それからの顛末を語ろう
そして、あんなにも情熱的な告白をされた後、私と王様に何かあったのかと、問われれば特に何もなかった。
ここまで来ると最早テンプレートと化していて、でもそれは王様の優しさなのだと知っている。
あんな事件のあったすぐで、私に負担を強いたくないと思ってくれたことを。
優しく布団に抱き上げられ、抱きしめられた腕の中は抗い難い誘惑に満ちていて、安心し切った私はそのまま王様の部屋のベッドで眠ってしまっていた。
翌朝、私が起きると状況が次々と変わっていった。
寝ぼけ眼で王様のベッドの上で目を覚ました私は誰もいないその部屋に肝を冷やした。まさか、昨日のことは全て夢だったのではないかと、あの誘拐事件も、王様が助けに来てくれたのも、告白を受け入れてくれたのも…。
そう思うといてもたってもいられず、王様の部屋から飛び出していた。男に押さえつけられた腕も脚も痛むがそんなことを気にしている余裕はなかった。
「王様!」
とりあえず、屋敷の応接間に出て、王様の名を呼んだ。私の声に驚いたのか、ソファに腰掛けていた王様が私の方を向く。臣下の礼を取って床に跪いていたアーサーは目だけを私の方へ向け安堵したように眉を下げた。
何故この2人が向かい合っているのか分からない。けれどそこに確かに存在している王様に私は昨夜のことが現実だったと知ることができた。
私は王様と向かい合う様にアーサーとの間に立った。
整いすぎるほどに整った王様の顔が私を見る時だけほんの少し歪む。それは醜くもおかしげでもなくて、ただただ甘く柔らかい。
安心した私は、王様の前に跪くアーサーに声をかけた。2人の間に険悪な雰囲気はなかったように思えたけれど、アーサーは王様の婚約者であるツェーリア様と想い合っている。それが王様に知られれば、どのようなことになるか私にはわからなかった。だから、あえて、2人の間を遮るように立っていた。
「アーサー、どうしてここにいるの?」
アーサーの目が私を映し、そして次の瞬間すぐに顔を床へと向けた。一瞬だけ見えた表情は、ピキリと瞬間的に恐怖に固まったように見えた。
思わず、王様を振り返る。けれどそこには見慣れた王様の冷徹な顔があるだけ。私は小首を傾げて王様に問う。
「王様、どうしてアーサーがここにいるのですか?」
「……その者が、そなたが拐われたことを俺に教えたからだ。そのおかげでそなたを見つけることができた。その者がおらねば、そなたを見つけるのに更に時間がかかったはずだ。故に、褒美を取らせる為に呼び寄せた」
「そうだったのですね」
そうか。私が拐われた時、誰も私がどこにいたかなんて知らなかったはずだ。何も告げずに屋敷を出たし、たまたま帰りが遅くなって、ということは今までにも何度かあったから、屋敷の人達が私が居ないことに気付くにはもっと時間がかかったはずだった。
私は床に跪くアーサーに手を伸ばし、その手を握った。
「ありがとう。アーサー。また、助けられちゃったんだね」
「大したことはしてない、です。あなたが無事で良かった」
アーサーのぎこちない喋り方に戸惑う。びくりと何故か後ずさる様な様子を見せるアーサーに、私は嫌がられてしまったのかと手を離した。けれど、次の瞬間、私は目を見開く。袖口から見えた腕に包帯が巻かれていたからだ。
「アーサー、それ、どうしたの?怪我?」
よく見てみれば、アーサーの体は固く強張っていた。もしかしたら、腕だけでは無い。全身に痛みが有るのではないだろうか。なかなか視線を上げてくれない為よく見えないけれど唇の端は切れたように赤く頬が腫れている。そして首の詰まった服の首元には僅かに包帯の端が見えていた。
「その者は、そなたが拐われているところを見かけ、あの男を止めようとした。その際に怪我をしたと聞いている」
「そんな…私のせいで」
「違う。レオのせいじゃない。あの男より俺が弱かったってだけだ。そのせいで、レオを守れなくて悪かった」
「アーサー…」
涙腺がゆるむ。思わずアーサーに抱きつきたくなっ た。アーサーの体に手を伸ばした瞬間、王様から声がかかった。
「言葉には、気をつけろ」
低く唸る様な声に振り向けば、王様は私ではなくアーサーを見ている様だ。特段表情は変わっていないが、なんとなく怒っている様に感じた。
「失礼致しました。陛下」
後ろでアーサーは慌てた様に頭を下げる。王様はアーサーが私に気軽に話し掛けているのが気に入らなかったのだろうか。でも、私とアーサーは友達なのだから構わないだろうと思うけれど、それをこの場で口に出すとややこしくなりそうなことだけは分かった。ここには王様の護衛騎士が山程いるし、示しが付かないとか色々有るのかもしれない。
「本題に戻ろう。お前の望みは何だ?」
