い出せそう。
私はもっとその話を深く聞こうとする。
けれど、言葉の途中でまばゆい光が私の手首から放たれた。
「「っ!?」」
クラウディオも私も、眩しさに思わず顔を背ける。
一体何ごと!?
驚いて息を呑む私たちの前に、光の中から怒りの形相のグランジェーク様が現れた。
「シュゼから離れろ」
紫色のローブが舞っている。
光の中から突然姿を現したグランジェーク様は、冷酷な目でクラウディオを見下ろしている。
私は驚いてぎょっと目を瞠った。
「グランジェーク様!?どうしてここへ!?」
転移魔法が発動した?
腕輪のせいで!?
クラウディオは、今にも気絶しそうなくらい怯えて固まっている。
この二人に面識があったかは記憶にないけれど、今感じ取れる限りではそんなに接点はないのだろう。
グランジェーク様は、私を守るように立ちはだかり、クラウディオを睨みながら答えた。
「シュゼの近くに生命反応が1つだけになった。しかもここはシュゼがいつも行かない部屋だ。危険が迫っていると判断して飛んできた」
「何で私がいつも出入りしている部屋を把握してるんですか!?」
私って、記憶喪失になる前からずっと監視されていたの!?どういうこと!?
顔を引き攣らせる私に、グランジェーク様はさらりと告げる。
「腕輪から武器が出てくると教えただろう?」
「はぃ?」
「つまり、危険が迫ったらすぐに魔法師団長が出てくる」
「過剰防衛すぎません!?」
確かにどんな武器よりも強そうですけれど!
クラウディオは別に私に危害を加えるつもりはなかったわけで、危機察知能力が異常というかおかしいというか、とにかく今は必要ないです!
「あぁ、俺が間に合わない場合も対策はしてある。殺気を感知すると、即座に炎の精霊が相手を攻撃するようになっているから大丈夫だ」
「「全然大丈夫じゃない!」」
私とクラウディオの声が重なる。
彼は部屋の壁際まで下がっていて、両手を上げて敵意がないことをアピールしていた。
「すみません、すみません!ちょっと人に聞かれたくない話があっただけで、別にシュゼットをどうこうしようとしたわけではないんです……!」
グランジェーク様は冷めた目を彼に向けている。私は彼の腕をぎゅっと掴んで押さえ、攻撃しないように必死だった。





