六の幕
「結局、誰も答えちゃくれなかったな」
「予想はしていたさ」
俺達は今、旅館の本館内を回りながら、出入り口や窓に片っ端から御札を貼っていた。
旭が質問をした後、あまりにも長い沈黙を経て、旭はこの状態では全てを聞き出すことは不可能と判断した。
そこで彼は「まずは、応急処置としてこの旅館に札を貼らせてください」と提案した。彼の要望を拒否するものは誰もいなかった。
そして彼はもう一つ、お願いを付け加えた。
アシスタントが欲しいので、その子を連れて行ってもいいですかと。
「でもまぁ……話してくれなかったおかげで、彼女を連れ出すことが出来た。上出来だとは思わないかい?」
そう言って旭は一緒に御札を貼っている"彼女"を見た。
相沢さくら。我々がここに来た、もうひとつの目的である。
○
それは、ここに来る前の事。そよ風が気持ちいい日だった。
「姪……ですか」
私と旭は空都にある寺院、天丈寺の境内で二人、座布団に座っていた。
我々がお世話になっている人のお願いを聞くためだ。
その人の名前は天丈清源この天丈寺の住職である。我々はこの住職を親しみを持って源さんと呼んでいる。
源さんは我々の正体を知った上で、我々を天丈寺に置いてくれている実に善良な人物である。善良すぎて、我々にはまぶしすぎるほどの人物である。
「名前は相沢さくら。母親はわしの妹じゃ。その子が小さい頃に両親が事故で亡くなってなぁ……わしはその頃、修行中の身であったから、その子を引き取ることが出来なかったんじゃ」
源さんは我々の前の座布団に厳粛な姿勢で座っている。
「それをどうして今になって?」
私は源さんに問いかけた。
源さんは軽く唸りながら腕を組む。
「わしが妹の訃報を知ったのは、修行を終えて山を下りた後じゃった。その時はさくらの居所がどうしても掴めなかったんじゃ。だが、二年ほど前にさくらが空都に引っ越したと聞いた。大学に入るため……とか言うてなぁ……」
源さんはどこか悲しそうに話していた。自分の妹が亡くなり、姪さえもどこにいるかわからない。
血のつながっている者の身を案じるのは人として当然だろう。
「なるほど。ではその、探していた姪の居場所がついに見つかった。というわけですか」
源さんの話を理解した旭が、話の続きを補足した。
源さんは優しく微笑みながら、静かに頷く。どうやら、旭の見立ては正解のようだ。
「それで、その居場所というのは?」
旭は源さんの様子を確認した後に、さくらの居場所を聞いた。
「さすがに住所が分かったわけではないんだがね、働いている場所は分かった」
「それはどこですか?」
ここで源さんは一瞬、答えをためらった。
少しの沈黙の後、ようやく源さんが口を開く。
「……来栖旅館じゃ」
その名前を聞いた瞬間、旭は目を見開き、そしてすぐに目をつむった。
「源さんが俺達にこれを頼んだ理由が分かりました。叔父である源さんが姪を迎えに行かず、わざわざ俺達に頼んだ理由が」
旭はゆっくりと目を開けた。そして、自分の懐に手を置くと小さく「これもお前の因果か」とつぶやいた。
「えっ、何? どゆこと?」
残念ながら私は、まだ事の全てを理解していない。
「まぁまぁ、桃狸君」
「まぁまぁじゃねえんだよ」
「まぁまぁ、桃狸君」
「まぁまぁじゃないんですよ源さん」
そして旭は微笑み、源さんは高らかに笑った。
結局の所、二人は俺にどういうわけなのかは教えてくれなかった。しかし、この旅館の玄関に差し掛かって感じた、モノノケの気のおかげでようやく私も理解した。
この旅館に"いる"我々の目的はひとつではなかったということを。
〇
「つまり……お二人がここに来た目的は私。ってことですか」
全くもってその通りである。
「俺達は、君の叔父である天丈清源に頼まれて君を迎えに来た。そして同時に、ここにいるモノノケを撃ちに来た」
さくらは「迎えに来た」という言葉に反応を示していた。今まで一人で生きてきた彼女にとってこの言葉はあまりにも新鮮であっただろう。
しかし我々は、源さんに言われていることがある。私はそれを彼女に伝えなければいけない。
「すまんな。いきなり言われて困るだろうけど、源さんは言ってた『気が乗らないなら、この話は忘れて君の人生を自由に生きればいい。でももし君が、来るというのなら天丈寺は君のために門を開けよう』ってね」
私は源さんに言付けられたことをありのまま話した。それが彼女のためであると思ったし、私はこういう時に気の利いた事を言ってあげられる人間じゃない。
というかそもそも人間ではない。
さくらは旭からもらった御札を持ちながらうつむいている。
普通なら、自分を養ってくれる人が現れたとなったら喜んで飛びつくだろう。
しかしそれが、普通ならの話である事を忘れてはいけない。
幼いころに両親を亡くし、青春を養護施設で過ごしてきたさくらにとって、普通はむしろ普通ではない。
彼女がどんなことを思っているのか。それは私には想像もできない事であった。
「ごめんなさい……ちょっと、考えさせてください」
さくらの答えはすぐには出ない。正直に言えば、こうなることを予想していなかったわけではない。我々は、彼女が決断を下す事をただ待つことしかできない。
私と旭は二人で顔を見合わせ、小さくうなずいてから作業を再開する。
しかしその瞬間、我々に向かって「私は」と話し始めるさくらの声が聞こえた。
「幸せになれると思いますか」
その声は今までのさくらの声とは思えないほど弱弱しく、どこか助けを求めるような声だと私は感じた。
その時、私はさくらの問いに答えられなかった。
「俺にはわからんよ」
傍らにいる旭の声だ。
「人の負の想いや執念は、やがて強くなりモノノケを呼ぶ。でもそれは、その逆もしかりという事だ。物事を楽しもうと思えば、楽しい結果がやってくる。物事を面白くしたいと思えば、その物事は実に面白くなる。人の想いがモノノケを呼ぶのなら、人の想いが幸せを呼ぶこともまた……ある。もし君が幸せになりたいと望むなら……約束しよう。俺達は君の一歩を全力で助ける」
旭はそう言い切り、次の場所へと歩いていく。
私は、そんな友人の姿に少し微笑み、苦心するさくらと共にその友人の背中を追った。