ああ、美術館に行きたい。行きたいけどさ。
なんか変なの書いたなぁ、とは思ってる。
先に述べておくが、作者の「美術」に関する才能は皆無だ。
小学校の図工の成績は木工とか日曜大工的なものが好きな事もあってそこそこの成績だったが、純粋に科目として「美術」と区分けされた後、中学3年間での最高成績は3だった。
高校の選択授業で美術を選んだのはもう一つの選択肢である音楽がそれ以上に絶望的なほど才能が無いということからくる消極的選択だった。
という前提があるのだが、美術館が好きだ。
あの皆がいそいそとその展示に向かっていくあの空間。
あれが本当に好きだ。
田舎の人間なものであんまり地元でコンスタントに有名な美術品を見る機会は多くはない。そのうち地元の県立美術館で開催される展覧会で興味を惹かれるものとなると本当にまれなケースで、しかも全国をぐるぐる回る循環展示的なタイミングでついでに、みたいな。
しかも時には、ネットの表記で「一部のコレクションの展示はありません」と注釈がつくこともある。
あれは、ちょっとだけしゅん、と気分が落ち込む。○京のあとに○古屋とか○岡の会場名は無印なのに、我が地元とかだいたい同クラスの規模の地方の会場名だけフォントの小さな※がついていて、その下に「一部のコレクションの展示はありません」と注釈がついている。
いや、地方のちっちゃな美術館に来てくれるだけでありがたいのは事実。
それは判っている。
搬送の手間とか実際のセキュリティの度合いとかなんか色々あるんだろうとは思う。客の入りとかそういうのもあるのだろう。
でもやっぱり見るのなら全部見ておきたいじゃないか。
根が貧乏性なもので、もしかしたら見れなかったものがすっごくイイ感じの絵だったりツボだったりするのではないかという不平等感を感じてしまう。……おのれ、トカイジン。ズルいぞ、ちくしょう。
というわけで本屋で美術展のスケジュールの載った本を立ち読みして(そこは買えと言わないでほしい)、目ぼしい興味のある、そして何より有名な(ここが大切だったりする)展示品が出てくるものを覚えておく。
そしてちょっとした用事が都会であるタイミングに一緒に出張るのだ。
やはり都会の美術館でないと、有名どころの海外美術館は展示品を貸してくれないのだろうか。……そういう所でズルいなぁ、羨ましいなぁというトカイジンへの沸々としたモノを心の奥底に頑張って押しとどめる。
そんな訳で“ちょっとした用事”はものすごく真面目に取り組む。
心置きなく美術館に行くために、この時のモチベーションは平均約一割増だと自認している。明日は休みだ、という金曜日の終業前一時間に匹敵するクラスのモチベーションだ。
そのモチベーションのままその用事を片づけ、ビジネスホテルに宿泊。そして就寝。
この時に夕食無のビジネスホテルの宿泊時にふらりと出かけためし屋について、というのを書きかけたが今回のお話とは違うので省く。
夕食後に軽くコンビニでカップ麺とおにぎりとお茶とかを夜食で買い込んで、大人しく寝る。翌朝は早い。
朝起きてシャワーを浴び、眠い目をこすりながらチェックアウトの用意をする。
開場の時間は前日に調べて、それのちょっと前に着くように電車も調べておく。
朝ごはんはビジネスホテルの朝食か、素泊まりならば駅の立ち食いそばや牛丼屋の朝定職で……というのも今回の話題とは違うので省く。
チケット売り場で並んでいる時間もすさまじい行列でなければ結構楽しい。なんというかその待ち時間もワクワクする。
チケットを買ってエントランスに入るとちょっと空気が変わる気がする。美術品の保護とかの観点で空調設備がすごいんだろうな、という独自判断だが正しいかどうかは知らない。展示会場だけがイイ感じに調整されて、エントランスはそうでもないというのだったら、勘違いで恥ずかしいのであんまり深くは調べていない。
がらごろと転がしてきた荷物をコインロッカーに放り込む。
さて、会場に入る。
その前に音声ガイドの貸し出しがある。
基本は借りていくことが多い。
とはいえ、美術知識もないもので長くても一週間程度で一切覚えていないような状況になるのではあるが。
でも、会場内を回るときにどの辺りを見たらいいのかを伝えてくれる音声ガイドのイヤホンを耳に突っ込みぷらぷらと会場を回る。
楽しい。
美術品をぼーっと眺めて、まばらな人の流れに乗ってぷらぷら。
楽しい。
基本的には騒ぐような人間もいないし、話し声もみんなひそひそ声で規律ある感じがいい。ときおり、家族連れの子供が声を出したりすることもあるが、個人的にはあんまり気にならない。
人がたむろっている美術品の前は音声ガイドの説明があることが多い。
ぽち、とその番号を押して説明を聞きながらそれを鑑賞。
説明の中で「左の机上の果物のみずみずしさが~」と言われてそちらを凝視。同じような顔で同じように見ている人間が多くてなんとなく安心する。
