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懐かしい足音が消える前に  作者: 新在 落花


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13/31

13.どこかで見た光景(2)

 怖い。


 ブレンダンだけがおかしいのだと思っていた。ブレンダンから逃れられれば、大丈夫なのだと思っていた。

 でも、違っていた。


 ウォルトもおかしい。ウォルトの周りにいた人達も普通じゃない。

 でも、もしかしたら皆が言っていたように、おかしいのは自分の方なのかもしれない。



 何度も人にぶつかりながら、マイラはウォルトから逃れようと走った。


 人混みを避け、賑わいから離れようと闇雲に走ったため、マイラは今自分がどこにいるかが分からなくなっていた。


 周りを見渡すと、近くを流れる水路に沿って煉瓦造りの家が建ち並んでいる。いかにも南の町並みらしい風情だ。


 知らないものを見て別の感動を覚えたことで、少しずつ動揺も収まりつつあった。

 

 人家の間の道を歩いていると、坂の上まで続く石段が現れた。町を見渡せる場所へ行こうと、息を切らしながら石段の上まで登ると高台に辿り着いた。


 北の町とは明らかに違う風景に、思わずマイラは感嘆の声をあげる。

 町の中を水路が通り、その遙か向こうにはわずかに海が見えた。そして、密集した住宅群はこの町の住民の多さを物語っている。


 それに比べて、マイラの住む北の町は周りを山と緑に囲まれた自然豊かな町だ。近くを王都まで繋がる街道が通っているため、廃れてはいないが南の町ほど栄えているわけでもない。

 冬の寒さは厳しいが、それでもマイラはあの町が好きだった。


 やっと手に入れた自分だけの家。あの家にはマイラの居場所がある。

 早くマイラを知らない人達ばかりがいる場所へ戻らなければ。


「宿はどっちに行けばいいのかしら」


 宿屋に戻ってすぐにこの町を発とう。そう決意して振り返ったマイラの前に、知らない女が立っていた。


 初めて見る女だった。しかし赤毛を結い上げた女は、マイラに向けて淀んだ仄暗い視線を向けている。

 通り道を塞いでいただろうかとマイラが横に避けると、女も横に動いてマイラの行く手を阻んでくる。


「……なんでしょうか?」

 

 眉をひそめたマイラが赤毛の女に問うが、女はマイラを何も言わず睨みつけている。訳の分からないマイラと、見知らぬ女の間に不穏な空気が漂っていた。


「ずっと捜していたのに、ウォルトをどこに隠していたの? ウォルトを私だけのものにして、私だけが愛されるはずだったのにどうして?」


 ウォルトがいなくなっていた理由を知っている女といえば、一人しかいない。ウォルトを獣に変える魔法をかけさせた粉屋の娘。


「あなたがアビーね」

「私のことをウォルトに聞いたの?」


 マイラが頷くと、アビーは更に目を吊り上げた。

 誰とも親しい間柄にならなかったウォルトが連れている同じ年頃の女。


 一体何が自分と違うのか。


「あなたウォルトの何なの? ウォルトが私のことを話すくらい親しいの?」


 アビーがじりじりと距離を詰めると、マイラはそれに気圧されて少しずつ後退する。マイラがはっと気づいた時には、アビーによって石段の端まで追い詰められていた。


「マイラ! 危ない!」


 その声が聞こえたか否かというところで、アビーは両手でマイラの肩を勢いよく突き飛ばした。


 不安定な場所に立っていたマイラは、肩を押されたと思った時には爪先まで宙に浮いていた。

 声をあげる暇もなく足を踏み外し、背中に何か柔らかいものにぶつかった衝撃で目の前にチカチカと光が散った。


「……っ、殺す気か!?」


 マイラの耳元で聞こえたのは、ウォルトの声だった。



-----



 走り去ったマイラを追いかけたウォルトだったが、人の波にもまれて思うように追いつくことができなかった。


 マイラが走り去った方向と、マイラの慎重な性格を考えて、きっと自分から逃げるために人混みとは反対の方へ行ったと仮定した。


 マイラは明らかにウォルトに怯えていた。

 関係は上手くいっていると思っていただけに、あんな見たこともない目で見られたことに動揺して出遅れた。周りの女達が何かしたかとも考えたが、マイラが見ていたのはウォルトだった。


