事件は、事故にされるらしい
夜の王城はひっそりと静まり返っていて、廊下を歩く使用人の数も少ない。
ときおり現れる見回りの騎士は、魔法師団長であるグランジェーク様を見てもスッと道を避けるだけで、特に話しかけたりしなかった。
「これはこれは魔法師団長様、このたびはご結婚おめでとうございます。今日まで休暇ではありませんでしたか?」
偶然出会った財務局長が恭しくそう告げると、グランジェーク様は誰もが見惚れる美貌で「少し用があってね」とだけ言って先を急いだ。
その凛々しい姿に見惚れる者はいても、彼の後ろを少し離れて歩くロボットメイドが、大きめのリネンカートを押していることを疑問に思うことはない。
意外に誰も突っ込まないのね。
カートの中で隠れて座っていた私は、誰にも何も言われないことに安堵した。
『とうちゃく しました』
医局に到着すると、ロボットメイドがそう告げる。
私はここで、ようやくリネンカートの中から出ることができた。
「シュゼ、つらくなかったか?」
心配性のグランジェーク様は、私をカートから抱き上げるとそう尋ねた。
「大丈夫です。むしろここまで運んでもらってラクでした」
「そうか」
少し笑みを見せた彼は、濃い紫色のローブ姿だ。
これぞ魔法師団長様というかっこよさで、一瞬ときめいてしまう。
でも今はそんな場合じゃない。
「あの、下ろしてください」
「……わかった」
え、何で今「気づかれたか」みたいな顔したの?
私が言わなかったら、ずっと抱き上げたままだったの?
そっと床に足が着くと、ホッとした。
周囲を見回すと、数多の本に大きな執務デスクがあり、ザ・偉い人のお部屋という印象だった。
「ここはマルリカの部屋だ。もうすぐそっちの扉から戻ってくると思う」
彼がそう言った瞬間、部屋の奥にあった扉がガチャリと開いてさらりとした赤髪をなびかせたマルリカさんが現れた。
彼女は、髪をかき上げながら私たちを見て「あら」と目を見開く。
「早いわね。もう来ていたの」
その手にあった書類をデスクに置いた彼女は、にこりと笑って椅子に座るように促した。
「お茶はその子が淹れてくれるのかしら?」
『かしこまりました』
ロボットメイドは、どこに隠し持っているのかティーセットをさっと取り出し、テーブルの上に並べていく。
マルリカさんはそれを見て、嬉しそうに言った。
「さすがグランジェークのところのメイドね。うちにも欲しいわ」
まんざらじゃなさそうな顔をするロボットメイドは、一礼して部屋の壁際へと下がる。
私たちは、湯気を立てる紅茶を前に着席した。
「で、進捗は?」
グランジェーク様がすぐに本題へと入る。
マルリカさんは、調合室を預かるセブ副長や警備を担当している護衛長らと会議をしていたという。
「進捗も何も、責任逃ればかりよ」
警備担当は、魔法薬を飲んだのはあくまで私の過失ではないかと言い、セブ副長は「誰かが薬を盛ったという証拠がない以上どうしようもない」と主張したそうだ。
マルリカさんは「だからそれを調査しないと」と訴えたそうだが、セブ副長は頑なに調査を拒んだらしい。
理由は、「記憶に干渉する魔法薬を作ろうとして、しかもそれで事故や事件が起きたなんて宮廷薬師の醜聞になる!」ということだった。
副長が顔を真っ赤にして主張する姿が想像できる。
「体裁を重んじる副長らしい意見ですね」
何としても私の過失として片づけたい、それが感じられる。
「ルウェスト薬師長が不在ならこうなるって、犯人も予想していたのかもしれないわ。調合室の中で起きたことなら、公にはならないと考えていたのかも」
計画性があったということ?
そんなことも知らず、あっさりと記憶を失ってしまったことが悔しい。
私が一体何をしたっていうの?
犯人に対して、今さらながら怒りが湧いてくる。
「とにかく、彼らが頼りにならないことはわかったわ。シュゼットは、表向きは過労で倒れたってことにしかならない」
マルリカさんは、悔しげに目を細めていた。
医師として、どうして私が記憶を失ったのかを調べたいと思ってくれている気持ちはありがたいが、あまり彼らと敵対するのは彼女にとってよくないので、私としては申し訳なく思った。
しかも、彼女は自分の伝手を使って、調合室のメンバーの行動を調べてもくれていた。
「シュゼットが倒れた日、調合室の子たちに特に変わった様子はなかったわ。勤務態度や薬の持ち出し記録に怪しいところもない」
グランジェーク様の部下である鑑定士によって、秘密裏に行動を探っていたから時間がかかったらしい。
現時点で私が倒れてから五日、不審な動きをした者は今のところ見当たらないという。
「あぁ、そういえば、あなたの同期のアウレアって子が『シュゼットは大丈夫なのか』ってうるさかったわ」
これには私は苦笑いだった。
アウレアは金髪碧眼の伯爵令嬢で、何かにつけて私に張り合ってくる。同期だから、私より褒められたい、認められたいという気持ちがあるみたいだ。
でも、そこにあるのは純粋なライバル心であって、私を蹴落とそうとかいじめようなんていう気持ちはまったくないのはわかっている。
普段の言葉はきついけれど、私にとっては本音で付き合えるいい友だちだ。
「アウレアからは、あなたはここひと月ほどずっと一つの依頼にかかりきりだったって証言が取れているの。でも、その薬が何なのかは誰も知らなかった」
「誰も?」
「ええ、つまりルウェスト薬師長とあなただけに任された依頼ってことになるわ」
基本的に、宮廷薬師は師の指示で仕事を任される。
自分で作りたい新薬の研究に励むこともあるけれど、私の場合はほとんどルウェスト薬師長と共に動いていた。
「記録帳を見れば、何を作っていたのかはわかるでしょうね」
隠ぺい魔法が掛けられたノートには、作っていた薬のことが書かれているはず。
けれど、マルリカさんは困った顔で息をついた。
「それが、記録帳がなくなっていたの」
「なくなった……?私以外は開けられないのに、ですか?」
記録帳は、私じゃないと開けられない。魔力で認証する鍵がかかっているからだ。
「犯人にとっては、記録帳が開くかどうかは重要じゃないのかも。シュゼットが、記憶を取り戻す方が困ると思ってるのかもね」
魔法薬の成分や作り方がわかれば、効果を解除する薬も作れる。
犯人は私の記憶が戻らないように、念のため記録帳を持ち去ったのかもしれない。





