五の幕
それから我々はお互いに軽い自己紹介を済ませた。
「柊旭です」
「鴨ノ川桃狸です」
「相沢……さくらです」
よくよく考えると、ここに来て自己紹介というのも妙な感じがしたため、我々の自己紹介は"軽い"を通り越して"薄っぺらい"ものとなった。
「えぇと……源さん。まずは、これから相沢さんがどうすればいいのか説明してあげたほうが良いんじゃないですかね」
私は進みそうにない話の糸口を差し出した。
「そうですな。さすが桃狸君。話を進めるのがうまい」
それほどでも。
私は心の中でつぶやいた。
〇
それから決まったことをここにまとめる。といっても二つだけだ。
一つ、学校の放課後と休日はできる限り天丈寺の手伝いに就くこと。
二つ、住まいは我々の宿舎の一室とすること。
ん?ちょっと待てよ。
「どうして我々の宿舎に?」
私が質問する前に、旭がすかさず問いかけた。
「残念ながら、庫院の部屋は満室なようでね」
絶対に嘘である。寺の僧たちをかかえる庫院がそう簡単に満室になるわけがない。
「男二人の宿舎で一緒に暮らすのは倫理的に問題があるかと」
「でもしょうがない。満室だからね」
時々源さんの考えていることが分からなくなる。何も言えなくなった旭に変わって今度は私が言ってみる。
「源さん、さすがにちょっと……」
「わしの記憶が正しければ、君達の宿舎にはもうすでに女の人がいるはずじゃが……」
「アレは人間じゃありません」
「女の子はいるんだね」
はい確かにいますね。女にカウントできるやつは。
私は源さんに何も言い返せなくなった。
男が二人、自分よりも年下の老人に言いくるめられる。言葉にすると、なにやら奇妙である。
「ということで、これからここは貴方の家です。これからは、『はじめまして』ではなく『ただいま』と帰ってきてくださいね」
今回の裁判。原告の訴えはすべて却下され、被告天丈清源の勝訴となります。
我々は二人してため息をついた。
「さて、説明は終わったね……少し話そうか」
源さんは背筋を伸ばして両足に手を置いた。
「なにか……聞きたいことがあるようだね」
源さんはさくらをまっすぐ見た。
思えばここまで、彼女は必要最低限のことしか喋っていない。自己紹介と挨拶。それと小さな相槌くらいである。さくらはただ正座で、膝の上に手を置き、じっと話を聞いているだけだった。
やがて彼女は少しためらいながらも、その口を、開き始めた。
「私の……」
我々は彼女の声に耳を澄ませる。
「私の……両親の話を」
腹の底から絞り出したような声。
彼女が聞きたいこととは、他の誰でもない。彼女自身の両親にまつわる話であった。
〇
「もう……十六年も前ですか……」
「はい。四歳の時でした。私は幼すぎて、両親のことをよく覚えていません。思い出そうとすると、頭の中によみがえるのは両親の葬儀の光景だけ……それだけなんです」
さくらは悲痛な声で訴えていた。
源さんから前もって聞いていた話では、さくらの両親が事故にあった時、彼女は保育園に預けられていたらしい。彼女の両親がなぜ二人で出かけていたのか。その理由はわからない。確かなことは、さくらの両親はさくらを残して死ぬつもりはなかっただろうし、さくらも両親がいなくなるとは思ってもみなかったことだけだ。
保育園でお別れをして、次に会うのが親の葬儀でなんて、四歳にして体験するにはあまりにも衝撃的過ぎたであろう。
さくらは顔を下に向け、その手を握りしめている。
源さんはそんな彼女の様子を見ながら、彼女の両親のことを話し始める。
「わしは貴方の母、てんじょ……いえ、相沢恵理の兄にあたります。だから、あなたのお父さん。祐介さんについては詳しく話すことができません。それでも……良いですか?」
源さんの問いにさくらは黙ってうなずいた。
源さんはそれを見て、静かに微笑んだ。
「それでは……天丈家は代々、仏に仕えることを責とした家系です。伝統に縛られた愚かな家系だったのかもしれませんが、天丈の子どもは浅くとも仏の道に進まなくてはいけないと言われ育てられるのです。だから、長男であったわしは、大学を出たあとに出家し僧侶となりました。問題は……女性であった妹の恵理のほう。貴方のお母さんのほうです。両親は妹を寺持ちの僧侶と結婚させようとしました。『貴方が大学を出たらその人と結婚させる』。両親は妹にそれを高校生の時から言い聞かせてきたのです」
「それが、私の父ですか?」
「いいえ」
源さんは左右に首を振った。
「妹はそういった政略結婚を良しとしませんでした。両親に反発し、家系に反発し、彼女は自分の道を自分で決めたいと思っていたんです。妹は兄であるわしにだけはそのことを相談していた。私も、妹には自由に生きてほしいと願った。そして……彼女は出会ったんです。祐介さんに」
源さんは静かにさくらを見つめながら、話を続ける。
「妹が大学に入ってすぐ、彼女は祐介さんと出会いました。偶然か否か、祐介さんも両親の稼業のためにと育てられてきた境遇で、二人は自然と惹かれあったそうです。そして……二人は家族に内緒で交際を始め、そして……二人は駆け落ちを選んだのです」
源さんの最後の言葉にさくらが驚きの表情を見せる。きっとそんなこと知る由もなかったのだろう。
「どうして……そんなことを……?」
さくらは源さんを見て聞いた。問われた源さんは目を細めて、口角を上げる。
「そのときすでに、あなたがいたからですよ」
源さんの言葉を聞いて、さくらは驚いたような悲しいような表情を見せる。
「お腹の中にあなたがいると分かった二人は意を決して、お互いの家族に全てを打ち明けました。お互いがお互いを愛していること。その証が自分のお腹の中にあるということ。そして、結婚を許してほしいと。……でも、どちらの家族もそれを許しませんでした。それどころか、政略結婚を早め、子供をおろさせようとまで……その姿を見て、さすがのわしも黙ってはいられなくなった」
源さんは無邪気に笑いながら自分の頭に手を置いた。
「二人の駆け落ちを助けて、できうる限りのつてを利用したんです。二人が駆け落ちしたと同時に、悟りを開くためと私は山に入った。それから貴方が生まれ、育て、そして……」
源さんはここで話を止めた。この先に続くことはさくらがすでに知りえていること。悲しそうな表情の源さんを見れば、そこからは……理解できる。
源さんが話している間、さくらはただ聞き入っていた。聞き入っていたというより、堪えていたというのかもしれない。うつむく彼女の表情は、長い髪で隠れて見えない。




