15.消えた足音(2)
反対されることを覚悟していたが、両親にノーマの元へ弟子入りしたいと告げると、予想に反してあっさりと許可された。
薬店を営む父親にとって、優れた薬師との繋がりが強固になることは望んでもないことな上、マイラが薬師となればそれも薬店にとって良い結果をもたらす。
母親はマイラがやりたいことならば、やってみなさいと背中を押してくれた。
そんな中、ブレンダンだけは頑なに反対し続けた。
父親や兄ですらむしろやってみろと言う中、マイラのことを心配する振りをしたブレンダンは、マイラには向いてないと思うと弟子入りを辞退させようと躍起になった。しかしマイラの父親が珍しくその意見は聞き入れなかったため、晴れてマイラはノーマの弟子となったのだった。
マイラはすぐに魔法薬を作ることに夢中になった。
薬店の娘だけあって、魔法薬がいかに貴重なものかは知っている。そんな魔法薬に自分が携われることが楽しくて仕方がなかった。
ノーマは口数少ないながらも、失敗すれば窘めて、成功すれば褒めてくれた。何より魔法薬を作り上げた時の達成感や充足感は、何にも代えることができないものだった。
他人との関わりを避けていたノーマがマイラを弟子にした理由は分からないが、身の置き場のないマイラにとって、薬師の家は心安やかになれる数少ない場所だった。
部屋の中に入ることはなかったが、共にギルもノーマの元へと通った。犬が苦手なノーマは積極的に触れることはなかったが、玄関横で大人しくマイラを待つギルを厭うこともなかった。
ノーマの話の端々に、兄弟弟子だという薬師の話があがることがあった。
人嫌いのノーマには珍しくその薬師を褒めるので、会ってみたいとマイラが言うとノーマは薬師に手紙を書いてくれた。
しばらくすると返事が届き、成人してからなら雇ってもいいと書かれていた。
ノーマの兄弟弟子が受け入れてくれる。
それはマイラにとって僥倖だった。
マイラがノーマの家に通うのはブレンダンから逃れるためという理由が大きかったが、母親により効果のある魔法薬を調合できるようになりたいと言う願いもあった。
臥せってばかりいる母親を数名の医者に診てもらったがどこが悪いということはなく、とにかく体が弱っていると言われるだけだった。
ノーマの認める薬師の元へ行けば、何かの糸口が掴めるかも知れない。それに、本当にこの町が辛くなったら逃げ出せる場所ができたのだと、少しだけ心が軽くなった。
家を出たいわけではない。両親も兄もノーマもいる町。心穏やかに過ごせるならわざわざ出て行くことはない。
成人するまであと少し。そう思っていたある日、それは起きた。
その日は朝から母親が高熱を出して家の中が慌ただしかった。
最近はずっと体調が落ち着いていたのでマイラも気兼ねなくノーマの元へと通い、もしかしたら母親は回復したのではないかとさえ思っていた。しかし高熱を出して額に脂汗を浮かべて苦しんでいる母親を見ると、決してそうではなかったのだと痛感する。
ノーマの調合する魔法薬を飲むようになってから母親の体調は随分と良くなった。しかし魔法薬は弱った体に少しだけ元気を与え復調を促進するだけで、病因を絶つものではない。ノーマの魔法薬は特効薬ではないとノーマ自身が言っていた。
母親の側について食事の介添えをしたり、医者の言う通りに薬を飲ませたり、目が回るよう一日だった。そのためギルの不在に気づいたのは夕方になってからだった。
嫌な予感がする。
マイラの背筋に冷たいものが走った。
家中を捜しても、庭や倉庫を見てもどこにも姿がない。こんなにもギルの姿が見えなかったことなど、未だかつてなかった。
早く捜さなくてはとマイラの気は急いて、街中だけでなく町外れのノーマの家も訪ねたが、そこにもギルの姿はなかった。
ノーマの家の少し先に野犬の棲みついた森があるが、賢いギルが危険のある場所へ行くことは考え辛かった。森の入り口だけ確認したら街中へ戻ろうと思っていたマイラの視界に人影が映った。
「ブレンダン?」
陽が落ちた薄暗い森を背景に、ブレンダンの緑色の目がギラギラと光を纏っている。
