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秋の桜子の物語集

王太子妃殿下の秘め事

作者: 秋の桜子

 季節は巡る。花が終わり濃き緑の木々が赤に黄色に染まる。やがてハラリハラリと葉を落とし丸裸になると、カラカラと乾ききった木の葉が道を踊る様に走り回る。


そして濃い鼠色の綿を重ねた様な空から、白い花弁がはらひらと舞い降りてくる。


 しんしんと、音飲み込み積もる雪。


 ある日は荒れ狂う凍り風に混じり轟々と音立て、龍がうねり踊るが如く雪が風に混じり形を作り、天も地も全てを真白に染め、暮らす人々を内に閉じ込めるこの国。


 季節が移ろい太陽がようよう顔を出す日が続き、チョロチョロと耳に水の流れる音がし、眠りし花々が一斉に芽吹き(かんばせ)を綻ばした時が訪れた頃。


 約束されていた祝いの日の到来。


 麗らかな風の元、キューピトと燕尾を着込んだ恋告鳥を伴い、王太子妃にと選ばれ輿入れされた、海を抱き冬でも花咲く領地で育った姫君。


 石造り、天窓にはステンドグラス。大聖堂で厳かな式が執り行われたのは、生真面目な王太子が、まだ声変わらぬ少年の年、初夏だというのに、国のどこもかしこもヒヤリとした空気に満ちている事に内心驚いている姫君が、まだ少女の頃。


 二人は神の祝福を得て夫婦になる契約を交わした。厳かなパイプオルガンの旋律と、聖歌隊の歓びの歌がアーチ状の天井に響いた。


 城に続く大通りには集められた花が撒かれ、民は晴れ着を着込み馬車が通るのを今や今やと待っている。目ざとい商人達が出した屋台には、パチパチと油がはねるソーセージがジュウジュウと音立て焼けている。この国の祝い菓子である、蜜漬け林檎とプラムケーキには、雪の様な粉砂糖がたっぷりと振りかけられている。


 ガラガラ……轍の音。歓声と色とりどりの花びらと、空には燕尾を着込んだ恋告鳥が、華やかな地を眺めつつスイスイと気持ち良く舞っていた。


 それから数年が過ぎ……。



 王太子は、些か気が弱く色恋に疎いが善良な青年に、

 王太子妃は、夫を支える賢明な貴婦人に成長をした。




 ――、春朧の柔らかな月光差し込む夫婦の寝室で、夫たる王太子が寝間着姿で頁をめくりつつ、これまた白いレース飾りの寝間着をまとい、何時もの席にて書をめくっている王太子妃に、気にしている事を問いかける。


「……、妃は私の事をどう思う」


「藪から棒に何なのですの?」


「今日の舞踏会の事だ。爺がエスコートしていた赤い髪の令嬢は、君に仕える侍女のジェシカだろう、確かに側室をと言われているが、まさか妃にまで勧められるとは、思いもしなかった」


 夫は窓辺にある柔らかな安楽椅子に座っている。文字を目で追いつつ今宵、母親である王妃がごく親しい者ばかりを呼び集め開いた、今宵の舞踏会での出来事を言い出した。


「側室をお勧めした訳ではありません。下世話な想像はおやめくださいませ。今宵は内々の舞踏会でしたから、王妃様(お義母様)のお許しを得て、わたくしの手持ちの衣装で、可愛いジェシーを飾ってみただけですわ」


 妻は彼女の夜会服姿を思い出しつつ答える。読みすすめる『淑女における貴婦人たる道』。明日迄に読む様、女官長から手渡された書籍はまだまだ先が長い。


「何故そのような事を」


 夫は妻に問いただす。彼もまた、明日までにと、ドンファンとして名高い騎士団長から手渡された『新しき世界への導きの書』を読むのに忙しい。


「彼女は良くわたくしに仕えてくれておりますもの。同じ年頃、美しいドレスを着てみたいと思うのは、女のサガでしてよ」


 とは言いつつ、妻はひやりとする。何故なら着てみたいではなく、色とりどりに数多く仕立てられている襟ぐりが大きく開かれた流行りの夜会服を、ふっくらと色白で、胸元に神から与えられし、柔らかなる天然渓谷を持つジェシカに、妻が着せてみたかったからである。


