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懐かしい足音が消える前に  作者: 新在 落花


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31.妖精国(1)

 マイラが空を見上げると、空を覆う灰色の雲が町から明るさを奪っていた。今にも雪でも降り出しそうな空模様だ。


 マイラ達が目指しているのは森へ行く途中にある朽ちた家屋だ。マイラにだけ見えているものを片っ端から回れば、どこかに入口が見つかるはずだと考えたのだ。


 廃家の玄関扉を開くと、むっとした黴臭さが鼻を突いた。腐食してぶよぶよになった床に注意しながら、マイラとウォルトは家の中へと入って行く。


 そんなマイラ達の後を二つの影が追っていた。 外衣の頭巾型を被った鷲鼻の男と、輝くような光を放つ金髪の青年だ。

 先に入っていった二人に気づかれないように扉を開くと、ブレンダン達は音を立てず家の中へと足を踏み入れる。


 床を踏み抜かないようにゆっくりと進むマイラの前に、二階へと続く階段が現れた。


「危ないから気をつけて」


 先に階段を上るウォルトはマイラの手をひくと、一段上るごとに足を置く場所を指し示した。二階に上ってすぐの部屋に入ると、一つの窓だけ明らかに様子の違っているものがある。


 明かりをとるための広い窓は、他の曇っている硝子とは異なり、向こう側がぼんやりと白く光って見えている。


「あの窓だわ!」

「どれ?」

「白く光ってるのが分からない?」

「俺には全く」


 これもマイラの妖精の血のせいだろうか。


 マイラは窓に近づき両開きの窓を全開に開くと、目の前の広がる風景に瞠目した。

 二階にある窓からは見えるのは朽ちた屋根と、灰色の空のはずだったが、マイラに見えているのは青空の中に広がる草原だ。


「俺にはただの壊れそうな屋根にしかみえないけど、もしかしてマイラには違うものが見えてる?」

「一面の草原が見えるわ」

「俺の見えているものとは違うね。止まっていても仕方ないし、行ってみようか」


 ウォルトは部屋の隅に置いてあった椅子を運んでくると、手で座面を押して壊れていないことを確認した。

マイラはウォルトに支えられながら椅子に足をかけると、恐々と窓枠を越えた。


 マイラが降り立ったのは柔らかい草の感触のする地面だった。

 目の前にはマイラにだけ見えていた緑の草原がどこまでも広がり、草原には赤や黄色の花弁の大きな花が紛れていた。


 マイラの両足を窓の外に着いたことを確認すると、ウォルトも窓の向こう側へ身を乗り出した。


「これがマイラに見えていたもの?」


 ウォルトは目の前の景色に目を瞠ると、何度も瞬きを繰り返している。


 見上げた先にあるのは雲一つない青空だ。先ほどまで見えていた淀んだ灰色の空とは色だけでなく、空の高ささえも違うように見える。


「本当に妖精国なのかしら?」

「さっきまでは雪でも降りそうだったのに、こちらは暖かいね」


 まるで春の始まりの頃のように暖かく、マイラが肩掛けを暑いと感じるほどだ。


「暑いなら脱いだらいいのに」

「なくすと困るからこのままでいいわ」


「さて、どうしたものか」


 策があって妖精国へ足を運んだわけではない。行けばどうにかなると少し楽観的だった感は否めず、どこへ行けば命の実を得ることができるのかさっぱり分からない。


 ノーマは夜の森は神出鬼没で、不可思議な森だと言っていた。


 しばらく二人が立ち尽くしていると、風もないのに強い風が吹いたかのように草原が波打ち始めた。

 広い草原の中で、波打っているのはマイラ達の周りだけだ。不思議に思って草むらの中を見ると、複数の小さな黒い影が草の中を縦横無尽に走り回っている。


 草の中を何かがガサガサと動き回っているのは分かるが、草に隠れてその姿を見ることはできない。


 妖精は姿を見られるのを厭うとノーマが言っていたことを思い出し、マイラはそっと黒い影から視線を逸らした。逆に目を凝らして、足下を見ていたウォルトはマイラに囁いた。


「あの家にいるものと似てるね」


 そうだろうかとマイラは首を傾げるが、ウォルトは犬の鋭い感覚で家にいたものを感じ取っていたのだ。マイラには分からないことが分かるのかもしれない。


 足を踏み出すと小さな影を踏んでしまいそうで、立ち止まったまま動けない。困ったマイラが立ち竦んでいると、波が少しずつ前方へと移り始めた。


