タイトルよりちょっとシリアスめ
綾入レオ。二十歳。日本の大学生。
自転車を漕ぎながら、うっかり、うっかり、川に落ちたのが運の尽き。
川の奥底に吸い込まれ、死にかけの私は気づけば神様と対面していた。
そこで、私は神様に一つの選択肢を与えられた。このまま溺死するか、それともここで死なせない代わりに、ひとつの使命を与えられ異世界へと行くか。私は異世界へ行くことを選んだ。
私が神様に与えられた使命とは、死ぬまでにその世界で運命の相手を見つけて相思相愛になること。
そう、川の底の神様は、ハッピーエンドの恋愛小説にハマっていたのだ。そして、神様は、私が恋愛小説のような素晴らしい恋が出来るような世界へ送ってくれる、らしい。
そうして、異世界転移した私がひょっこり水面から顔を出すと、そこは娼館のお風呂場だった。
ありとあらゆる女性の裸体、裸体、裸体。
突然、服を着た状態でお風呂のお湯の中から現れた私に、当然のことながら、入浴中の女性の皆さんは悲鳴を上げた。
駆けつけたお店の主人の口車に乗せられ、あれよあれよという間に大胆に胸元の開いたヒラヒラのドレスを着せられ、何故かお店で娼婦として働かされることとなった。
(いやいや、一体どうなってるの?)
神様は、言った。私が、大恋愛できるように、舞台は整えてやるって。
ヒーローとの運命的な出会い、壮大な恋愛物語、皆が幸せな大団円。
無精髭をはやして黒縁眼鏡をかけたいわゆるちょっと野暮ったい売れない作家みたいな雰囲気の神様は、確かに言ったのだ。
(それなのに、娼館?娼婦?なんで、こんなことになってるの?数撃ちゃ当たる戦法、にしても、もっとやり方あるでしょ!?)
しかしながら、私がなんと言おうと、神様の作り上げた怒涛の流れには、どうしても逆らえなかった。何度も何度も断ったし、逃げ出そうともした、でも結局捕まって、不法侵入の罪を問われ、お縄につきたくないなら働けと脅されてしまった。今更、拒否しようにも、すでにお客さんは入店してきており、お店の主人は忙しそうに働いていて、全く捕まらないのだ。
(なんで?)
そもそも、こんな何処の馬の骨ともわからない人間をよくお店に出そうと思うものだ。お客さんに失礼なことをするんじゃないか、とか普通心配するものではないだろうか。
お店の主人が言うことには、今日は団体のお客さんがやってくるらしく、それで猫の手でも借りたいレベルに人手も女の子も足りていないらしい。
(だからと言って、こんなこと許されるわけないと思うんだけど…)
非常に遺憾ながら、神様のご都合主義的展開に、何を言ったって無駄なことをそろそろ私は察し始めていた。ため息を吐いて腹を括る。こうなって仕舞えばもう仕方がない。あとは、神様が用意したメインヒーローが現れるのを待つしかない。
そう、神様は言ったのだ。無精髭を撫でながら、したり顔で。数多の苦難を乗り越えてこそのハッピーエンドだと。最後には幸せが用意されているのだと思えば、なんとか堪えることができる。本当は死んでいた筈の自分が生きながらえて、更には最後には幸せな未来が約束されているとわかっているのだから、多少の不幸には目を瞑るべきなのかもしれない。
(本当は死ぬほど嫌だけど!)
