三の幕
ミサンガを渡した後、我々は天丈寺へと続く雑木林の林道を歩いた。
木々たちの隙間から漏れる木漏れ日が、我々を照らしている。
まるで、さくらの来訪を待っていたかのように。
柊旭という男の帰還を称えるかのように。
ついでに、俺という狸を迎え入れるように。
そしてその先に待つのは、天丈寺本殿前にある楼門。
朱漆で塗られたその門は、ここが紛れもない寺院であるということを証明している。
その楼門の下に、和服を着た少女が待っていた。凛然と佇む黒髪の少女。ボブショートで、毛先が外側へはねている。その女の子は体の前で手を組み、ただ、我々を待っていた。
「お待ちしていました」
我々が目の前に来たのを確認し、少女は言った。歳はまだ二十もいっていないだろうに、その口ぶりからはそんな稚拙さはうかがい知ることができない。
「海里ちゃんただいま! 源さんは今大丈夫?」
私は少女に向かって尋ねた。
「清源さんは今、葬儀の最中です……では、歩きましょう」
少女の提案により、我々は天丈寺の庫院へ向け歩き出した。
少女の名前は海里。名字は知らない。何度聞いても、ただただ笑顔で返されるばかりで、少女は何も語らないのだ。
故に少女は海里であり、それ以外のなにものでもない。
我々が天丈寺に行きついた時、すでに彼女はここにいた。天丈寺の雑用として、すでにここで奉公していたのだ。そんな少女を源さんは「海里さん」と呼び、我々もその呼び方に従った。
「源さんが戻るまで、俺達は何をすればいいのかな」
境内を歩きながら、旭は先頭を行く海里へ問いかけた。海里はこちらへ振り返ることなくその問いに答える。
「厳密に言えば、何かをするのはさくらさんです。桃狸さんと旭はそこらで暇をつぶしていてください」
丁寧なはずなのに、どこか毒がある。
「前から思ってたんだけど、何故俺だけ呼び捨てなの?」
旭は自分に対する「敬称なし」について聞いた。海里はそこで歩を止め、我々の方へ振り向いた。満面の笑みである。
「狼の子どもに敬称を使う必要はない」
その言葉に我々が文字通り停止したということは言うまでもないだろう。えっと、どこからつっこめばいいのか。
「百五十年生きてきてまだ子どもと言われるとはね」
「いやそこなの? 海里ちゃんが呪いを知ってたことを言えよ」
私は思わず、旭の言葉に割って入った。
旭の「狼の呪い」のことを知っているのは私と旭と源さん。そして、今はいないが、もう一人……もう一匹のアヤカシだけである。
それ以外にいるとすれば、今日それを目撃したさくらだけだろう。
「なんで海里ちゃんが呪いのことを?」
私は海里に尋ねた。海里は私の方を向いて、それに答える。
「清源さんに聞きました。ずいぶん前に」
「どうして言ってくれなかったの~?」
「聞かれなかったですしおすし」
「なにがおすし?」
この質問には答えてくれなかった。
海里の話によれば、源さんは海里に旭の呪いだけでなく、私が狸であることも話しているらしい。ついでに、さくらが源さんの姪であるということも。またついでに言えば、モノノケという存在のことも。
「つまり、全て知っているというわけだね」
「その通りですっ!」
旭の言葉に対して、海里は人差し指を立てながら笑顔を見せた。この少女、ただものではない。
「あの……それで私がやる『なにか』ってのは……?」
タイミングを見て、私と旭の間からさくらが聞いた。そのさくらを見て、海里は自分のあごに手をやり、さくらを上から下まで眺めた。
我々はその光景をただ見ている。
やがて、海里は小さくうなずき、納得したような様子を見せた。そして、その両手をグッと握り、顔の横まで持っていくとさくらに向かってこう言い放った。
「さくらさんは私と一緒にお着替えに行きましょう!」
この時だけは海里が純朴な少女に戻ったようだった。
〇
海里に連れられて、さくらがどこかへ連れられて行った。おそらく、その"どこか"でさきほどの「お着替え」を実行していることだろう。
当たり前だが、それに我々が同行することはない。
私と旭は彼女達を見送り、その足で宿舎前の庭園へと向かった。池にかかる赤い橋へと差し掛かり、旭はその橋の中腹にて立ち止まる。橋の欄干へと腕を置き、彼はそこから見える景色を自分の目に投影した。
「源さんもおしゃべりな人だ」
旭は景色を見ながら小さくそうつぶやいた。そのつぶやきを聞いた私も欄干に背からもたれかかり、肘をそこへおいた。
「まぁ……海里ちゃんなら大丈夫だろ。誰かに言いふらすようなタイプじゃない」
「そうだといいけどね……」
そこで旭は懐に触れた。金属が当たったような「カチャ」という音が小さく鳴る。
「人間は信頼するに値しない」
旭は悲しそうにそう言った。ただそれだけ言った。
その考えには同感である。だがそれは、狸である私から見て、アヤカシである私から見ての話だ。
人間である旭が同じ人間を批判するということはとても寂しいことに思える。モノノケを通じ、呪いを通じ、数多くの人間の業を見てきた彼の目に人間がどう映っているのか。もしかしたらそれは、モノノケやアヤカシよりも恐ろしい様相なのかもしれない。
「相沢さんや源さんのことも?」
この質問がどれだけ意地の悪い質問であるか、私はそれを理解している。だが、理解した上でのソレは私の口から自然とこぼれ落ちていた。
「例外はない」
淡々と言い放つ彼の言葉に迷いはなかった。でも、
「ほんとにぃ? ミサンガまで用意していたのに?」
「彼女は特別だ」
「例外じゃないか」
「特別なことと例外なことは違う。彼女は普通の人とは違うかもしれないが、人間であることに変わりはないのだから」
私は我が友人のその言葉にただ曖昧な相槌をうつことしかできなかった。