褒美の話に戻るらしい。私はアーサーを見つめた。アーサーは何を望むのだろうか。王様にツェーリア様との婚約を破棄してくれ、とか?きっとアーサーにとってそれ以上の望みなどないだろう。私の思い違いでなければ、たぶん私が後押しすれば今の王様ならその話を検討してくれる気はした。私に王妃がつとまらないと思っていたとしても、ツェーリア様が王様との婚姻を望んでいないことを、王様は知っているのだから。
「いいえ。私は何もしていませんから。褒美なんていただけません」
「…お前が、いなければ、俺はレオを失っていたかも知れない。望む物がないというのならば、報償金を出そう」
「私は陛下からその様に褒美を与えられる資格を持ちません。しかしながら、もしお許し頂けるのでしたら、陛下にひとつだけ、願ってもよろしいでしょうか?」
「あぁ」
「…では、恐れながら、ツェーリア様を幸せにしてあげてください」
今の今まで、床に目を落としていたアーサーが頭を上げて王様の目を見つめる。そこに込められた意志の強さに私はぼんやりと悲しくなった。アーサーはまだツェーリア様のことを諦めてはいない。それを私は知っている。それでも、アーサーは己がツェーリア様と結ばれることよりも、ツェーリア様が悲しまない未来を王様に望んだ。
「わかった。アーサー・グレイデル、と言ったな」
「はい」
「俺のもとで働く意思はあるか」
「っ!?はい!」
「では、王都で名を挙げろ。その名が俺の耳に届くまで、お前が身を立てるその時まで、ツェーリアを守ることを約束する。ツェーリアが望めば、お前と会えるようにはしてやる」
王様はツェーリア様が王様との婚姻を望んでいないことは知っている。でも、ツェーリア様に想い人がいることなんて知らない筈だ。ましてや、それが目の前にいるアーサーだなんてことは知りようがないことのはず。
なのに。
王様はまるで何もかも知っているみたいにそう言った。私もアーサーも目を見開いて王様を見つめれば、王様は冷たい視線をアーサーに向け、私には柔らかな視線を向けた。
「陛下…。ありがとうございます。お心遣いに感謝します。絶対に、ツェーリア様に見合う男になります。陛下のお耳にこの名が届く様」
「…ツェーリアが待つと言えばいつまででも待ってやる」
「っ!!!一年、とお待たせは致しません」
「…お前が、レオを神の愛子と触れ周り、俺の公妃にと望む声を市中に広めていたことを知っている。短期間で斯様な影響を出したことを考えれば、お前の手腕も実力も疑うものはない。良い報を期待している」
その一言で、アーサーと王様の会話は終わった。アーサーは深く王様に頭を下げていた。
(まさか、あの不自然な広まり方をしていた私と王様の噂が、こんな王都から遠く離れた港町にいるアーサーが広めていたとは。てっきり神様の仕業だと思っていたけれど、考えてみれば神様が用意したヒーローは王様ではなかったのだから、わざわざ王様と私をくっつけるよう展開にするはずないか)
アーサーが屋敷から出て行くのを玄関の外まで見送ることにした私はアーサーに駆け寄る。アーサーはなんだかギョッとした様な顔をして私を見て、顔を青くしている。ギクシャクと歩くアーサーを不思議に思いながら、応接間を出て、玄関の前にたどり着く。周囲に人はいない。アーサーは当たりを見回して大きくため息をついた。傷が痛むのかと心配すれば、アーサーは再び大きなため息をつく。
(そんな何度も溜め息つかなくったっていいじゃない)
「レオ、頼むから、俺にこれ以上陛下の不興を買わせないでくれ」
「どういう意味?」
「ほんっと、お前、なんでそんなに鈍感なの?」
「いきなり失礼すぎない」
「…悪かった。はぁ…。とりあえず、収まるところに収まってよかったな」
「…ありがとう。アーサー」
「お前が努力した結果だよ。次は俺の番だ。お前と陛下が与えてくれたこのチャンスを俺は絶対に掴む」
「うん。応援してる」
「…悪かったな。こんな傷、俺があの時助けられてりゃ、お前が負わなくて済んだのに…情けねぇな」
アーサーの目が痛々しげに私の手当てされた頬を見ていた。後悔の滲む声につられたようにほんの少し頬の傷がいたんだ。
「アーサーは怪我をしてでも、私のことを助けようとしてくれたんでしょ。そんな事言わないで。悲しくなる」
「悪い」
「…私も、立派な王妃になれるように頑張る。ツェーリア様が何の心配もなくアーサーのところへいけるように」
「…無理すんなよ」
「アーサーは、上手くやりそうだね」
「まぁ、な」
はははと笑い合う。もう解決した気でいる私達はたぶん不敬で自信過剰なのかもしれないけれど、今くらいはこの全能感に浸っても許される気がした。今までがあまりに暗い道しか見えなかったのだから。頑張る方向性が見つけられただけでも、私たちにとっては大きな前進だから。その道がどんなに険しくても、その先に愛する人との幸せがあるのならば、迷わずに進んでいけるだろう。
