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懐かしい足音が消える前に  作者: 新在 落花


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5.一人と一匹

 今日は空気が乾燥している。絶好の魔法薬作り日和だ。


 マイラは森で採取して乾燥させていた薬草を丁寧に薬研ですり潰し、魔力を注ぎ込んで魔法薬を作り上げる。商会から依頼された大口依頼を納期に間に合わせるため、ギルと遊ぶのはしばらく控えなければならないのが辛いところだ。


 マイラの作業場にはギルが入ることを禁じているため、居間に取り残されたギルが悲しそうな声で鳴いている。鳴き声が聞こえてくる度にマイラの心は痛むが、生活のためと割り切って黙々と作業を続けている。


 魔法を使う作業は神経と体力を使うため、一日中作業をしていたマイラは日が落ちた頃には疲労困憊でぐったりしていた。居間の長椅子に横になると、静かな部屋に薪の爆ぜる音が響いた。


 作業に没頭していたため暖炉に薪を追加した覚えはないが、火は赤々と燃えている。

 消し忘れた燭台の蝋燭が知らぬ間に消えていたり、開けていた窓が雨が降り始めると閉まっていたり。そんな不思議な現象は、この家に住み始めてから往々にして起きていることだ。


 これがお化け屋敷といわれる所以であれば、実のところとても助かっている。たまに意図しない場所に物が移動していることもあるが、それ以外に不便に思っていることはない。


「くしゅん」


 少し横になるだけのはずがすっかり寝入っていたのだろう。寒さで眠りから覚めかけた時、遠くからギルの足音が近づいてくるのが聞こえた。体にかかるふわっとした感触があった後に寒さが和らぎ、気持ち良くなったマイラは再び眠りについた。


 うたた寝からマイラが目を覚ますと、長椅子の下で伏せの体勢をしていたギルが起きあがった。マイラもつられて起き上がると、体から大判の膝掛けが滑り落ちた。


「あなたがかけてくれたの?」


 マイラの声で上半身を起こしたギルは、褒めてというように鼻先をマイラに頬にすり寄せたので、マイラはギルが満足するまで背中を撫で続けた。



 翌日も商会に依頼された魔法薬を作っていると、来訪者を知らせる音が玄関から聞こえた。マイラが玄関を開けると、そこには一人の青年が立っている。誰だろうかと考えた後に、町でモニカと話しているところを見たことのある青年だと思い出した。


「何かご用ですか?」


 警戒心露わにマイラが声をかけると、耳まで朱に染めた青年が口を開いた。


「風邪気味みたいなんで、魔法薬を買いに来たんだけど」

「すみません。私の魔法薬はここでは売っていないので、モニカのところの商会で買ってもらえませんか?」

「……知ってる」


 マイラに話しかけられた青年は、そう告げると黙り込んでしまった。


 知ってるのにどうしてこの家にやって来たのか。そんなに急を要するほど体調を悪くしている様子はない。黙りこくった青年を前に、どうしたものかとマイラは困ってしまった。


「あの……」


 部屋に漂う沈黙にマイラが耐えられなくなった頃、再び玄関の扉が開いた。


「マイラ。いいものをお裾分けに来たわよ」


 暢気な声をあげながらモニカが家に入ってきた。そこで鉢合わせした青年を見ると、モニカは大きく目を見開いてすぐに眉を寄せた。


「何してるの?」

「……ちょっと」


 青年はモニカの顔を見ると、気まずそうに顔を背けた。


「モニカ、ちょうど良かったわ。その人風邪薬が欲しいんですって」


 助かったと思いマイラが青年の尋ねてきたわけを説明すると、モニカは更に渋面になる。


「マイラの魔法薬はうちの商会の専売よ」

「分かってるよ」

「ああ、もう! ちょっと外に来て」


 モニカは青年の腕を掴むとそのまま玄関の外へと連れ出した。ほっとため息をついたマイラの後ろに、いつの間にかギルが立っていた。マイラは屈んでギルを覗き込むが、ギルの視線はマイラの後ろに注がれたままだ。


「もう大丈夫よ」


 ギルの三角形の大きな耳がぴくぴくと動いている。どうやらマイラには聞こえない音を拾っているようだ。


『あなたがマイラに惚れてるのは知ってるけど、家にまで押しかけるのはやめてあげて。あの子前に怖い思いしてるんだから困らせるだけよ』

『モニカが取り持ってくれないからだろう!』


『私はマイラが望まないことはしないわよ』

『望まないって、俺のことを嫌がってるのか?』


『マイラは知らない人が苦手なのよ』


 マイラには聞こえない扉の外の声を聞いているギルは、会話の内容が不愉快で自然と顔が歪む。うずくまったマイラは不思議そうに、ギルの鼻に寄った皺を伸ばそうと指で撫でる。