 ……、ああ、よく似合っていたこと。ふう……、


 その姿を思い浮かべると、満足に満ちた気分と併せ、少しばかりチリリと心が焼け付く妻。さり気なく自分の胸元に手を当てたのだが、些か寂しさを感じてしまう。ペラリとめくると……。



『豊潤な大地の女神から与えられし胸の盛り上がりは、豊かな愛の証、薔薇のエキスを落としたミルクで、きめ細やかになる様、日々の手入れを怠ることなかれ』



 ……、はう。神に与えられていないわたくしは一体、どうすればいいのかしら。夜会服は特別製のコルセットで寄せて上げて谷間を創り上げているというのに。


 締め付けがキツくて、苦しくて苦しくて大変ですわ。日中のドレスは幾分マシですが、代わりに胸元が覆われているのをこれ幸いに、足らずを詰め物される始末。ここが寒い土地で良かったのですわ。領地だと汗で蒸れて大変な事になりましてよ。


 ペラリ。頁をめくる妻。


『渓谷を作りし膨らみには、殿方の尊き夢と希望が詰まっていると、思われている。夢見て壊さぬ様、底上げ寄せ胸、詰め物等は気が付かれぬ様にする事』


 ……、尊き夢と希望!わたくしのコレが殿下に知られたらどう致しましょう!そろそろお世継ぎをと言われておりますというのに、ああ!知られるのは時間の問題ですわ。呆れられるのか、それとも……、女と認めて下さらないかもしれない。



 本を持ち上げ口から下を隠す妻。夫に分からぬ様、こっそりと溜息をもらした。



「そんなものなのか?」


 妻の秘めやかなる悩み等気づかない夫。


「ええ、そんなものでございますわ」



 あっさりと答を返した妻。しかしその表に出さぬ心中は何故か絶望的になり、ハラハラと涙を流している。


 未だ兄妹の様に並んで眠る妻のあっけらかんとした顔を見ると、夫は自分の考えがなんとなく、薄汚れたものだと感じてしまう。周囲からそろそろお世継ぎを……、と無言の圧力を彼は受けている。


 そして……裏で蠢く者達。


 舞踏会で、茶会で、晩餐会で……、あわよくば側室にと家運を背負う令嬢達が、これみよがしに飾り立て、豊満なる胸元を殊更強調し、虎視眈々と夫の周囲でざわめいている。


 ……、そろそろとは思うのだが、夫婦になって早、7年。出逢いは、私が10才、彼女が8歳の時だった。その時の妻は、日に焼け海の香りがする様な姫君だった……。


 今ではすっかりこの国に馴染み白い肌、すんなりとした細身の躰。まるで朝日を浴び、透き通り七色に輝きを宿す氷柱の様な美しさ。ずっと寝所は共にしているが……、


 何故だろう。襲いかかる様な気がして手を出せん。側室云々より、妻である妃ともその。まだというのに。しかし難しい。難攻不落の城に乗り込む様だ。



『後ろから優しく覆い包むべく手を回し、耳元で甘く愛の言葉を囁くべし』 



 ……、この書物によると後ろから、か。この前、ドンファンに言われ、庭にてこの手を使ったのだが。私の気配に気がついた妃に、みぞおちに肘鉄を喰らわされたぞ、賊と間違えられてな。何が悪かったのか。そんな甘い空気になるものなのか?