せめて、はじめてのお客さんはイケメンがいいなぁ、なんて不毛なことを考えながら、私にあてがわれたお客さんが待つ場所へと、犬耳と尻尾の生えた中学生くらいの女の子に案内されている。この世界、どうやら獣人と呼ばれる種族と人間が共存しているらしい。お風呂場でもいろんな尻尾や耳の生えた裸体を見たものだ。
「も、申し訳ございませんっ!!!!」
廊下を曲がって、私の目に飛び込んできた光景、それは、この店の主人の渾身の土下座だった。たぶん非常に身分の高いお客様のようだ。何か非礼を働いたのか、平身低頭でひたすらに許しを乞う主人は、冷や汗をダラダラとかいている。
私と犬耳の女の子は、床に頭を打ちつけんばかりに頭を下げるお店の主人のその尋常ならざる様子につい立ち止まってしまった。次の瞬間、犬耳の女の子が微かな悲鳴を上げて床に丸まって伏せる。顔を決してあげようとはせずフルフルと震えている。急にどうしたのかと思い彼女に声をかけるが、彼女は声を上げず顔も上げない。まるで自分の存在を隠そうとしているかのようだ。
「ま、まことに申し訳ございません。前回、お相手させて頂きましたシャナは、本日体調が優れず…。きょ、今日のところは、な、何卒ご容赦いただけませんでしょうか?」
「その言い訳はなんだ?店主よ。私に歯向かうことでお前の得となることなど一つも無いと思うが」
「も、申し訳ございませんっ!!」
馬鹿の一つ覚えのようにダラダラと冷や汗をかきながら謝罪を繰り返す主人と、冷徹に不満を訴えるお客さんの声。
「別に、あの者でなくて構わん。この店を潰されたくなければ、誰ぞ、俺の相手をするものを連れて来い」
お店の主人の対応から見ても、彼はおそらくとっても身分の高い人なのだろうけれど、何故かお店の主人は謝罪を繰り返すばかりで、彼の相手をする女の子を連れてこようとしない。そして、この騒動は聞こえている筈なのに、周囲からも誰も女の子が出てくる様子はない。犬耳の女の子は未だフルフルと震えて顔を上げない。ピンッと張り詰めたような空気の中、冷たく低い声の主が突っ立ったままの私に意識を向けたのがわかった。
(あ、目つけられたな…)
なるほど、だからか。犬耳の女の子が姿を隠そうとしたのは。そのまま、かのお客さんに声をかけられた。
「そこの者、俺の相手をしては…」
(あぁ、ほら、やっぱり。でも…)
思いの外、高圧的な声ではなかった。それに私は観念して、お客さんの顔を見た。
そして、その美しい顔に見惚れた。
(う、うっわぁ)
絶世の美男子って、こういう人のことをいうんだろう。そう、思ってしまうくらい、お客さんは美しかった。完璧な造形、というものが果たして人間の顔面で構築される事なんてあり得るのだろうか。そんな常識をあっさりと覆してしまうような圧倒的な美貌。男らしく精悍な顔立ちでありながら、まるで神のように神々しい。
そんなお客さんを見た瞬間、私は、初めてのお客さんがこの人になればいいのに、と思った。
そこに来て彼のこの言葉である。彼の言葉を聞き終わる前に、私はにっこりと微笑んで、彼の腕に自らの腕を絡めに行く。楚々とした笑みを浮かべながら、彼の美しい顔面を見つめる。
(この人、迅速に捕獲しなきゃ)
「私でよろしければお願いします」
「なっ!!!!?」
彼の目が大きく見開かれ、彼はその淡く色づく唇から驚愕の声を漏らした。
(そ、そんなに驚かなくても。不思議。まるで断られると思ってたみたい)
けれど、そんな表情でさえも美しいのだから、このお客さんの美貌は人間離れしていると言えるだろう。恐ろしい顔面偏差値である。
「お、ぉ、き、君、マクスベル様のお相手ができるのか!?」
平身低頭で頭を下げ続けていたお店の主人もまた驚愕したように顔を歪めている。ひっくり返ったような声音に思わず笑ってしまう。こちらは非常に人間染みているなぁ。
適当すぎるお店の主人でも流石にこんな身分の高い人の相手が私では心配になるのだろう。だからと言って、ここで、折れるわけにはいかない。なんと言っても、このお客さんになら抱かれてもいいな、と私が思ったレベルのイケメンなのだ。私は店の主人を無視してお客さんのブルーサファイアのような瞳を見上げる。決定権は明らかに彼が持っているようだし、媚を売っとくならこちらだ。
「マクスベル様、拙いところもあるかとは思いますが、精一杯頑張ります。だから、どうか、私を、選んでください」
「っ!!…あぁ。店主よ、この者を私の相手とする。部屋に案内せよ」
彼の返答に私は心の中で会心のガッツポーズを決めた。