「どうしたの? 知らない人が来て緊張しちゃった?」


 ギルは外に向かって唸り声を上げている。いつにない反応に困ったマイラは、ギルの背を撫でてみるが機嫌は一向に良くならない。

 困惑するマイラに気づいたギルは小さなため息をつくと、落ち着きを取り戻した振りをしながら、マイラの隣で耳をそばだてる。


 何かに気づいたようにギルが顔を上げると、モニカが玄関の扉を開けて一人で戻ってきた。


「薬はうちまで買いに行ってもらったわ。もうここには来ないから大丈夫よ」

「体調悪かったのに申し訳なかったわね」

「いいのいいの。近くまで来たからちょっと寄っただけみたいよ。マイラは気にしなくていいわ」


 マイラの気を軽くするためにモニカはそう言うと、鞄から琥珀色の瓶を取り出した。瓶の半分程まであるとろりとした液体を見ると、マイラの目がキラキラと輝いた。


「蜂蜜!」

「うちの大口依頼で疲れているマイラにお土産よ」

「嬉しい! ありがとう」


 パン屋の女主人からもらった焼き菓子があったことを思い出したマイラは、居間へとモニカを誘った。モニカがギルの名前を呼ぶが、ギルはちらっとモニカを見ただけで相手にしない。モニカの隣を素通りすると先に居間へと駆けていった。


「なんかこの子、機嫌悪くない?」

「知らない人が来て機嫌を損ねちゃったみたい」


 焼き菓子を食べながらマイラのいれた薬草茶を飲んでいると、モニカがマイラに問いかけた。


「マイラは恋人とか欲しくないの?」

「なによ唐突に。惚気話がしたいの? モニカの恋愛話は耳にたこができるほど聞いてるわよ」


 モニカと恋人の仲は順調だが、まだ父親は交際を認めないらしく、たまに愚痴という名の惚気話を聞かされる。なんだかんだ言っても二人の仲は順調で、恋人のいたことのないマイラは想い合っている二人をうらやましく思っている。


「私の話は今はいいの。今聞いてるのはマイラの話よ。結婚させられそうになって逃げてきてもう一年よ。そろそろ恋人を見つけてもいいんじゃない」


「興味ないわけじゃないけど、今から人付き合いをするのが面倒よね」

「年寄りみたいなことを言うんじゃないわよ」


 出逢って、親しくなって、想いを伝えあう。なんて複雑で長い工程を踏まなければならないのか。人付き合いが苦手なマイラには気が遠くなるような話だ。


 出逢うとなるとこの町の人ということになるが、恋に落ちるような相手は今までいなかった。これからも期待は薄い。


「そんなこと言ってると、行き遅れるわよ」

「結婚を焦っているわけじゃないからいいわよ」


 一人暮らしには慣れたが、たまに独りをとても寂しく思う夜もあった。しかしギルが戻ってきたことで、そんな気持ちはすっかりどこかへ行ってしまった。


 ギルはマイラのスカートの裾を噛んで引っ張りながら、尻尾を床に打ち付けて実に落ち着きがない。


 本当に今日のギルはどうしたのか。普段は大人しくマイラの言うことをよく聞くのに様子がおかしい。


「どうしたの?」


 ギルの両頬をむにむにと掴むと嬉しそうにしているが、べったりとくっついたままマイラから離れようとしない。


「あなたの恋人は犬好きじゃないと駄目ね」


 モニカの呆れたような声に、ギルが小さく唸った。


「その子、あなたに恋人ができるのが不満みたいよ」

「まさか」


 マイラがギルを見ると、そうだと言うようにギルが短く鳴いた。ギルはたまに人の言葉が分かっているのではないかという反応をすることがある。

 偶然だとは分かっているが、抜群の間でそう振る舞うので随分と驚かされる。


「私にはギルがいるから、当分恋人はいらないわ」


 マイラの言葉聞くと、ギルは満足そうに尻尾を振っていた。


「それより行かなくていいの? 彼のところに行くんでしょう?」


 モニカの恋人はマイラの家に程近い工房の硝子職人だ。モニカはマイラの元へ遊びに来るついでと言っては工房に足繁く通っている。


「今はマイラのところに来ているのよ」

「恋人に会う口実でしょう」


 意味ありげに笑いながらマイラがモニカを揶揄すると、モニカは心底驚いた顔をしていた。


「マイラがそんなこと言うの珍しいわね」


 マイラとそれなりに親しくなったつもりではあるモニカだが、マイラが当てこすりのような軽口を叩くところを見るのは珍しい。普段からあまり人に関わろうとしないマイラは、モニカの恋人のことは分かっていてもあえて口にしなかった。


「ごめんなさい。気を悪くした?」


 焦ったマイラは見ている方が気の毒になる程、平静を失っている。青い顔をしながら何度も詫びるマイラを手で制すると、モニカは落ち着くようにと肩を撫でた。


「全然。むしろそう言うの新鮮で楽しいわ。そうよ、マイラにあげた蜂蜜の半分を彼に渡しに行くのよ」


 深入りしない上辺だけの関係を保とうとするマイラにとって、これはいい傾向なのだろう。


「マイラはあの子を拾って良かったわね。肩の力が抜けていて自然だわ」

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