私はアーサーと別れ、屋敷の応接間に戻る。意外なことに、王様はまだそこに居て、私の顔を見るや否や何故か安堵したような表情を浮かべた。そして、そのまま仕事へと戻って行った。
ここへ来ても、王様には仕事が山積みで休んでいる暇なんてないらしい。明日の朝には王様は王都に戻る。それに私もついて行く。その許可はもらっているし、王都へ立つ為の準備はメイドさんが手伝ってくれることになった。私だけでは明日までになんてどう考えても間に合わないからだ。私の荷物といえばお洋服とアクセサリーと、王様からのプレゼントばかり。本当に私の持ち物と言えるのは、私が川で溺れた時に来ていた服だけ。この世界で、私が欲して手に入れたものはきっとまだ無い。
あらかた荷造りが終わって、私はふと王様の執務室兼寝室となっている部屋に向かうことにした。お茶の準備をしてくれたメイドさんにお礼を言って、ティーセットを預かって王様の部屋の扉の前まで来た。中から近衛騎士が出てきて私の姿を認めると、扉を大きく開けてくれた。
「王様。一緒にお茶しませんか?」
王様はほんの少し表情を緩めてそうだなと言った。王様はたぶん働きすぎなのだ。でもそれもきっと仕方のないこと。だって王様には王妃様がいなくて、たぶんその分の仕事も全て王様がこなしている。ツェーリア様は婚約者だけれど、だからといって王城で忙しなく働いているところは見たことがない。
「王様?どうしたんですか?」
和やかなティータイムの時間。芳しい紅茶と甘いお菓子を食べる。ふと、不自然に王様が黙り込んでいるのに気づく。声をかければ、王様はほんの一緒だけ、動きを止めた。
「そなたは、あの者を親しげに呼ぶのだな」
「アーサーのことですか?そうですね。アーサーは友達なので」
切り出された話題に小首を傾げる。王様は眉間に皺を寄せた。
「だが、俺の名は呼んでくれぬのだな…」
(…え?)
想像だにしていなかった王様の言葉に私は目を見開いた。それは、私に名を呼んで欲しいと思っているという解釈でよいのだろうか。
(…逆にそれ以外に何があるんだ)
自らの思考に自らツッコミを入れる。完璧な王様に、何故か、私が愛されていることは分かっていた。でも、まさかこんな可愛いことを急に言ってくるなんて想像してなかった。今まで、そんな嫉妬じみた感情を直接向けられたことなんて、ない。
固まってしまった私に、王様は眉間の皺を更に深くし始める。整った顔がほんの少しの後悔に歪む。
「すまない。そなたを困らせるつもりなどなかった…」
「いえ、その、アデル様」
「っ!!」
曇っていた表情が驚いたように明るく色づいた。それに私ははにかみながらもう一度王様の名を呼んだ。
「アデル様」
意識して呼ばなかった訳ではないのだけれど、何となく王様という単語が言いやすくて続けていただけ。呼び方を変えるのなんて大したことじゃないのに、王様が嬉しそうな顔をするから、何だか私まで嬉しくなった。
「レオ。愛おしい、レオ」
ブルーサファイアのような瞳が慈愛を湛えて私を見つめる。胸が痛くなるほど切実に、一心に。王様の表情が大きく変わることは少ないけれど、少しの変化からでもわかることがある。王様は、たぶん、私がずっと名前で呼ぶのを期待していたのだろう。少しもったいないことをしていたかもしれない。
「アデル様の隣に立つにふさわしい人になります。王妃としてアデル様を支えられるように」
「そなたに負担を掛けたくはない。そなたは私のそばで私の名を呼んでくれ。それだけで、俺は、この場に立っていられる」
それが王様の本心だって知ってる。だからこそ、私は笑った。王様はあの日のようにそれに眩しそうに目を細めた。
ほんの僅かな時間のティータイムが終わり、王様は執務へと戻っていった。
それから、どうなったのかと言えば……。
王城に戻った私と王様の姿を見てツェーリア様は瞳に涙を浮かべながら喜んでくれた。
極秘裏に王様からツェーリア様にアーサーの話が伝えられて、ツェーリア様は、アーサーが名を挙げるのをいつまででも待つと言った。
私は、宣言通り、ツェーリア様が気兼ねなく王様との婚約を解消してアーサーと出会えるように、そして、この国に王妃として迎えられるように努力している。
アーサーはといえば、今は宰相のもとで与えられた業務に励んでいる。その優秀さと勤勉さで諸大臣からの評判もいいらしい。
王様と私の関係は、まだ何も変わってはいない。けれど、もう、私は決めている。どんな苦難が待ち受けていようとも、この恋はハッピーエンドで終わらせる。それは、きっと、遠くない未来。
何故ならば、私は私の運命の相手と相思相愛になったのだから。
〜Fin〜