固まって鑑賞するので、友人同士できたおばちゃん達とか、老夫婦とか若い学生さんとかのトーンを落としたひそひそ声が自然と耳に入る。
この絵が好きだな、この前のヤツのほうがきれいだ、よくわかんないけど高いのかな、とか。
自然と小さく耳に入ってくる。
時には自称詳しいぜ俺、みたいなおじちゃんとかおばちゃんとかが連れに説明しているもの見かける。
自分の考えと同じだったりちがうそれらを聞き流しながら、自分の気に入った絵や彫刻や装飾品などを眺めていく。
その作業が楽しい。
そんなこんなで展示を見ていく。
まあゆったりと見ていくわけだが正直足が疲れる。
そんな所で丁度いい場所に広めの展示室、そして真ん中にソファ。
どっかりとすわり入り口でもらった展示品の一覧リストを見てちょっと休む。
どれが好きだったかなー、と思い出すが正直あんまり覚えていない。絵や装飾の印象だけが残っていて、あんまり名前では覚えていないからだ。
それでもあれとあれは好きだったな、と思い出すくらいのニワトリ以上の記憶力はある。
ソファに備え付けられた展示会の本をパラパラとめくって手元の紙と見比べて、どれだったかを思い出す。
人がゆっくりと順路に従って流れていく中でそこだけが少し違った空間で、その違和感が面白い。
休息を入れて再びのふらふらと流れに戻る。
同じように展示品を眺め、立ち止まり、凝視し、ぽかんと絵の美しさや大きさや、現代と違う服装や光景に感心したりという時間を過ごす。
美術館で絵を見たい、と言った時に別に写真でいいじゃん、検索すりゃあ一発だし、という人が一定数居るのは知っている。
だが、その検索した絵は実寸大でないスマホかタブレットのサイズで、すこし斜めから眺めることもできないし、照明の当たり具合がどうなのかという確認もできない。
有名な絵が、こんなにデカい!? と驚いたり、逆に、うわぁ、こんな小さいの!? という驚きは結構ある。
有名どころの絵でそれを体験してみてほしい。
同じ感想を覚えた人と、その話題だけで結構何度も面白がれるという経験は得難いと思うのだ。
さて、そんな時間をぷらぷらと一時間半くらい過ごす。展示会の大きさにもよるが、都会の美術館だとこれくらいが平均だったりする。
人によってはそんなに長く、と言われるし別の人からはもっとじっくり見なよ、と言われる。
まあ、これに関しては個人のスタンスもある事なのでご自由に、という感じか。
それで、見終わったあとは大体、昼飯時。
殆どの場合、美術館の中にあるレストランに向かう。
昼飯を書くのは今回の件とは違うので省く……ということはしない。
これは「美術館の」レストランのお話。
皆が並んでいることも多いレストランだが、おとなしく座って順番を待つ。
どうしても腹が減って仕方ないなら外に出てしまうが、よほどひどい人数でなければ待つことにしている。
美術館のレストランのご飯は美味いと思う。正直、あまり外れを引いたことは無い気がする。
まあ分母が増えれば外れの一、二回はあるのだが。
とはいえ、何度か訪れている場所なので心配はしていない。多分、美味しいランチが食べれるはずだ。
順番が来て案内された座席に座る。
この時はラッキーなことに美術館の中庭が見える窓際のカウンタータイプの席に案内してくれた。
内心でよし、と小さくガッツポーズ。
老若男女どころか多国籍な人も対応しているウェイター・ウェイトレスさんの接遇スキルはめちゃ高い。忙しいだろうに丁寧に案内してくれるので、待っていた時間もそれでオールチャラになる気がする。
着席してメニューを見る。
若干お高めの値段帯、千円越えからがざらだが、経験上それに見合うものが出されるのだから別にオッケーな気分。
こういう時に深く考えるよりもきっと、おすすめランチが満足度が高くなるというのも経験だ。ビーフシチューとかそういう高い物もあるにはあるが、もうすこし気楽にいけるところをチョイス。
注文をして待っている間に水をちびちびと飲む。
レストランの待ち時間ほど暇なものは無いのだが、そこは美術館のレストラン。そして幸運にも窓際の席。
外の庭をぼーっ、と眺めて水をちびちび。スマホとかそういうのをイジって時間を過ごすよりなんか有意義な気もする。
むしろそういうデジタルを気にしない時間もどこか心に安らぎを与えてくれるのではないか。なんかよくわからんのだけど。
春なら木々の芽吹き、夏にかけては青々とした緑が。秋には色づく季節の流れで、冬はどこか枯れた風情がある。庭の木々の配置とか剪定とかもきっと名の知れた人が担当しているのだろう。作者はまったく知らんのだけど。
でも、なんかよくわからんけど良いな、という感じで楽しませていただいている。
そんなことで時間を潰していると、ウェイターさんが水のお替りどうですかと言ってくる。
忙しいのに申し訳ないと思いつつ。お願いしますと注いでもらい、またちびちびと。
