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人を穿ちてモノノケ語り  作者: 下鴨哲生
友と木魅
37/44

十八の幕

「わー怒った怒った怒った!」

「待ちなさい!」

 勝也は勢いよく前方へ走っていき、それをさくらが追いかける。

 勝也は捕まるすんでのところで旭の体を盾にし、さくらの手を阻んだ。自分を介して行われるそんなやりとりを、旭は怪訝な顔で見まわしている。時折、旭と目が合って、さくらは「すいませんっ」と謝辞を入れる。

 私と京狐はそれを少し離れた位置から静観していた。

 私は今しかないと思った。

「今の内に聞いておく」

 私は京狐の隣へと歩いていき、あまり声を張らずに話しかけた。

「あの時、相沢さんをどうやって説得したんだ?」

「あの時って……」

 京狐は私のほうを見た。しかしそこにあるのは、口元は微笑みつつも目は真剣な私の横顔のみ。

 彼女は私の顔を見て、あの時というのがどの時のことかを察したようだった。

「さくらちゃんを連れて行くって言ったときのことね」

「ああ」

 私は小さくうなずいた。

 さくらは最初、我々に同行するのはあまり気が乗らないようであった。

 だが、京狐と共に席を外し、返ってきた彼女はついていくと自分から言い出した。あの変わりようは余程のことがなければありえなかったであろう。

「そんなに大したことはしてないわよ」

「まさかお前……」

 私が何かを考えたことを彼女は感じ取り「ふっ」と微笑む。

「妖術なんて使ってないわよ」

 私は瞬時に考えが読まれたことに対して少し驚いた。「じゃあなんで……?」私は京狐へ折り返す。

「私はただ……さくらちゃんにお願いしたのよ。旭君のことを見ててくださいって」

 彼女は軽く深呼吸をし、話を続ける。

「ずっと旭君のことを見てきたわ。もう百年以上になるかしら……彼がまだ普通の人間だったころから見てきたけど……今のあの子はなんとなく危険な気がするのよ」

「危険? 旭が?」

 京狐は無言でうなずいた。

「長い間、モノノケを介して人を見て、旭君は人が何たるかを知っているわ。だから、人がどうあるべきかということも心得ている。でも、この世には旭が思うあるべき人は少ない。時代が進むにつれ、人はどんどん(すさ)んでいって、思いやりを失っていく。そんな世を生き続けて、ついには人をあきらめるなんてこと、旭にはしてほしくないの」

 そう語る京狐の目はどこか悲しそうで、旭達を見ていても、ここではない遠くを見つめているようだった。

 そんな京狐の視線を私も追う。そこには旭と勝也と……さくらがいる。

「なるほどな」

 私はなんとなく――理解した。

 我々はアヤカシである。私は狸であり、京狐は狐である。そして、旭は人間である。呪いを身に受け、アヤカシと近しい存在になったとしても、彼の根幹が人間であるということに変わりはない。

 私も京狐も彼の近くにいてやることはできるが、我々は人間ではない。

 その存在同士が真に交わることは決してない。

「だからあの子が必要なのか」

 京狐は返事もせず、頷きもしなかったが、いずれにせよ、彼女が言いたいことはもう分かった。

 旭が人に完全に絶望することがないように、彼と同じ人という生き物が彼の傍に必要なのだ。

 それだけでいい。それが理解できた今、私はもうそれ以上、京狐に聞くことはなくなった。

「さくらちゃんね、全部黙って聞いててくれたわ。頭を下げる私を見たら、さすがに慌ててたけど」

 京狐は笑いながらそう言った。しかし、そんな最中(さなか)でも彼女の表情から一抹の悲しさは消えない。

「あんな優しい子にこんなことをさせようなんて……やっぱり私は、どこまで行っても女狐(めぎつね)なのね……」

 彼女の声はとても小さかったが、私の耳にははっきりとそれが聞こえた。しかし、私はその声を心の内に収め、ただ黙って聞かなかったこととした。


     〇


 しばらくして、我々は東病棟三二七号室へとたどり着く。亡くなった少年が入院していた病室、昼間にその両親と話した病室だ。

 病室の引き戸を開け、我々はぞろぞろと中に入る。

 そして、病室に入った途端、昼間にはなかったはずのあるものが目に入った。

「あれ、こんなものあったか?」

 ベッドテーブルの上に花瓶に生けられた赤い花が置いてある。

 大きさにして六十センチほどだろうか。緑と赤が入り混じった細長い茎に赤い花びらが何枚もついている。その花が何本も花瓶に生けられ、まるで大輪の薔薇(ばら)のように美しく(たたず)んでいた。

「これはサルビアね。きっと良子さん達が置いていったんだわ。哲君が入院してた時にはお花なんて病室に持ち込めなかったから……」

 京狐がその花に手を添える。

 そういえば、ベッド脇のテーブルに置いてあったような……

 私は紘一の姿によって隠されていたテーブルを思い出した。はっきりとあったかどうか思い出せないが、多分あった。うん。多分。

「心配しなくても、ちゃんとあったわよ」

 京狐の洞察力に私は背筋に悪寒を覚えた。

 どうやらこの病室にはそれ以外の変化は見受けられない。モノノケの姿はなく、ましてや幽霊もいない。正直言って拍子抜けなところがあるが、まぁそんなタイミングよく現れるモノでもないだろう。

 私は病室をしばらく見渡し、最後にテーブルの上のサルビアへと視線を戻す。

 そこで私は、近くに勝也が来ていたことに気がついた。

 彼はベッドの横に立ち、空のベッドを見つめている。そんな彼の姿を見て、私は昼間の良子と紘一のことを思い出した。

「お前と哲は一体どんな友達だったんだ?」

 どうして私がそんな質問を彼にしたのか、私にもわからなかった。彼を慰めようと思ったのか、はたまた廊下での質問の仕返しか――

 私の口からとっさに出たソレは彼に届いてはいたものの、彼がベッドから目を離すことはなかった。

「どんなってなんだよ」

 勝也の声から、先ほどまでの元気は感じられない。私はそこで、なにやら面倒な質問をしてしまったと気づいた。

「いやほら、あるだろ? 馴れ初めとか共通の趣味とかさ……」

「まるで夫婦の話みたいだな」

「黙っとけ旭」

 旭は口をムッと結んで黙った。しかしその顔は何となくムカつく。

 私がにらみを利かせていると、勝也は頭にかぶった赤いキャップを外し、ベッドからそれへ視線を移した。

「これ、哲のなんだ」

 勝也がそう口にし、我々は彼の言葉に耳を澄ませる。

「あいつさ、体弱いのに、余裕があるとき見つけていつもサッカー一緒にやってた。そんとき、この帽子いつもかぶってた。またやろうなってお別れしたのに……あいつ、倒れて……入院して……それで……」

 彼は手にもつキャップをギュッと握りしめる。

 今にも泣きだすかとも思われたが、彼も男だ。あふれ出そうになる悲しみをグッと堪えて、彼はただキャップを見ながらうつむいていた。

 私はそんな彼に近づいて、小さな頭をワシャワシャとなでた。

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