9.お願い
「マイラにお願いがあるんだけど」
「……今度は何?」
前回の願い事で恥ずかしい目に遭ったマイラは、目を細めながらウォルトの次の言葉を待った。警戒露わなその様子に、意外に根に持ってるなとウォルトは苦笑した。
「家に帰ろうと思うんだけど」
朝食のパンを囓りながら、天気の話でもするような軽い口調でウォルトが言った。
家に帰る?
マイラは何を言われたのか分からずに、頭の中で数回繰り返した。
「……そうなの? いつ?」
ギルを拾い昔のような幸せな時間を送っていたが、ウォルトは一時的にこの町に逃れていたにすぎない。完全に魔法は解けてはいないが、心配しているであろう家族の元へと帰るのは当然の話だ。
「早い方がいいと思うから、準備ができ次第ここを発つよ」
ここでの生活に未練の欠片も見せないウォルトに、一瞬非難めいた感情が浮かぶが、すぐに打ち消した。
「早速、荷物でも詰めようかな」
「あなたそんなに荷物ないじゃない」
体一つでこの町に逃れてきたウォルトの荷物と言えば、マイラが買い与えた着替えくらいだ。それも数があるわけではなく小さな鞄一つに収まる量しかない。
「俺の荷物は少ないけど、マイラはそれなりに必要だろう?」
「私の荷物?」
ウォルトの言っている意味が分からず、マイラの顔に疑問が浮かぶ。困惑しているマイラに、ウォルトはわざとらしくため息を吐いた。
「マイラももちろん一緒に行くからだよ」
「どうして私まで? それに仕事の依頼があるから、長くは家を空けられないわ」
マイラは商会と契約した薬師だ。若輩者のマイラに仕事を回してもらっているのだから、薬師として誠意を持って対応したい。勝手に長く家を空けるなどできるはずもない。
「家族が心配しているだろうから、無事であることを知らせたい。それにマイラの世話になりっぱなしだから、当面の生活費を返したい」
確かに服の費用は返してくれるとは言っていたが、ギルの食費を請求するつもりなど毛頭なかった。
「それによく考えて。俺はなぜか君のギルの姿になる魔法をかけられている。魔法をかけられて命からがら逃げて来て、君に助けられた俺にはその理由はもちろん分からない」
「そうね」
「家に帰るだけでなく、俺をこんな目に遭わせた相手のところにも行くつもりなんだけど、俺が下手を打つとギルとして捕まるかもしれないよ」
「ギルを持ち出すのはずるいわよ」
ギルの話に動揺したマイラに、ウォルトは更に追い打ちをかける。
「どうして獣姿の俺がギルだったのか気にならない?」
「なるけど……」
「長居をするつもりはないから、取るもの取ったらすぐに戻ってくるから大丈夫だよ。会頭には話をすればきっと納得してもらえる」
マイラとモニカは友人として信頼しあって、いい関係であることが端で見ていても分かる。多少家を空けるくらいは問題ないだろう。
マイラの考えが追いつかない内に話は進んで、その日の内にマイラは商会に数日家を空けることを告げに行くことになった。
会頭は快く了承し、美味しい物でも食べるといいと言って餞別をくれた。薬師として商会と契約しているマイラだが、どうやら会頭にとっては娘の友人という立ち位置の方が強いらしい。
「マイラが遠くに出かけるなんて珍しいわね」
普段から必要最低限の外出しかしないマイラが、わざわざ馬車に乗って遠方へ出かけるのだ。何かを閃いたような顔をしたモニカがマイラに指先を突き立てる。
「さては、男に逢いに行くのね?」
男物の服を買ったり、やけに浮かれていたり、最近のマイラは少し様子がおかしい。
モニカの予想外の方向での食いつきに慌てたマイラは、予定にないことを言って弁解した。
「違うわよ! モニカと会ったあの町よ。あの薬師のところに魔法薬のことで聞きたいことがあって行くの」
思いつきで言ったことだが、咄嗟の嘘にしてはいい考えのように思えてきた。せっかくの機会だ。あの孫と薬師としての意見交換もしてみたい。
「てっきり色っぽい話かと思ったのに、薬師のところとはマイラらしいわね。そういえば、最近は遠方の町からもマイラの魔法薬の引き合いがきてるのよ」
「そうなの?」
「評判がいいみたいよ。それでギルはどうするの? 誰かに預けるつもり?」
「連れて行くわ」
どれだけ大人しく聞き分けのいい犬だとしても、他人にとってはただの獣。不特定多数の人の乗る馬車に同乗することはできないはずだ。
「乗合馬車には乗れないでしょう?」
犬の姿では馬車に乗れないと分かっているので、昼間にウォルトと移動することを考えている。夜は宿を取らなければならないが仕方がない。
ギルのことをどう誤魔化そうかとマイラが口を噤むと、考える仕草をしていたモニカが席を立った。しばらくして戻ってきたモニカは、商会と取引のある荷馬車を紹介してくれると言った。
「うちの商品を運ぶのに、ちょうどあの町も通るんですって。荷台でいいなら格安で乗せてくれるそうよ。どうする?」
荷台といっても商品が雨風に曝されないように四方は幌で囲われていて、商品の破損がないように振動も少なく作られている。
乗合馬車のような座り心地の良い座面はないが、柔らかい座布団を持ち込めば済む話だ。
ウォルトと二人分の料金がかかることを覚悟していたマイラは、自分とギルの分を払っても予定の半分にも満たない荷馬車の話に飛びついた。多少乗り心地は悪くとも安いにこしたことはない。それにギルと一緒に旅をするのも楽しそうだ。
その話にごねたのはウォルトである。マイラがうきうきと話を振ると、次第にウォルトの表情が曇りだした。
「マイラと一緒に旅ができると楽しみにしてたのに、なんでギルなんだ?」
「それはもちろん、安いからよ」
往路はマイラの金で移動するため強くは出られないウォルトは、帰りこそは人の姿でとマイラに頼み込んだ。
帰路は荷馬車に乗せてもらえる予定はないため、そもそも最初から乗合馬車で戻るつもりだったのだ。マイラは渋々折れたという体で、ギルの姿でいることをウォルトに納得させたのだった。
出発となった翌日、商会を訪れるとモニカが道中の寒さを心配して、羽織っていた肩掛けを譲ってくれた。モニカの温もりの残った肩掛けはマイラをゆっくりと暖めていく。
「早めに帰るつもりだけど、もし薬が足りなくなった時のために鍵を預けておくわ。作り置きが多少はあるから」
そういうとモニカに家の鍵を差し出した。差し出された家の鍵をモニカは呆れながらも受け取った。
「私が泥棒だったらどうするの?」
「モニカはそんなことしないし、うちには盗まれて困るものはないもの」
「じゃあ、マイラの家で一番貴重な魔法薬のことは任せてちょうだい」
マイラを戒めながらも嬉しそうなモニカは、そういえばと思い出したようにマイラに声をかけた。
「一つ言っておくけど。相手が若い女だろうと、知らない人にのこのこついて行っちゃ駄目だからね」
「それって……」
それはまさにモニカと初めて会った日のことではないか。やはり本来はついて行ってはいけなかったのだ。そんなことはおくびにも出さず、よくもまあマイラをこの町までつれてきたものだ。
「ねえ、ギル。マイラは断るのが苦手だから、変なことに巻き込まれそうになったらあなたが断ってあげてね」
ギルは任せろとでも言うように一声鳴いて首肯した。




