復帰しました
宮廷薬師のローブを纏い、黒髪を高い位置で一つに結ぶ。
鏡の前には、見慣れた自分の姿が映っていた。
グランジェーク様のことを忘れてしまった以外、私はいつも通りの私である。
胸元に光る小さな六角形の魔法石が付いたネックレスは、グランジェーク様からもらった物だ。紫色のこの魔法石は防御力が高く、炎や水、風などあらゆる魔法から身を守ってくれる。
さらに、私の左手首にある細いブレスレットは、グランジェーク様の手作りでおまもり効果があるらしい。「困ったときに武器が出てくる」のだと聞いた。それで私に戦えってこと?とちょっと困ってしまったが、何もないよりはいいかもしれない。
しかも、私がどこにいるかもこれでわかるらしい。
『もともと、結婚の記念に贈ろうと思っていたんだ』
昨夜、満面の笑みで彼はそう言った。
今の私にはありがたい代物だけれど、記憶喪失になる前から用意されていたなんて、一体どういう過保護なんだろうか?
うん、あまり深く考えない方がいい。愛には色々種類があるのだ。
彼が私を大切に想ってくれていることは間違いないんだし、すべては安全のため。そう思うことにする。
ネックレスはシャツの中に仕舞い、靴を室内履き用のショートブーツに履き替えたら、私は約五日ぶりに調合室へと戻ってきた。
入り口には黄色のラナンキュラスが飾ってあり、幾重にも重なった花びらが美しい。
扉の前で浄化魔法を浴び、中へと入るとそこにはすでに五人の調合師と薬師がいた。
「おはようございます」
少し緊張したものの、私は笑顔で挨拶をする。
皆は振り向くと、同じように笑顔で声をかけてくれた。
「おはよう、ゆっくり休めた?」
「はい、ありがとうございました」
たわいもない会話。とても平和な一日のはじまりだ。
皆は私が過労で倒れたと思っていて、心配してくれているのがわかる。
年長者の薬師、ミラー先輩は、結婚式にも参列してくれていた人で、あの日のことを笑顔で話してくれた。
「グランジェーク様ったら、あなたの体が心配で式の後すぐに邸に戻っちゃったんでしょう?びっくりしたけれど、すごく愛されているのね。安心だわ」
「はははは……」
これは反応が難しい話題だった。
曖昧に笑ってごまかす。
私は自分のスペースに着くと、きれいにまとめられている本日分の調合リストを手にした。
これは、いつも事務官のフィオリーが準備してくれているものだ。
「あれ、随分と少ないわね」
休んでいるから、もっと溜まっているものだと思っていた。
もしかして、と思い当たることがあったので私は薬草棚に材料を取りに行く途中で、アウレアの席へ寄った。
美しいウェーブの金髪をハーフアップにした背中は、私が来たことに気づいているのに気づかないふりをしているのがわかる。
「おはよう、アウレア。私の分の調合も引き受けてくれたのね、ありがとう」
笑顔でそう告げると、彼女は手元の作業を続けながら横目でちらっと私を見た。
「別に、今のうちに差を広げなきゃって思っただけよ。得点稼ぎに利用させてもらったわ」
素直じゃないなぁ。
私はくすっと笑ってもう一度お礼を言った。
「本当にありがとう。迷惑かけてごめんね」
アウレアが返事をすることはなく、ツンとすました態度を貫いていた。
でも、よく見るとちょっと嬉しそうに口角が上がっている。かわいいなぁ、と思った。
じっと見ていると文句を言われそうだったので、私はそっとその場を離れて薬草棚に向かおうとした。
「あ、ねぇ。クラウディオがあなたに用があるみたいだったわよ。さっきも顔を出してたんだけれど、また来るって」
「クラウディオが?」
彼は調合師で、商人に顔が利く伯爵令息だ。私たちと同じ二十三歳だが、半年早くここへ入ってきた。いつもは隣の部屋で、薬草の選別や決まった魔法薬の精製などを担当している。
「何だっけ、何か忘れているような」
立ち止まって考える。
クラウディオから何か頼まれていたような気がするのに、それが何だったか思い出せないのだ。
アウレアは、そんな私を邪魔だと言ってじとりとした目を向けた。
「魔法師団長様と結婚したから、頭が幸せいっぱいで緩んでるんじゃないの?そこにいられると気が散るから早くどこか行きなさいよ」
「あぁ、ごめん」
私はすぐにその場から離れた。
クラウディオは生真面目だから、「また来る」とアウレアに告げたからには本当にまた来るだろう。
いったん彼のことは忘れて、今日中に作る魔法薬のことに集中しなくちゃ。私は足早に歩いていった。