口元に嫌らしい笑みを浮かべ、あの時と同じ顔をしたブレンダンが木の陰を指さしている。母犬たちが殺されたあの日と同じ顔だ。
「ギル!!」
そこでマイラが見つけたのは狼用の罠に足を捕られ、逃げられないところを襲われたギルの死骸だった。腹を喰われ、見ただけで絶命していると分かる無残な姿に、マイラはその場に立ち竦むことしかできなかった。
マイラが我に返ったのはしばらくしてからだった。ギルの血で汚れることも厭わず、泣きすがりながらギルの四肢をかき集めた。
可愛らしくマイラに触れた前足は、無残にも噛み砕かれている。
千切れんばかりに振っていた尻尾は、本当に千切れていた。
マイラを見つめる優しい目は、濁って虚ろに見開かれたままもうマイラを見ていない。
ギルにすがりついて泣くマイラを、ブレンダンが満足そうな顔をして見下ろしている。
「可哀想にね。マイラに飼われなかったらもっと長生きできたのに」
泣きじゃくりながらブレンダンに殴りかかろうとするマイラを見て、ブレンダンは愉悦の表情を浮かべた。
中性的で男らしさなど持ち合わせていないブレンダンだったが、マイラとの力の差は歴然だった。ブレンダンに軽く手首を掴まれ、マイラの動きは封じられた。
「あなたが死ねば良かったのに!」
「賢そうに見えても所詮は犬だね。簡単に捕まったよ」
少しでも安らかに眠れるように、マイラはギルを母犬や兄弟の眠る庭の隅に埋めた。もうとっくに朽ちて土に還ってしまってるが、きっとギルを温かく迎えてくれると信じたかった。
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それから数ヶ月後、ブレンダンを微塵も疑うことのない父親と兄は、事もあろうにマイラとブレンダンを結婚させると言い出した。マイラは絶対に嫌だと反対したが、マイラの悪評を鵜呑みにした二人はそれが最良だと信じて疑わない。
家を飛び出したマイラの前に現れたのは、マイラが親友と思っている少女だった。ブレンダンと婚約させられそうと言う話を涙ながらに語ると、目をつり上げた親友がマイラを詰った。
「ブレンダンは私の恋人よ! そんなの絶対に許さない。だって私のお腹にはブレンダンの赤ちゃんがいるのよ!」
マイラの目の前が真っ暗になった。親友にはブレンダンを苦手としているという話をしていた。ブレンダンに目をつけられて親友に迷惑がかかってはならないからと直接的な話はしていないが、理解しがたい相手だと吐露していた。
ブレンダンの恋人?
妊娠しているかもしれない?
最近、誰にも言っていないことをブレンダンがマイラに匂わせることがあり、不快に思うことが増えていた。まさか親友経由でブレンダンの耳に入っているとは思ってもみなかった。
親友とブレンダンは本当に愛し合っているのだろうかと、マイラの脳裏に疑惑が浮かぶ。
ブレンダンはマイラを目の敵にしていて、マイラの嫌がることばかりをする男だ。マイラへの意趣返しのために目をつけられたのではないか。
そんな心配をする必要がないことをすぐに思い出し、乾いた笑みを浮かべた。
同世代の友人たちと人間関係が上手くいかないことや、ブレンダンとの微妙な関係を相談し、慰めてくれた優しい親友。マイラはまた大切なものをブレンダンのせいで失ったのだ。
マイラはもうこの家にはいられないと、家を捨てることを決意したのだった。
マイラももうすぐ十八歳。約束の年齢になる。
そうして、かねてより計画していた修行という名の家出を実行した。母親にだけは家を出ることを伝え、あくまで動機は薬師としての見聞を広げるためだと言い張った。
ブレンダンのことを話したいと何度も思ったが、父親や兄ですらマイラの話を信じてくれなかったのだ。母親にまで信じてもらえなかったら、本当に絶望してしまいそうだった。
心労をかけてはならないと、母親の前では明るく楽しげなマイラを装い続けたため、今更心境を語ることも憚られた。
母親が気に病んで体を壊すことがマイラは何より怖いのだ。
万が一信じてくれたとしても、ブレンダンにいいように陥れられ、町の人に蔑み笑われている惨めな姿を、知られるのが恥ずかしかった。




