邪魔者は消えましたが
私は慌てて応接室の中へと駆け込んでいく。
「グランジェーク様!」
落ち着いてください、と声をかけながら彼の隣に走ってその手を握る。
「ちょっと落ち着きましょう!」
母は、魔法使いでもない一般人だ。あまり魔力を浴びると、倒れる可能性がある。
グランジェーク様が母を害したという、言いがかりをつけられると困ると思った。
「どうかお引き取りください。ブリッジ子爵夫人」
実際に顔を合わせても、私の心はまったく揺らがなかった。すでに、母は私の中で過去の人になっている。
母は私の態度にぎりっと歯を食いしばり、憎らしいという目で私を睨む。
「それが母親に対する……」
続きは聞こえなかった。
いつの間にか入ってきていたロボットメイドが、大きめのカップに入ったどろどろの黒い液体を母めがけてかけてしまったから。
『おやおや手が滑ってマス!』
「きゃあああ!何なの!?毒!?」
違います。薬草ドリンクです。
私とグランジェーク様は、それを今朝飲んでいました。
スカートにこびりついた薬草ドリンクは、ねばっとしていてなかなか取れない。
母は必死にハンカチでそれを拭い、涙目になっていた。
「ロボットの分際で、人を馬鹿にして……!」
『怒らないで、くだ、さい。ロボットのやること、デス、から』
自分で言ってる!
メイドロボは、すました顔をして立っていた。
グランジェーク様は私を左腕で包み込むようにして抱き、右手を母に翳した。
その瞬間、母の足元には七色に光る魔方陣が現れる。
転移魔法を使う気だ、とすぐにわかった。
「シュゼの顔を見られただけありがたいと思え。跪いて慈悲を乞え」
「もうそれ魔王のセリフですよ!?」
私はぎょっと目を瞠る。
グランジェーク様の顔を見上げているうちに、母の姿は応接室から消えてしまった。
「母を家まで送ってくれたのですか?」
「あぁ、汚れたドレスで馬車に乗るのは恥ずかしいだろうからな」
一般人が転移魔法を使うと、何カ月も筋肉痛や吐き気に見舞われて大変だと聞く。これに懲りて、もう二度と魔王城に来なければいいけれど……。
「シュゼ、もう邪魔者は消えたな」
グランジェーク様は優しい笑みを浮かべていて、すでに母のことは頭から消え去ったみたいに思えた。
私はおずおずと問いかける。
「あの、仮にも親なのにこれでいいんでしょうか?親を大事にしろって、グランジェーク様は言わないんですね」
これまでも、他人に「両親と疎遠になっている」と話したときにはこんな答えが返ってきた。
「産んでくれたんだから、最低限の付き合いはした方がいい」とか「いずれ分かり合える日が来るから拒絶するのはどうかと思うよ」とか。
この国では、親を大事にするっていうのは重要なことなのだ。教典の一節目で、家族の大切さが説かれているくらい。
でも、私はどうしても両親と付き合う気にはなれなくて。
グランジェーク様は、私の希望通りあっさりと母を追い返してくれた。
会わなくてもいいと言ってくれた。
「誰を大事にするかは、自分で決めればいい」
「自分で?」
「世間の秤が正しいとは限らない。シュゼはシュゼのしたいようにすればいい。それが誰かに批判されることでも、俺は協力する」
私のしたいようにしていいんだ。
きっぱりとそう言われ、しかもこの人はどこまでも味方でいてくれると言う。
さも当然のようにそう言われると、嬉しくて泣きそうになった。
「どうして」
こんなに想ってくれるんだろう?
私はあなたのことを忘れてしまったのに。
「忘れちゃったんですよ?私、グランジェーク様のこと忘れて、何も思い出せないのに」
悲しいのと悔しいのが両方にやってきて、私はぐっと言葉に詰まる。
すると彼は、真剣な顔で言った。
「シュゼは、ただ記憶を奪われただけ。何も悪くない」
その瞳には怒りや恨みの感情はまったくなくて、ただ優しかった。
「俺は君を助けたい。君と生きていきたい」
「どうしてそこまで」
私なんて、どこにでもいる薬師なのに。
グランジェーク様みたいに、ほかの人よりも秀でている部分は見当たらないのに。
卑屈になっているわけじゃなくて、現実的にそうなのだ。彼がここまで私を想ってくれる理由がわからない。
「そんな風にされたら、寄りかかってしまいそうで怖いんです」
記憶が戻れば、グランジェーク様の気持ちを普通に受け入れられるの?
私はどうやってこの人と接していたの?
誰かに依存するのは怖くて、彼が与えてくれる愛情に戸惑ってしまう。
ぐっと言葉に詰まる私を見て、彼は静かに言った。
「いくらでも寄りかかってくれて構わない。シュゼは俺を救ってくれた人だから」
「救った……?」
かすかに微笑んだ彼は、ぽんと私の頭に手を置いて「大丈夫」と囁く。子どもを落ち着かせるみたいな仕草なのに、その大きな手の温かさを頼もしく感じた。
「さぁ、少し遅くなったがでかけようか。服は明るめの方がいいか?」
これ以上何か話すと、私が頭痛を起こすと思ったのだろう。彼は、もうこの話はおしまいとばかりに話題を変えた。
そして、パチンと指を鳴らす。
それを合図に、桃色のドレスがふわりと目の前に舞った。シンプルなデザインなのに、袖や裾にフリルや宝石が縫い付けてあって可愛らしい。
「きれい」
続いて、ネックレスや靴も私の目の前に現れた。
「外で待っている」
グランジェーク様は私の支度をメイドに任せ、ご機嫌で応接室を出て行った。
『おてつだい、いたします』
いつの間にか、床に飛び散っていた薬草ドリンクの掃除も済んでいる。
この子はできる子だわ……!
ドレッサーや宝飾品の箱までが現れていて、さっきまでのトラブルが嘘みたいに消え去っていた。
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