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人を穿ちてモノノケ語り  作者: 下鴨哲生
友と木魅
38/44

十九の幕

「そろそろ出よう。ここにいても何も起きないようだ」

 しばらく病室に待機したあと、旭が立ち上がり言い出した。

 実際、この病室では怪奇現象の一つも起きない。哲がモノノケの依り代ではなかったということか、それとも、ただ単にタイミングが悪いだけか。

 ともかく、我々はこの病室以外の探索をすることにした。

「あれ?」

 病室から出たとたん、さくらがくびをかしげた。

「廊下、こんなに暗かったですか?」

 さくらの言葉を聞いて、我々は周りを見渡す。

 確かに、我々が病室に入る前と廊下の明るさが明らかに違う。病室に入る前は夜間照明ではあったものの、廊下の全体が一応は見えるぐらいの明るさであった。

 だが今は。

「先が見えないな」

 私はそうつぶやいた。

「おかしいわね……うちの病院はこんな照明のつけ方はしないはずだけど……というか……」

 京狐は病院の天井を見上げながら眉間にしわを寄せる。

 それもそのはずである。

()いてないわね……」

「は?」

 廊下につけられた照明は何一つとして点いていなかった。それなのに、我々は十数メートル先ぐらいは視認することができる。逆に言えば、そこから先は底のない闇が広がっている。

 こんなことは普通ではありえないことだった。

「京狐さん、通常ならナースステーションに夜勤の看護師さんがいますよね」

「えぇ……確かにいるはずだけど……」

 その瞬間、旭は黙って走り出した。

「ちょちょ、また走るのかよっ!」

 我々はそんな彼の背中を追いかける。東病棟を抜け、ラウンジを抜け、行きついたのはナースステーション。

 夜の病院でこんなに全力疾走していいものかと思うが、そんなことを考えるのは杞憂であったと、我々はすぐに知ることになる。

 ナースステーションには夜勤の看護師など一人も存在していなかった。

「すでに領分の中か」

 肩で息をしながら、旭がそうつぶやく。

「人っこ一人いねぇ」

「いつの間にか、こっち側に来てたみたいね」

 さくらと勝也は何かを察している我々を見て、困惑していた。

「どういうことですか?」

 京狐は困惑している二人を見ながら、神妙な面持ちを見せる。

「私たちはいつの間にか、今回のモノノケの世界に入ってしまったてことよ。だから人が誰もいない。招かれた私達意外にはね」

 さくらの顔から血の気が一気に引いたのが見て取れる。

 モノノケにはモノノケ独自が持つ固有の領分がある。以前、来栖旅館であったことを見せられたように、そこで真実が分かることがあれば、ただ単にモノノケにとって有利な世界であるというだけの場合もある。

 なんにせよここに招かれたということはモノノケと対峙する時も近いということだ。

「そろそろ来るか……」

 私は小さくつぶやいた。

「どうやら、"そろそろ"どころじゃないようだよ」

 旭がそう言ったのを確認し、私は旭のほうへ視線を向けた。

 彼は顔を左へと向け、その先に伸びる暗闇の廊下を見つめている。彼は廊下の真ん中へと移動し、我々もそんな旭のもとへと歩いていき、同じように暗闇を見た。

 何もない。何もない。何も……

 そこで私は暗闇に何かを見た。

 人だ。しかもそれは背の低い人。小学生ほどに見える少年の影。

 顔は見えないが、その頭に赤いキャップをかぶっていることは確認できる

「哲ィィ!」

 勝也が叫んだ。

 彼はあの影を亡き少年だと思ったのだろう。我々からそれは断言することはできないが、少なくともアレが普通の人間でないことは感じ取れる。

 勝也は少年に向かって駆け出した。しかし、目の前にいた旭の手がそれを阻む。

「行ってはいけない」

「なんでだよ! 友達なんだよ!」

「あれは君の友ではない」

 旭の言葉に、勝也の表情は(にご)る。

「君の友の感情から生まれたとしても、モノノケはすでに君の友ではない。アレは別のモノだ」

 勝也は旭を見上げ、目の前の少年を見てを繰り返す。少年のもとに駆け寄りたい。しかしあそこに行ってはいけない気がする。勝也のそんな心が彼の表情に色濃く表れていた。

「哲っ! さとしぃ!」

 勝也は今一度叫んだ。

 廊下にその声が反響し、反響に合わせるように、赤いキャップの少年は暗闇へと吸い込まれていった。

 

 さとし――さとし――さとし――


 おかしい。

 どうしてかわからないが、勝也が叫んだ声が今も聞こえる。もうとっくにその反響は収まっていていいはずなのに、一向にその声は止むことがない。

 それどころか、その声はどんどん大きくなり、さらにはあちら側からその声が何個も聞こえてくるようになる。

「なるほど……」

 声が重なり、増幅されていく中、旭はそうつぶやいた。

 幾重(いくえ)にも折り重なった声は、ついにこの場を揺るがし始める。床、天井、壁。全てが振動を帯び始め、まるで地震でも起こったように我々を揺らし始めた。

「桃狸君、化ける準備をしておきたまえ」

「来るか?」

「あぁ……来る。これは……木魅(こだま)だ」

 旭はそう言いながら、懐から銃を取り出した。


 ――さとしっ ――ギャァァァ ――だとし ――キャュュュ!


 暗闇の先からは様々な声と悲鳴と泣き声が聞こえる。しかしそのすべてがどこか幼く、赤子の声のようにも聞こえる。

 

 ――オギャァァァァァァァァァ!


 ひと際大きな泣き声を境に、音がピタッと止む。静寂が流れる。 

 誰一人として、声も衣擦れの音さえも起こさない。そしてその空間に次に流れた音は何かがこちらに転がってくる音であった。

 ゴロロゴトッ。

 暗闇からソレが姿を現す。

「赤ちゃ……ん?」

 まだ暗闇が濃い間、私はそれを赤子と思った。肌は赤く、どうみても人間の子ではなかったが、形状はどうみても赤子の姿。

 私は何となく肩透かしを食らった気分だったが、そんな気分もその赤子の姿がはっきりと見えて消え失せる。

 その姿を見て、私は目を見開いた。

 右目がない。左腕がない。そして、胸にぽっかりと穴が開き、中の心臓が脈打っているのが見て取れる。


 それだけで私は気分が悪くなったが、そんな風に思っていられる時間は短かった。

 我々がその赤子を確認して間もなく、暗闇からもう一体赤子が出てくる。右足がない。もう一体出る。頭の半分がない。もう一体。口がない。もう一体。もう一体。もう一体。もう一体。

 暗闇の中から次々と赤い塊が転がり落ち、その赤子たちの体には昼間見たような木の根が、皮膚を裂けて何本も生えていた。

 塊は増えに増え、ソレは徐々に動き出す。

 やがて耐え切れなくなった赤い波が我々のほうに向かって流れだしてきた。

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