お客さんに命令されたお店の主人はバタバタと慌てて立ち上がり、そのままお店の一番奥の部屋へと私達を案内した。そして、またも頭を床に擦り付けて不手際を謝ってから、部屋を出て行った。
いやいや、このお客さん、どれだけ身分が高いのだろうか。ちょっと怖くなる。なんか、失礼なことしたら殺されかねない勢いだ。あれ、そういえば、このお客さんお店潰すとか普通に言ってたような…。
(ま、まぁ、今はあんまり考えないでおこう。そんな余裕もないし)
案内された部屋はびっくりするほど大きかった。ふっかふかの絨毯が引かれており歩くだけで体が沈むような感覚に陥る。入り口近くには、大きすぎるほどに大きいソファと、それに合わせられた大きなテーブル。テーブルの上には水、お酒、グラスや氷などが準備され、フルーツの盛り合わせや手の込んだおつまみのようなものまで置かれていた。そして、部屋の中央に、キングサイズを遥かに超えるような異常な大きさのベッドが置かれていた。大人が4、5人はゆうに寝れそうな作りだ。
主人が居なくなって数十秒、無言を貫いているお客さんはブルーサファイアのような瞳で私を見下ろして、そして、私の髪を撫でた。と思えば、頬に触れ、そのまま、私に顔を近づけてくる。
(あぁ、いよいよか…)
まさか、こんな、悲しい気持ちになるなんて思わなかったな。己の感情の変化に追いつけなくて体が固まる。お客さんは文句なくイケメンで、私の心はさっきまで確かに浮ついていたのに。今は、怖くて、悲しくて、たまらない。好きでもない男に体を開かされるのかと、そう思えば絶望が全身を支配していた。
「…そのような顔をしないでくれ」
「あ…」
眉間にしわを寄せたお客さんは、私の体をサッと抱き上げると、そのままベッドへと運び、痛くないようにその上へ下ろした。そして、私の体を両足でまたぐようにして私の上に覆いかぶさってきた。両手首をお客さんの大きな手でベッドに縫い止められ、抵抗する術を奪われる。もとより、抵抗する気はないのだけれど。せめて優しくしてほしいなと、願う。お客さんからは乱暴さは感じない。むしろ動作は優雅で一つ一つの動作に気遣いすら感じる。それなのに、心の内では不安が渦巻いていた。
「…王子様、私、初めてなんです。だから、どうか、優しく…してはいただけませんか?」
先ほど呼んだはずのお客さんの名前すら緊張でどこかに飛んでいってしまったので、私はお客さんのことをそう呼んだ。だって、きっと、物語の中の王子様を実体化させれば、こんなふうに綺麗なんだろうと思ったのだ。一瞬そんな現実逃避を繰り広げながら、悲しいことに娼婦の私は、彼の慈悲に縋るほかないので、しおらしく見えるように彼に乞い願う。
「は、じめて?」
彼の目が再び大きく見開かれた。そして、うわごとのように何度も初めて、と繰り返す。
嫌、がられたのか?その反応の意図がよくわからず私は首を傾げる。言わない方が良かったのだろうか。けれど、実践経験は皆無なのだ、手慣れているだなんて思われたら、それこそ恐ろしい。
処女を嫌がられても、もう私は覚悟を決めたのだ。初めての相手がこの麗しい王子様じゃないなんて、それこそ冗談じゃない。こんなにもイケメンなお客さんだから、なんとか叫び出さずに正気を保っているのだ。今更チェンジなんて絶対に許されない話である。
(ここまで来て、流石にそれはないぞ)
「王子様?私、頑張ります、だからどうか、見捨てないでください」
必死の思いでお客さんを見つめてみる。しかし、そんな私の健闘虚しく、シーツに縫い付けられていた腕が解放される。そして、私に覆いかぶさっていたお客さんは、ベッドの上を降りてしまった。
(そ、そんな…)
ほっとしているのに、焦っている、という不思議な感覚に襲われながら、私はどうすれば良いかわからず、ベッドの上から起き上がった。
「俺は、王子ではない、王だ」
「へ…?」
起き上がるとお客さんはベッドの脇に立ったまま、私のことを見下ろしていた。そして、よく訳のわからない言葉を言われた。
「そうだったんですね。間違えてしまってごめんなさい」
それが事実か、何のための言葉かも理解できぬまま、私は謝罪を口にする。私の命運は今この王子様改め王様にかかっているのだから。ウダウダ言ってもいられない。一つのミスが命取りにつながる。
「王様、私のこと、お嫌いですか?」
「そうでは、ない」
「では、どうして?私、王様に何か失礼を働いてしまいましたか?」
「違う。そなたが、あまりに愛らしい故、どうしても手を出すのは躊躇われる」