「今ギルの嗅覚があれば、マイラを追えるのに」


 ウォルトがマイラだったなら、日が暮れてから宿に戻る。その頃にはギルになって、宿屋を出るのも馬車へ乗るのも、犬の姿ではマイラの邪魔ができないからだ。


 人でいられる内にマイラを捜さなくては。


 マイラの姿を見失った場所から広めの路地へと入り、市から遠ざかるように歩を進めた結果、辿り着いた先は水路近くの住宅街だった。


 見たところマイラの姿はない。

 方向を誤ったかと思っていた時、石段を登る赤毛の女が目に入った。一度立ち止まって、何かを確認するように上を見上げると、再び石段を登り始めた。


「アビー?」


 すぐにでも掴まえて問い詰めたい衝動に駆られたが、今は構っている暇はないと踵を返した。しかし、気になって振り返ると、アビーを追って石段のある方へと向かった。


「まさか」


 それはただの勘だった。

 アビーの実家の店はここから離れていて、この辺りは商圏ではないはずだ。店の手伝いをするようになったアビーがどうしてここにいるのか。

 あり得ないことではないが、何かが引っかかる。


 あれだけウォルトに執着していたアビーが今追っているもの。

 ウォルトが今見失っているもの。


 露天を回るウォルトとマイラの姿を、アビーに見られていたのではないか。


 石段を駆け上るウォルトは、石段を背に立つマイラを目にして凍りついた。


 石段の急な勾配が幸いして、マイラの陰に隠れたウォルトはアビーからは見えていない。しかし声は聞こえるので、マイラの向こう側にアビーがいるのは間違いない。

 あと数段でウォルトの手がマイラに手が届くというところで、アビーはマイラを突き飛ばした。


 目の前に落ちてきたマイラをすぐ後ろにいたウォルトが受け止めたが、落ちてきた人一人を受け止めた衝撃で階段を踏み外したウォルトは、壁に背を打ちながら石段の途中にある踊り場に倒れ込んだ。


 マイラを抱き止めたまま尻餅をついた体勢で、地面に倒れたウォルトの耳に聞こえたのは、マイラの小さな悲鳴だった。


「ウォルト!」

「近づくな!!」


 石段を駆け下りてウォルトに近寄ろうとするアビーに、ウォルトが声を荒げた。それでも手を伸ばそうとするアビーからマイラを庇うと、ウォルトはその手を叩き落とした。


「その手で触れるな! 殺す気か!」


 ウォルトの怒声にびくっと肩を震わせたマイラに気づいたウォルトは、青い顔をして半ば放心状態のマイラの顔を心配そうに覗き込んだ。


「痛いところはない?」

「……ない」


 かけられた声にどうにか返事を返したマイラは、どうにか状況を把握して弱々しく頷いた。安堵のため息を吐いたウォルトは、マイラの後頭部に手を添えて自分の胸へと抱き寄せた。


「どうしてその女を庇うの? 私を愛したら魔法は解けるのに」

「魔法なんて本気で信じてるのか?」


 ウォルトが小馬鹿にしたような口調で問うと、動揺した様子のアビーは忙しなく目を動かしている。


「だってあの男が言ったもの。ウォルトが欲しいなら魔法をかけてやろうって」

「騙されたんだよ。それを愚かにも信じた結果がこの有り様だ」


「あの男は本物よ! ウォルトをうちの猫に変えて閉じ込めればいいと言ったもの。あの夜、ウォルトは魔法でうちの猫の姿にするつもりだったのよ」


 ウォルトの胸に身を寄せてたマイラは、顔を伏せたままウォルトとアビーの会話をじっと聞いていた。


「だったら今すぐその詐欺師を呼び出してみろ」

「無理よ。呼び出してもあの男は、夜にならないと姿を現さないもの」


 もう一度アビーが伸ばした手を、ウォルトは容赦なく強く叩き払った。

 叩かれた手を押さえながら絶望的な表情を浮かべたアビーは、ウォルトに守られたマイラを睨めつけると、石段を駆け下りていった。

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