二十一の幕
病室のベッドの上には、やせ細った少年が横たわっていた。
私にはそれが誰なのかをすぐ理解することはできなかったが、これまでの状況とその少年を見た京狐の様子からその少年が亡くなった森村哲であるということは想定できた。
「哲……?」
我々の横からひょいと出てきた勝也が彼に駆け寄る。勝也は彼の名前を何度も叫んでいるが、その声が彼に届いている様子はない。
「届かないわ」
勝也は京狐に目を向ける。
「この子はモノノケが作った幻想。モノノケの記憶。彼はここにはいないわ。起こってしまったことは変えられない」
京狐の残酷な事実を聞いて、勝也は叫びを止めた。
勝也は床に座り込み、自分の頭の高さと同じになったベッドを見つめる。そして勝也は、次に少年に繋がっている管を見た。そのまま視線をなぞり、最後に勝也は何かしらの薬品が入れられた点滴を見る。
それを見た瞬間、勝也の顔から血の気が一気に引く。彼は何かにおびえているようだった。
「話すなら……今よ」
京狐が言った。
京狐がそれを誰に言ったのかといえば、それは今座り込んでいる勝也しかいないだろう。
「京狐先生……知ってるの……?」
勝也は小刻みに震えている。京狐はそんな彼を優しく見つめていた。
「いやだ……いやだよ……だって、それじゃあ……」
「それじゃあ……何?」
勝也は左右に何度も首を振り、拒絶の念を示している。だが、京狐はそんな勝也をさらに追いつめる。
京狐は私を抱えながら座り込み、勝也と同じ目線になって彼に迫る。
「勝也君。君がしたことは人の世界ではあまり良いこととはされないわ。むしろ悪いこと。君もそれを分かってる。哲君の願いを聞いてしたのかもしれないけど、それをずっと後悔しているんじゃない? だから今日……いえ、哲君が亡くなってから毎日ここに来ている。今日も来ると思ってたわ」
京狐はここで軽く息を吸い、次に続ける。
「さっき、話すなら今と言ったけど、訂正するわ。勝也君。向き合うなら……今よ」
京狐は勝也の目をまっすぐ見た。それに応えるように、勝也も京狐の目を見ている。手をピタリと自分の体の横につけ、こぶしを握り締めている。
そして、彼が意を決してすべてを話そうとした時、病室の外からしていた木魅の音が止んでいることに私は気づいた。
〇
「哲のお見舞いに来てたんだ……」
ドジャッ!
病室の外からしていた音が、今度は病室の窓の外から聞こえ始める。
勝也はその音にひるみ、体を震わせた。
「続けて……!」
京狐が追い立てる。
ドジャ! ボジャッ! ベジャ! グジャッ!
私は京狐の手から降り、窓に対峙した。今はカーテンが閉められていて外は見えない。
「俺、哲に頼まれて……っ!」
勝也が何かを話し始めたのは確認して、さくらが彼らに駆け寄った。さくらの手の中で旭の銃がカカカッと震えている。
「哲の腕に刺さってた針を抜いた……!」
カンッ!
狼の装飾が歯をかみ合わせた金属音が鳴り響く。
私は勝也の言葉を聞いて、少しばかり眉をひそめた。
勝也はそれを「腕に刺さってた針」と表現した。小学生である彼なりの表現であるが、正しく言えば、それは亡き少年の腕に刺さっていた点滴の針のことである。
つまり、哲の体に薬を投与していた点滴を抜いたということである。
その瞬間、窓の外で鳴っていた音が止んだ。
「哲が言ってたんだよ……『辛い』『痛い』『もう楽になりたい』って。それでこの薬を指さして『これを抜いてよ』って……」
病と闘い続けることに疲れたか。痛みに耐えられなくなったのか。彼はその辛さの根源がこの薬だと思ったのだろう。実際には、その辛さは病によるものであったのだろうが、まだものの考え方を学び始めた年ごろの少年には『それが悪いんだ』と思わざるを得なかったのだと思う。
「それで、君はそれを抜いたのね?」
京狐の言葉に勝也はうなずいた。彼の頬には大粒の涙が流れている。
「そんなことしたら、哲が死んじゃうってことも分かってたっ……でも、でも……哲が辛そうにしてるの、耐えられなかったんだっ! 哲が辛そうに俺にお願いするのを見てられなかったんだっ! だからっ……だから……」
友を殺したんだ。
それがたった一つの真実だ。
人の世において、許されないことである。
どんなにつらくても、死を選んではいけない。死よりもつらいことはなく、できる限り生きることが義務である。
そんなもの、死ぬということと生きることを本当には理解できていない大馬鹿者の言うことだ。
もちろん、私は自ら死を選ぶことを推奨するわけではない。むしろ、短すぎる一生を更に短く終わらせるなど、私からすれば考えられない。人は生きていられるまで生きたほうがいい。
だが、これだけは言っておこう。どんな状況でも自ら死んではいけないと何故お前らにわかるのか。死に救いを求めることを何故悪だと決めつけるのか。この世界において、残酷な痛みは存在する。残酷な事実が存在する。それから逃げることを愚かなことだとは私はどうしても思えない。
この言葉は、私が先に示した考えとは矛盾するのであろう。
しかし、矛盾するからと言って、間違いではないと私は思う。
人にはそれぞれ自分の道を選ぶ権利がある。であるならば、自らの死を選ぶ権利も等しく存在する。何を選んだとて、その人が正解だと思うなら、その道は正解なのだ。
この考え方は偽善なのであろう。だが私は狸だ。人ではない。だからこんな偽善を思っていたとしても、私がそれを憂うことはない。
勝也は泣いていた。
我々はその泣き声を聞いていた。
窓の外からおぞましき声が聞こえるまで。
〇
オギャァァァァァァァァァ!
バリリリリッ!
赤子が泣くような鋭い声と共に、窓ガラスにひびが入った音が聞こえた。
京狐が立ち上がり、私の体を超えて窓へ近づく。そして、そのまま京狐はカーテンを開け放った。
窓の外は赤かった。
廊下で追いかけてきた赤子達が隙間なく窓に張り付き、全員がこちらへ目を向けている。ギチギチュギチ。あまりにも凄惨たるその光景にさすがの京狐もそこから三歩引いた。
赤がこちらに迫ってくるのを感じる。赤がこちらへ来ようとしている。窓ガラスのヒビが徐々に広がっていき、ついにそれが窓の端まで到達しようとしたとき。
バキィィィィィッ!
バンッ!
窓ガラスが大きな音を立てて割れた。
そしてその音に合わせるように、病室の引き戸が勢いよく開け放たれ、そこから袴姿の青年が現れた。その青年の髪は輪郭に沿った部分が紅く、腕には赤と白のミサンガが結ばれていた。