声までイケメンな王様にそんなことを言われて一瞬動揺する。けれど、すぐさまリップサービスだろうと思い直し、気を引き締める。
「愛らしい?それは、私のことを大事にしてくださっているのでしょうか?でも、私は別に幼子ではありません。王様を受け入れることも可能です」
(真実受け入れたいかどうかは、別にして…)
「……何故、そのような言葉を俺に言う?そなたのような美しい者に触れる初めての者が俺で良いのか?」
「美しい?よくわかりません。ですが、私の初めてが王様以外の人とだなんてもう考えられません。どうか、お慈悲をお与えください」
「なっ!?」
私はベッドの上でお店の主人がしていたように頭を下げた。たぶん、この人が言うように、お客さんは本物の王様なんだろう。だから、お店の主人はあんなにも媚び諂っていたのだろうし。
頭くらい下げるのはどうってことは無い。本当なら私はあの時、あの川の底で死んでいる筈だった。今はボーナスステージみたいなもの。運命の相手に出会って、相思相愛になって、面白おかしく幸せな余生を過ごすため、今ここは踏ん張り時なのだと思う。私が今後どのくらいの長さをこの娼館で過ごすのかはわからないけれど、初めてくらい、少しでも自分が望んだ相手とが良い。そうじゃなきゃ、発狂してしまいそうだ。
「やめよ。そなたのような者が俺に傅く必要はない」
上から降ってきた声は私を窘めるような響きを持っていた。そして、ぐいっと腕を掴まれ頭を上げさせられる。私は王様のブルーサファイアの瞳を見上げた。
「では、どうすれば、良いのですか?私は、王様に縋る以外に何も方法を持ちません。私は」
つぅーと頬を涙が流れた。多少意識したとはいえ、上手く涙が流れてくれたことに自分でも驚く。もはやこうなったら泣き落とししかないとは思ったのだけれど、初めてでこうも上手くいくとは。
(私ってば女優にもなれそうじゃない?)
単純なことに、ほんの少しだけ気分が上昇した。
「…ならば、俺と共に来るか?」
「………え?」
内心、自らの演技力に拍手喝采しているところに、思わぬ王様の言葉。
それは、どう言う意味だ?この美貌の王様とどこに行くと言うのだろう?もしや、プロポーズでは、あるまい。流石に、こんな出会って間もないのに、そんこと、あるのか?
(いや、この強引な流れ、もしやこの王様が神様が用意したメインヒーローなのか?)
それはこちらとしては願ったり叶ったりだが、そんな都合のいいことを考えて、結局そうじゃなかったら酷く落胆するのは目に見えている。
「やはり、それは、嫌か」
自嘲するように笑った王様は、怒ったようにベッドに背を向け離れていってしまう。そのまま、扉を開けて外へ出て行こうとする王様に、私は慌てた。焦った私はベッドから降りて駆け出し、王様に背中から抱き付いた。
「まって、どうか、捨てないで。私を王様のものにして」
(恋愛小説でお決まりの口説き文句、決まった…?)
咄嗟に何も考え付かず私は頭に思い浮かんだまま言葉に出していた。ほんの僅かな間を置いて、王様の体が反転して私と向かい合ったと思った、次の瞬間、私の腕は強く引っ張られ、そのまま王様と扉の間に挟まれるような位置に追いやられる。
え?と思っている間に、そのまま、王様の両手が私の頭の横を通って、扉へと突き立てられた。頭のすぐ後ろでドンっと鈍い音がした。
後ろは扉に、前は王様に、左右への逃げ道さえ、王様の両手で囲い込まれて塞がれている。
いわゆる、壁ドンだ。
(こ、これもう、確定じゃん!こんな恋愛小説でもなきゃ有り得ないシチュエーション。絶対、この王様が神様が用意したメインヒーローだ!)
俯きながら己の結論に確信を得て私は感動にワナワナと体を震わせる。
「俺を見ろ」
私は、イケメンにのみ許される壁ドンを、まさに絶世のイケメンにされながら、喜びに浸っていた。やるべきことは明確になった。つまり、私はこの王様を愛し、愛されればいいのだ。それならば、単純明快、簡潔明瞭、ここで娼婦を続ける意味もない。ありがとう、神様!
「はい、王様」
私は、自ら王様の胸へと飛び込んだ。引き締まった腰回りに腕を回し、更に身長差を利用して上目遣いで王様を見つめる。王様は、また、信じられないような者を見る目で私を見下ろす。王様の心臓の音は壊れそうなほど激しく鳴り響いていた。それに酷く安心する。目頭が熱くなるほどに。
「王様、どうか、私を王様のお側に置いてください」
意識してではなく潤む視界に映る王様の表情は、息を呑むほどに美しかった。
「わかった。俺の負けだ。そなたが望むのならばその願い叶えてやる」