そうしているうちにランチが届く。
ワンプレートに、刻んだベーコンと玉ねぎいりのコンソメで炊いたライス、メインとして切り分けられたローストビーフ、付け合わせの野菜が乗っている。
スープと小鉢のミニサラダ。そして一緒に持ってきてと頼んだ紅茶のポットとカップ。
頂きますと手を合わせ、プレートに取り掛かる。
前述した老若男女、多国籍にという配慮からかすこし薄めの味付け。そして成人男性としては少し量が少ないかというボリューム感。
でも、これがいい。
ちょっとだけいつもと違う背伸びした感のあるお料理をバクバク食うのではなく、少しずつゆっくりといただく。
時間をかけていただくことで、いつもの雑な食事で感じる前に胃に直行して感じられないやさしい味付けを十二分に感じることができる。
柔らかくそして絶妙なバランスで炊かれたコンソメのライスを一匙一匙。
ローストビーフを一切れ一切れ。スープも直接カップに口をつけず一匙一匙。
昼時で混み合っているのは判っているが、せっかく遠出して頼まないような料理をそうそう得難い風景を眺めながら食す機会は大切にしたいのだ。
そうしてゆっくり丁寧に残さずランチを頂き、紅茶を啜る。
一切本質は変わっていないのだが、ちょっとだけ自分が上等になったかのような錯覚を覚える。まあ、ランチ一食でそんなに変わろうはずはないが。
腹八分目、いや七分目後半くらいの状態で満足しつつレストランを後にする。
そしてグッズコーナーだ。
ただし、この順番は時と場合によって変わる。
企画展の際にはその企画展のチケットを持っていないと購入できない場所に設置されていて、再入場不可となっていることも多い。
その時は先に購入する。
この時に買うのは基本ポストカード。
ブ厚い本も置かれてはいるが正直その本を持って帰る労力を考えると手は出しにくい。都会暮らしだとそうでもないのだろうか。……おのれ、トカイジンど……、いやここでやめておこう。
自分の中でなんとなくぷらぷら展示会場を回っていた時にピンときたものをチョイス。
大体三枚から五枚程度。溢れて十枚くらいになったらそこから厳選する。
美術的な知識は無いとはいえ、良いなと思ったものはやっぱり自分でも知っているような有名な人が多い。聞いたことのない人でも後で検索すれば有名人。
とはいえ展覧会に貸し出されるレベルの作品だから当然ではある。
そして買ったものを手にエントランス。
コインロッカーから荷物を出して、あとは帰るだけ。
がらごろと予約してあった時間の新幹線に乗り、自宅へと帰るわけだ。
そしてその新幹線の中で、夕食の駅弁をパクつきながらポストカードを取り出して、なんとなくその時の感じたことを反芻する。
正直この時にはもう若干みたもののうち数点は記憶から消えているような気もしている。
まあ常設展も含めて百点以上見て回ればそういうこともある。あるよね、皆さんも。……そう信じている。
と、いう美術館の楽しみ方である。一般的であるかはちょっと自信は無いけれども。
美術館に行きたい。
そりゃあ行きたいと思います。
緊急なんちゃらとかを一切気にせず都会へと向かい、休業要請とか観客制限で事前予約などしなくてもチケットカウンターでそのままチケットを買って、ソーシャルなんちゃらと文句が出なくなって美術品の前にみんなの感想がもれ聞こえる距離で集まり、レストランやグッズコーナーでワイワイやりながらお土産を買い、新幹線で何も気にせず駅弁をパクついて帰りたい。
でも、そんなことどうやったって、できんわけです、今。
だからもの凄いため込んでるんです、美術館欲という感じのこのもやもやを。
んなわけで、このモヤモヤを爆発させてやろう、と頭の中で計画中。色々と難しいアレコレが片付いてどうにかいい感じに日常が戻ってきた後にそりゃあ一気にドッカンと。
滞在時間を二時間くらい、ランチも少し高めのワンランク上のメニューを頼み、グッズもポストカードを十枚くらいに不思議なキーホルダーを。帰りの駅弁を豪華に、という選択肢のほかに、夕食を二館目の美術館のレストランでという美術館の梯子すら計画して。
盛大に散財して美術館を楽しんでやろうと思っておりますよ。
神様でもないから色んなものがきっちり解決するかどうかはわからないですけどね。
でも、そうなったときにはいつでも走り出せるように気持ちだけは準備万端で。
美術の才能も知見もありゃしないけれども。
美術館が好きなんで。
美術館を楽しむ過程のその全部が。美術に詳しい人には変な顔をされるかもしれない、正しくない楽しみ方と言われるかもしれないけども。
何もわかってやしない人間だけども。
いろんなことがきっとどうにか片付く日がくるんだと、きっちり耐えに耐えて大丈夫だ、今日からはオールオッケーだぜ、と言われる日が来るんだと信じて。
俺は、都会のおっきな美術館に行く日を心待ちにしている。