 ペラリ。頁をめくる夫。



『身分高き容姿端麗の者であるならば、ひざまずき花束を差し出す、この時真実の愛を誓うべし』



 ……、ふむ。正々堂々、正面突破なのだな。真実の愛?どう言うのだろうか。想いを素直に述べたらいいのか?ふむ……。これならば……。しかし花か。今から用意をさすのには、夜も遅いし不憫だ。


 書物に目を落としている妻に気が付かれぬ様、キョロキョロと辺りを見渡す夫。彼女が席につくテーブルの上に、花瓶が置かれている事に気がついた。これを使おう!人払いしてあったのが幸いなのか不幸なのか……、夫は立ち上がり本能のままに動く。


「…… 殿下、お茶ならばお入れ致しましょう。は?」


 つかつかと近づいてきた夫。テーブルの上に用意されてるお茶を飲むためと思っていたのだが、突拍子な行動に妻はあ然とした。


 彼はズボッ!活けられていた花を花瓶から抜くと、ポトポト雫を落とし、床に染みをつけながらひざまずき、妻に直球勝負のひと言。


「君との子供が欲しいのだ」


「は?」


「初めて出逢った時よりそなたしかいないと思ってる。そろそろ子供を作ろう」


「え?それは、その……、困ります」


 突然の出来事と人払いをしてある安心感からか、つい本音が出てしまった妻。


「……、君はやはり私の事が嫌いなのか!」


 絶望の声を上げる夫。彼もまた、二人きりの空間の魔力に取り憑かれている。侍女も侍従も居ない室内。扉一枚向こうには護衛達が控えているのは別にして。


 彼は常々感じていた。舞踏会で共に踊る時、夫が相手の時のみ、こっそり溜息をつく妻にもしや嫌われているのではないかと。


「いえ、その様な事は決して御座いません!ただ、その、……つまり……、」


 困惑の声を上げる妻。赤くなり本を閉じ持ち上げ顔を隠すと、モゴモゴと口籠る。何時もとは違う風情を目の当たりにした夫は、何か隠し事でもあるのか?と聞きただす。


「か、隠し事……!」


 淑女としての恥など、言えぬ妻は言葉に詰まる。死んでも言えませんわ!寝る時以外は詰め物をして、寄せて上げてるなんて……、舞踏会の時は締め付けが苦しくて、殿下の前では、失礼は重々承知で密かに休息しているなんて……、知られでもしたら……。


 貴婦人としてのプライドを妻はどう守り答えるか、全力で考える。


「私と踊る時は誠につまらぬ様子、時折、溜息を漏らす事にも気がついている。そんなに私の事が嫌なのか?誰が他に想う男がいるのか?それとも領地に置いてきたのか?」


 言葉に詰まる事などついぞ無かった妻に、もしやまさかとの疑念が生まれた夫。深く愛している為に彼の想いが爆ぜる。


「他に男等!聴くだけでも耳の穢れ!殿下はわたくしをそんなふしだらな女と思っていらっしゃいますの?」


「ほう?違うと言うならきちんと答えなさい」


 攻めから引きに入った夫。ここで言うべきか、言わぬべきか……、妻はさっと頬に朱を上らせ、透き通る光を宿す瞳で夫の視線を受け止める。その(かんばせ)に心を奪われそうになる夫。


「それは。そう。殿下におかれては、大人にならないと口に出来ないチョコレートを隠れて食され、鼻血が出ること数回」


「はい?」


「他国の気高き姫君が(テンプル)の牢獄塔に幽閉されても、そこを彷徨う賢き亡霊達に教えを請い、後に外に出、立派な女王となられたお話を聞きしばらくの間、幽霊恐いと夜泣きをされた事」


「ちょっと待て妃よ」


「その恐い夢のために、とおにもなられておね………」


「うわぁァァァ!やめろ」


 立ち上がり花を振り回しながら、妻の暴露話を遮った夫。妻はその花をお受け取りしましょう、と柔らかな白い手を差出す。


 それを花瓶に活けつつ話す。真白い色。重ねられた花弁、芯にしどけなく薄紅を宿す大輪の花を触りつつ背を向け語る彼女。


「という風に、人には知られたくない秘密があるのです。殿下」


「……、そなたにもそういう事があると?」


 夫は彼女の背を眺める。軽くまとめ結い上げているせいで、ほっそりとしたうなじが目に留まる。少しばかり欲情を感じる彼。そして二人のこれまでを思い浮かべるのだが、妻に関してそのような事は一度も無かったような……、彼女は年若くとも、思慮深く聡明だったと思う。