 その動きにいち早く気づいたウォルトはマイラの手を引くと、波の進む先へを歩き出した。


「どうせ当てはないんだし、ついて行ってみようか」


 黒い影もついてきていることに気づいたのか、少し進んではマイラ達が追いつくのを待ち、また進んでは追いつくのを待っている。

 草の波につられて鮮やかな花弁の花が左右に揺れて、まるで踊っているかのように見える。


 マイラは小妖精のことも気になるが、当たり前のように繋がれた手も気になっている。

 妖精国ではマイラに抱いていた好意的な気持ちが変化するかもしれないはずだが、もうとっくに妖精国の中だ。


 そんなマイラの動揺が、繋いだ手を通じてウォルトに伝わっていないかと不安になって、繋いでいる手を離したくなった。


 そっと手を離そうとしているマイラに気づいたウォルトは、不安そうな顔をしているマイラがまだノーマの言っていたことを気にしているのだと気づいた。


 この期に及んでまだ?


「今ギルになっても、マイラだけが元に戻せるんだと断言できるよ」


 変わらないウォルトの物言いと熱を帯びた視線に安堵したマイラは、泣き出したいような気持ちになってほっと息を吐いた。


 しばらく草原を歩いていたマイラは、前方に現れた人影にぎくりと肩を震わせた。

 違う方向を見ていたウォルトは、繋いだマイラの手に力が入ったことに気づいてマイラの視線の先へと顔を向けた。


「小妖精が騒いでいると思って来てみたら、人間が迷い込んでた」


 立ち止まったマイラ達につられたかのように、草むらを走り回っていた小妖精達の動きが止まっている。


 マイラ達の視線の先にいるのは、白い簡素な一続きの服を着た若い女だ。マイラ達とはあまり年齢が変わらないように見える。


「……後ろに下がって」


 逃げるか、話をするか。


 逡巡した後にその場に止まることを選んだウォルトは、マイラの手を引いて背に庇うように前に回り込んだ。


「あら、心外。わたしは何もしないよ」


 女は大げさに肩を竦めると、守るようにマイラを背に隠したウォルトに不満そうな顔を見せた。


 ウォルトの背中から顔を出したマイラは、なぜかその女に既視感を覚えていた。

 知り合いや行き交った人の顔を思い浮かべるが該当する人はいない。気のせいだろうと思い直すが、もやもやは晴れないままだ。


 興味津々な顔をしてマイラ達を見ている女に、マイラは話しかけた。


「あなたは妖精?」

「面白いね。妖精国に来ておいてその質問?」


 女はからからと大口を開けて笑っている。随分と陽気な性格のようだ。


「わたしは人に見える?」

「人にしか見えないわ。本当に妖精なの?」


 町で会ったなら妖精だとは思いもしないだろう。

 蜻蛉の翅もなければ、尖った耳もない。どこから見てもただの若い女にしか見えない妖精は、マイラ達に近づくと内緒話でもするように声を顰めながら答えた。


「妖精に見えないっていうのも、間違いではないね。実は元は人間なの」

「え?」

「取り換え子って知ってる?」


 取り換え子と聞いて、マイラの脳裏にノーマの顔が浮かんだ。妖精国に生まれたのに人間の赤子と取り換えられたノーマ。


「私の薬師の師匠が取り換え子なの」


 ノーマのことを話すべきかとマイラは迷ったが、少しでも妖精の興味を惹ければいいと話に乗ることにした。


「へえ、奇遇ね。わたしは妖精国に連れて来られた方の人の子よ」


 ノーマの話を聞いた妖精は、興味を惹かれたらしく面白がって次々に質問を投げかけてくる。


 本当のことを話しても、妖精国にいないノーマに迷惑がかかることはないはずだと、マイラは聞かれるがままに答えを返し続けた。


「その取り換え子は、妖精だと誰にもばれなかったの? 本物じゃない家族に馴染めてた?」

「先生は家族をとても大切にしていたわ。物に頓着しない先生が、家族の絵姿だけはずっと持ち続けているもの。随分と昔に亡くなったそうだけど、お母様に習ったお菓子を作ってくれたことがあるわ」


 粉を捏ねて焼いただけの素朴な菓子だったが、ノーマが懐かしそうにしていたのが印象的だった。


「あなたも本当の家族が気になるの?」


 女は薄く微笑むと緩く首を振った。


「わたしはもう妖精のようなものだから、その感情は分からないの」

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