十一の幕
宴会のあった日から二日後のことである。
我々は京狐が現在働いている「南雲総合病院」へと歩いていた。
「あれ? そういえばさくらちゃんは?」
私の隣を歩く京狐が、周りをキョロキョロと見回しながら聞いた。
「相沢さんは学校だ。夕方になったら合流するって」
私は京狐の質問に答えた。
〇
宴会の夜「モノノケが出た」と言った京狐に対し、旭と私は詳しく話すように京狐に促した。
宿舎の台所にて、宴会の片付けを手伝いながら京狐が語った話は、要約するとこうである。
京狐が働いている南雲病院で、最近とある噂が流れた。
初めはなんてことのない噂だったという。
夜中に子供のような声が聞こえるとか、ゴロゴロと音がするとか、赤ちゃんのような丸くて赤い物体が病院の廊下を這いずっていたとか、少年のような影を看護師が見たとか。
全て証拠がなく、誰一人としてその噂を本当のことだとは思わなかったらしい。中には違った反応を示すものもいたが、その人達の言い分は「病院なんだから少しぐらい幽霊がいてもおかしくない」という冗談めいた反応であった。
しかし、そんな噂が実害となって現れる。
一夜越した朝の病院のラウンジにて、椅子やテーブルが竜巻でもあったかというほど散乱したのだ。それを発見したのは、夜勤明けの看護師であった。
病院側は最初、犯人はその看護師及び同じ夜勤の同僚達ではないかと考えた。散乱していたラウンジは看護師達が待機していたナースステーションからさほど遠くはない。
椅子やテーブルが、こんなにも薙ぎ倒されるような音がナースステーションにいた彼女達に聞こえないはずがなかったのである。
しかし、看護師達は皆、口をそろえて「そんな音は聞こえなかったし、朝になるまでこんな状況であったことにも気づかなかった」と証言した。
結局、この病院の夜警が言った「問題はなかった」という一言と夜勤の看護師が全員女性であったということを鑑みて、このことは警察に届け出るだけにするということで病院側は納得したらしい。
そしてその翌日、夜警の警備員の一人が行方不明となった。
「いなくなっちゃったんですか?」
洗った皿を拭きながら、さくらは京狐に聞き返した。
「そうなの。病院はその報告を受けてはいたんだけど、このことは警察には言わなかったみたい。さすがに人が行方不明になったってことは隠したいみたいね」
京狐は食器を食器棚に入れながら、さくらに答えた。お酒のせいで緩んだのか、きつね色の尻尾と耳が出てしまっている。最初さくらがこれを見た時、さくらは少々驚いていたがそのあとつぶやいた「あっ本当に狐なんだぁ……」というつぶやきから、彼女はもう数奇なアヤカシの世界に迷い込んでしまったのだと思われた。
「それで、それがモノノケによるものだと言う根拠は何ですか?」
主室の座敷に座っている旭がお茶が入っている湯飲みを手に京狐へ問いかけた。
この台所は所謂ダイニングキッチンのような造りになっており、旭がいる主室は八畳ほどの木造スペースを挟んだ向かいにある。
ちなみに、今私が木製の椅子に腰かけているのはそのスペースだ。
旭の問いに、京狐は台所から答える。
「根拠はほぼないと言ってもいいわ。強いていうなら、病院が祓い屋を呼んでも効果がなかったってこと。モノノケは普通の手段じゃ祓うことができないからね」
京狐の言う通り、モノノケは普通の手段では祓うことができない。
相応の霊力を持つ人間やアヤカシであれば、モノノケに一時的なダメージを与えたり、動きを封じることはできるのだが、そのどれもがモノノケを完全に払うことができる力は持ち合わせていない。時間がたてばキズは治り、結界は徐々に破られる。
それを払うことができるのは旭が持つ銃のように、人間やアヤカシすらも超えるような呪具が必要なのだ。
「その祓い屋が未熟だったってことは? もしくはわかりやすい詐欺師とか」
私は椅子の背もたれのほうを正面にし、そこに顎をのせながら言った。
「それもわからないわね。まぁもし、このことがモノノケによるものじゃなく、アヤカシや怨霊の類だったとしても旭君なら大丈夫でしょう?」
京狐の言葉を受けて、旭は当然だと言わんばかりに手元のお茶を静かに飲んだ。そして口を離した瞬間、旭は「ほっ」と一息く。
「モノノケが関わる話でないのなら気乗りしませんが……まぁ、行けば銃が教えてくれますし、明後日にも南雲病院に出向きましょう」
「そこは明日じゃないんだ」
「急に明日行こうってなると、なんとなく気分が落ちるだろう?」
なんだろう。すごくわかる気がする。
こうして我々は京狐の案内付きで南雲病院へと訪れることになった。
「気を付けて行って来てくださいね」
いつの間にか洗い物を終え、我々のもとに歩いてきたさくらが我々を気にかけた。
「何を言っているの? さくらちゃんも一緒に行くのよ?」
「えぇ!?」
京狐の一言に、さくらだけではなく、我々も驚いていた。
〇
「別に相沢さんを巻き込むことなかったのでは?」
前方を歩く旭が振り返ることなく京狐に聞いた。その声を聞いて、京狐は小走りで旭の隣に向かう。覗き込んだ旭の顔はどこか機嫌が悪そうだった。
「もちろん危険なことはさせないわ。彼女も最後には了承してくれたしね。きっとさくらちゃんにも良い経験になると思うの」
「そんな経験、いらないと思います」
旭は冷たく京狐をあしらった。
本日の旭の様相は、勝負服でもある純和風の袴姿だ。
京狐がさくらも一緒にと言ったあと、旭はそれに酷く反対した。「彼女を危険な目に会わせるわけにはいかない」と。最初はさくら自身も行く必要があるのか自分で疑問だったであろう。
だが、京狐はさくらと二人で話したいと席を外し、返ってきたときにはさくらは一緒に行くと意を決めていた。二人で何を話したのかは我々の知るところではない。
知るところでないということも旭の機嫌を損ねている原因の一端であった。
その後、何故か旭をさくらは軽い言い争いを始めた。「私は行きたいんです!」「行かせることはできない」。お互いに意見を述べた後、私と京狐の説得もあり、結論としてさくらは一緒についてくることになった。
我々がついている以上、さくらを危険な目に合わせることはない。
それを前提に置いたうえで私の考えを述べるとすれば、さくらが行きたいというならば、我々にそれを止める権利はなく、彼女のしたいようにさせるのが吉である。これは狸の結論だ。
そうこうしているうちに、我々は本題の南雲病院に到着した。
真っ白な壁と透明な窓だけで構成された四角い建物。その一角には水色の四角い文字で「南雲総合病院」と銘打たれており、その横にはこの病院の象徴たる雲のロゴマークがそびえていた。
こういうのを「白い巨塔」というのだろうか。
「当たりだ」
さっきまでふくれっ面だった旭が巨塔を見上げてつぶやいた。
彼は懐から銃を取り出す。旭の手に乗るその銃は小刻みにカタカタと震えていた。




