十三の幕
「おい旭それって……」
私は旭が手に持っている赤子の腕を見て、顔をしかめた。こんな時でも、彼はケロッとしている。それもそのはずだ。
「大丈夫。これは本物ではない」
旭は腕を私のほうへと差し出した。
まじで?
私は恐る恐るその腕へと手を伸ばし、受け取った。しかし、触った瞬間にそれが偽物だと分かり、私はなんだか拍子抜けした気分になった。
なによりも、感触が違う。
手に取ったそれは、弾力があるとはいってもぷにぷにというよりはブニブニといった感触で、無理に例えるならゴムのような感触言っていいだろう。
というか。
「これおもちゃじゃないのか?」
私はそのおもちゃをぶらぶらとさせて、旭に聞く。
「かも」
「かも?」
かもじゃないだろ。完全にそうだ。
私は大きくため息をついた。
「そんなため息をつかれても、別に俺はその腕がなんたらとは一言も言っていない」
旭はそう言いながら、ソファをずらした所の壁に向かってもう一度しゃがみこんだ。そしてその一端を指さし、我々にここにを見ろという意思を示す。
京狐と私はその意思に従い、旭と同じようにしゃがみこみ、それを見た。
「どうなってんだ?コレ」
旭が指した壁からはそこにあるはずのないものがあった。というより、生えてるはずのないものだ。
そこには木の根が生えていた。
壁がすこしはがれ、そこから十五センチほどの木の根が生えており、申し訳程度の葉っぱまでついている。まるでこの壁の向こうに木でも生えているかのようだが、窓から確認してもそんなものは見受けられない。
この木の根は、この壁のこの場所にしかないものなのだ。
旭はその木の根を触り、輪郭に沿って指を滑らせた。
「モノノケにはモノノケの領分がある。これはそこから漏れ出したものだ。漏れ出した力は徐々にこちら側に侵食してくるか、何かのきっかけに突発的に作用してくる。来栖旅館の妊婦は後者にあたる。そしてこれは……」
旭は眉間にしわを寄せ、何かを考え込んだ。
「つまり、これはモノノケの仕業だと?」
私は旭の話をまとめ、そのまま聞き返す。旭は視線を向けることなく、ただ短く「恐らく」と返した。
「そしてこれを見る限り、モノノケは木に関係するアヤカシから生まれたと考えるべきだろう。そんなアヤカシはあまり多くはない。だが、今の状態で断言もできない」
旭はそう語りながら立ち上がり、一人がけソファをもとの位置に戻した。
そして上体を起こし、ピシッと背筋を伸ばすと、そのまま京狐のほうへ神妙な面持ちを向ける。
「それで、京狐さん。今回のモノノケの依り代。目星はもうついてるんですよね?」
旭のその言葉に、私が驚きを隠せなかったことは言うまでもない。
「さすが旭君」
私は開いた口がふさがらなかった。京狐に詰め寄る。
「だったら最初からその人に会わせてくれよ」
「それは無理」
「意味が分からん」
「だって……」
京狐はそこまで言いかけていたが、何かを思い出したかのように苦い顔になり、最後の言葉を渋った。
ここで今一度、京狐を問い詰めようとも思ったが、私はそれができなかった。
その時の京狐の顔が、あまりにも悲しく、悲哀を帯びていたからだ。京狐のそんな顔はとても珍しい。
私は京狐からの次の言葉を待った。
彼女は軽く深呼吸をした。
「もうこの世にいないのよ。その子」
京狐は穏やかにそう言い、我々はその言葉を静かに受け取った。
私がその言葉で一番"苦"を感じたのは「その子」という部分だ。京狐からすれば、この世に生きる全ての人間は年下である。
だが、京狐が人をその子と表現する場合、大抵は齢二十以下の子供である。そして、京狐が言った「その子」という言葉の微妙な含みから"その子"がより小さな子供であるような予感が私にはしていた。
その予感はのちに正しかったということが分かる。
「ならば……何か手段はあるんですか? モノノケの誠を知るための」
旭の言葉を受け、京狐は持ち前の笑顔を取り戻す。もしやそれはカラ元気だったのかもしれないが、カラ元気もないよりはましとも言う。
そんな彼女の表情を見て、私は少しだけ安堵した。
「もっちろん。もうすぐ来るはずよ。その方たちが。時間があったから、何も言わず、ここで手掛かりを探してもらってたの」
京狐は左手にした腕時計を見て、ただ笑ってそう言った。
〇
「ここよ」
京狐の案内で行きついたのは、我々がいた西病棟側とは真逆の東病棟三二七号室。ここは重篤患者の個室となっており、"その子"はこの部屋で病気の療養を行っていたらしい。
いや、この言い方には語弊がある。
我々はここにくるまでに、京狐に"その子”の話を聞いていた。
名前は「森村哲」。享年十二歳。あまりにも若すぎる死である。
少年は生まれつきの心臓病を持っており、発作が起きやすく、なおかつ他の病気すらも誘発しやすいという体質であった。
そんな少年が倒れたのは彼が十二の誕生日を迎える一週間前のことだったという。気づいたときにはもう手遅れだったという。
先ほど私は「"その子"はこの部屋で病気の療養を行っていた」と言った。あれは間違いだ。
少年に施されたのは、モルヒネを使った延命であった。
彼はもう助からないと医師は判断したのだ。
そして少年は半年に及ぶ延命の末、二週間ほど前、この世を去った。
では、何故我々がこの病室に来ているのか。それは、この病室にその死を受け入れられない者達がいるからだ。
京狐は病室の引き戸をがらがらと開けた。
京狐の後ろから覗き見た病室には、壮年の夫婦が灰色のスツールに腰掛け、目の前のベッドを見つめている。
その夫婦は京狐が病室に入ったのを確認し、スツールからその腰を上げた。そして京狐に向かって軽く頭を下げる。
「あ……琴桐先生……お世話になっております……」
彼らの間にあるベッドは誰も寝ていない、空のベッドであった。




