一の幕
私が目を覚ましたのは朝というにはあまりにも明るく、昼下がりというにはあまりにも暗い時間であった。
要するに、午前十時三十七分二十三秒。コンマ以下は測っていない。というより、四畳半の私の部屋に置かれた百円均一のデジタル時計には秒表示以下は出ていない。
狸である私が、人間の愛用具"ザ・布団"の上で目覚めるというのは何やら可笑しな様相な気がするが、これが気持ちいのなんの。やはり草場の上で眠るよりこちらの方が良い。
私は人間の姿でいるのにそこまで苦労はしない。故に、寝ている間も人間に化けているなんてことは造作もない。だが、あまりに気を抜きすぎると私は布団の上で狸に戻っていることがある。そういう場合は、十二時過ぎまで眠りこけてしまい、我が友人にたたき起こされるというみっともない姿をさらすことになるが、重ねて言おう。私は本日、午前十時三十七分二十三秒に人間の姿で起床した。
ボキボキと音を立てながら体をひねる。
そして、我が天国なる羽毛布団を蹴り上げると、私は布団から体を起こした。
「いててて……」
凝り固まった体が、私に対して軽い痛みを訴えかけてくる。黙れ体。
布団から立ち上がると、古めかしいふすまを開けて、私は四畳半の自室から廊下へと出た。
ふすまをぱたりと閉め、両隣の部屋の様子をうかがう。
どうやら我が隣人は、どちらもすでに起き始めていたようだ。特に驚きもしない。だってもう十一時近くだもの。
私は廊下の突き当りにある洗面所へと向かった。
曇りガラスのついた木造ドア。そのガラスの向こうに黒い人影が見えた。この先にいるのが誰なのかを二・三秒考えた後、私はそのドアを開けた。
「おはよう。桃狸。ずいぶんと遅いご起床で」
ハブラシを口の中に入れながら、我が友人、柊旭が私に言った。
彼は無地の白いシャツに黒のパンツという極めてラフな格好でそこにいた。モノノケが関わると着物を着る彼が普段はこんなに普通でオシャレな恰好をしていることに私は未だに慣れていない。
「おは……お前も歯ぁ磨いてるってことは今起きたのか?」
私は寝ぼけ眼で旭を見つめ、頭を軽く掻きながらぼやいた。
「残念ながら、俺はいつでも六時起きだ。図画百鬼夜行を読み始めたらいつの間にか時間を忘れてしまってね。気づいたらこんな時間。|朝ごはんは一応食べたけど、まぁ……君とそこまで変わらないかもな」
彼は朝の自分の行動を説明しながら、洗面台の横へずれた。
空いたスペースに私が入り、蛇口をひねって水を出す。私はその水を手にため、息を少し吸って止めた後、その水のバシャバシャと顔にかけた。
眠気が一気に冷め、顔を上げた私の目に映ったものは鏡に映った私の姿。そして、私のシャツに書かれた「狸鍋」の文字。
改めて思ったが、言葉にしようもないくらいにダサい。それに、私に対しての皮肉がふんだんに盛り込まれている。ところで、私はこの服をいったいどこで買ったんだっけ。
そんなことを思いながら、私は傍らに畳まれたタオルをひとつとった。
「今日の朝メシなんだった」
自分の顔をタオルで拭きながら旭に問いかける。
「鮭のむすびに味噌汁。漬物に……だし巻き卵」
「おぉ……おいしそうだこと」
「おいしかったよ。君の味噌汁と漬物とだし巻き卵も」
「おい待てこら」
「さけのむすびは残ってる」
「おかずをよこせ。おかずを」
旭に悪態ついてみせたが、寝坊した私は文句を言える立場ではない。
寝ぐせを整え、身だしなみを整え、結局私は台所に残っていたさけのむすびを美味しくいただいた。
〇
朝食をすませた後、私は一度部屋へと戻った。できることならば、このまま外の空気でも吸いに行きたかったが、私の胸に「狸鍋」という文字を引っさげたまま外に出ることは、いくら狸の私でもはばかられる。
四畳半の我が城へと戻ってきた私はカーテンレールに下げてある薄手のジャケットを掴み、それを羽織る。
ついでに寝間着用のハーフパンツからデニムにも履き替えておいた。
簡単に着替えも済ませ、私は再び廊下へと出る。ついでに私は私の隣人の様子を再びうかがってみた。
左隣の部屋には、やはり人の気配はない。恐らく、すでに天丈寺で任された業務をこなしていることだろう。主人が不在でかつ可憐な乙女である彼女の部屋を覗くような無粋な真似は私には出来ない。
次に、確認したのは私の部屋の右隣にある部屋。恐らく歯磨きから帰還したであろうアイツがここにはいる。
部屋の外から気配をうかがい知ることは出来ないが、私は彼ならとお構いなしにその部屋のふすまを勢いよく開けた。
開いたドアに向かって、心地よい風が吹き抜ける。部屋の外に面した壁にある障子窓は、春の気持ちの良い風を取り込むために開け放たれ、その風は部屋の主たる旭の髪を優しくなでていた。
「相変わらず広い部屋だ」
「君の部屋が狭すぎるんだよ」
ぱっと見、八畳ほどはあると思われる畳の和室。壁には木造の大きな本棚があり、その中には旭が寵愛する本や書物が詰め込まれている。
部屋の突き当りにはまんまるとした障子窓もあり、その傍らには茶色を基調とした背の低い文机と緑の座布団の座椅子。
我が友人はそこに座し、古めかしい本を手にくつろいでいた。
「なんか腹立つな」
私の部屋と比べて、この部屋は広いし、なおかつオシャレ。なおかつ整っている。無駄があるようでないようなこの部屋は、まさに柊旭という人間を体現しているようだった。
「部屋は君が選んだんだろう?」
「……まぁ。広いのは落ち着かないんだ。それに、広すぎると何を置いていいのかわからなくて手に余る」
他に広い部屋があったにも関わらず、私はあえて四畳半の真ん中部屋を選んだ。あの絶妙な狭さと心地よさ。インテリアなどを気にする必要もない厳密なる我が城。それ以外に何が必要だろうか。
……っと、コーディネートセンスがない言い訳をいつも心の中でしている。
「君は毎日ほぼ外にいるからね。そこまで必要ないといえば必要ない」
「確かに部屋にはほぼいないけどな……だが腹立つ」
「それはもうどうしようもない」
私にとってあの部屋は、ほぼ寝るためだけの部屋と言っても過言ではない。
気ままな狸である私は、何よりこの空都の景色が好きであり、それを堪能しない時間なんて端的に言ってもったいない。私は日々の暇な時間を川や山や街や野原や森で過ごすタイプである。
かたや我が友人は本を読みふけり、妄想の世界を好む読書家タイプ。私であれば、半日も持たないであろう。
「旭の趣味は理解できそうもないな」
そんな私のイヤミを彼はただ微笑みで返した。