「妃は賢く、何時も落ち着いており……、何を秘密にしておるのだ?できれば……、その……、教えてくれないか?もし、その事で深く悩んでいるのなら力になりたい」



 ……、くっ!そうきましたの!きっとうるうるとした瞳でこっちを見ておられますわ!感じますもの。教えろと?ああ!でもこの先を考えると……。



 妻は慎ましやかな丘陵に手を当てる。触れれば分かってしまう。ここは言うべき時が、と振り返れば案の定、こちらをじっと見つめる夫の姿。捨てられた子犬の様に心細げを装うかの様な、哀れさを誘うその瞳。



 ……、二つもお年が上なのに、このあざというるうる瞳は何なのですの!



 どう話そうか、流石に面と向かっては恥ずかしい彼女は嫁に来たばかりの頃、厳しい宮廷儀礼に辟易とした時、大人世界の悪口をヒソヒソと耳元で囁き遊んだ事を思い出した。


「殿下、すこうしお耳をお貸し願いません?」


「ん?こ、こうか?」


 右肩を下げた夫。少しばかり背伸びをし、耳元でこしょこしょと囁く妻。甘い香りとこそばゆさが夫を包む。


 鼻孔から全身を駆け巡るうっとりとする甘い刺激。脳天に届いたそれにあてられ、クウラクウラとする夫。辛うじて堪え自身を立て直す。


「は?舞踏会の折は苦しくて、私の前で休息していると?」


「ええ、それはもう、大変ですの。でも皆様の前では笑顔でなければ……、ですからつい甘えてしまい……」


 一度離れると真っ赤になりながら話す彼女。


「そんなに大変なのか!」


「わたくしだけだと思いますの。その……、神から与えられておりませんもの。きっと南の海にお住まいの女神様はそんな決まり事等、知らないと思いますの。ここでは豊満なる胸は愛情とか……、殿方も、その……、お好きとかなんとか……」


 ……、知らなかった。そうか!他の皆は好きなのか!ああいう盛り上がりが!そう言えば周囲の皆は、形がどうとか谷間がなんとかとか、男ばかりの酒宴になれば必ずどこそこの令嬢のとか、ご婦人の触り心地云々、とか出てきている。


 夫の脳裏には豊満なる胸元を見せつける様な装いの、あわよくば令嬢達の姿が通り過ぎた。何故に寒い冬場でも夜会服は、ああも胸元を開いているのか!と胡散臭く思っていた事に合点がいく。


「そんな事はない!」


 即座に否定をする。申し訳無さそうな妻にそう言い切った夫。


「は?殿下?」


「その……、何だな。毎日毎日、目にしてると、な……。飽きるというか、うっとうしいというか。私も人だ。好みという物がある。嫌いな物もある。うん、そういう事だ。妃は実に私の好みなのだ」


「ここ、好みとは?一体何のお話を?」


 素直な言葉にドギマギとし、これから始まる世界の訪れを予感し、身構える妻。


 近くにいる事をここ幸いと便乗をし、隙をつきヒョイと身を屈め彼女を抱え上げた夫。


『どの様な展開になれど、あとは行動あるのみ、それが新しき世界への導きとなる』


 読んでいた一節が、大聖堂の祝福の鐘のごとく鳴り響く。


「まだ全部読めてませんわ、女官長に叱責を受けます」



 小声で抗議する妻。



「私もだ、ドンファンに怒られる。でも……、こうなったからには、仕方がないと思わないか?それに、……」


 きっと何方も何も言わないよ。子供の時の様に彼女の耳元で囁いた王太子。



 ようやく花開く季節が来ているのだが、暖炉には薪がくべられ、パチパチと火の粉を上げ爆ぜている。寄り添う二人の躰に流れる血潮は、燃え盛る火よりも熱く激しく踊る熱を含んでいた。


 終。


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