十六の幕
――どうか……お願いします……
「そろそろ起きたらどうだい? 桃色狸くん」
旭の声で目覚めた私の目に映ったのは心配そうに私を見つめるさくらと体の後ろに銃を持った仁王立ちの旭。
そして、見慣れたはずの見慣れない屋根裏部屋だった。
場所的には私が先ほどまでいた屋根裏部屋に相違ない。だが、私が見ていた屋根裏部屋と比べて、今いる屋根裏部屋はどこか小奇麗であった。それに、同じ屋根裏部屋にいたはずの女将と公三がいない。
「ここは……?」
私が起きたのを見計らって、旭は右手を差し出した。私はその手を支えに立ちあがり、周りを見渡す。
やはり……そこそこ綺麗である。
先程までいたはずの屋根裏部屋には、ところどころ蜘蛛の巣などがはっており、なおかつ床や壁には穴が開いていたが、この場所にはそれが見受けられない。
困惑している私を見て、旭は少し微笑みながら片手である場所を示した。
その場所に目線を送る。
そこにあった……いや、そこにいたのは布団をかけた生きている女の人。翠が暴走したときに見た、沙希がそこにいた。
「招かれたみたいだ。モノノケは全てを俺達に見せる気らしい」
我々が陰摩羅鬼に飲み込まれた後、私と旭とさくらの三人だけはこの場所に招かれた。モノノケは過去に起きた事の一部を見せ、何かを伝えようとしている。
それこそが、旭の持つ狼の銃が求めるモノ。
陰摩羅鬼を撃つため、我々はそれを見届け、聞き届けなければならない。
「陰摩羅鬼よ。お前の全てをここで……拝観いたす」
旭はそうつぶやいた。
〇
沙希は横向きに寝転がりながら、腹のあたりを中心に布団をかけていた。一枚の布団を広げて使うわけでもなく、その布団を二枚折りにして腹の上にのせている。
そして優しく微笑みながら、静かに鼻歌を歌っていた。
ギギギギギギ
その時、階段下から回転扉が開く音がした。続けざまに階段を上がってくる足音がする。料理を運びに来た仲居か、それとも公三か。ありうる人物の顔を思い浮かべてみたが、そこに登場したのはある意味ピッタリの人間であり、ある意味予想外の人物だった。
「あらあらあらあら。ずいぶんとご機嫌なのね」
イヤミったらしく階段を上がってきたのは、この旅館の女将。来栖洋子。我々が知っている女将よりは少し若いが、確かに女将である。
女将の手にあるおぼんにはおにぎりと汁物と漬物だけのみすぼらしい料理がのせられていた。
女将は後ろ姿しか見せない沙希に近づいていき、そのおぼんをガシャンと床に置く。
「ほら食いなよ。いつもコレだけは食べてるんでしょう? がめついんだから」
おぼんが置かれたのを確認し、沙希は体を返しながら彼女はつぶやく。
「めずらしい……」
布団を膝にかけなおし、沙希は上半身を起こした。そして、女将のほうを静かに睨む。
しかし女将の方は全く微動だにしていなかった。
「別に……ただの気まぐれよ。お義父さんの今回のお気に入りは特別だって聞いたからね。興味本位よ。それより……早く」
女将は先の目の前にあるおぼんを少し押して、それを早く食べるようにと促した。
沙希はどこか警戒しているようだったが、ゆっくりとおにぎりへと手を伸ばた。塩と白米だけのおにぎりを掴み、それを口へと持っていく。何度もそれを噛み、飲み込む。
そして、次に彼女は具材の少ない汁物へと手を伸ばした。箸のようなものがないため、彼女はおわんに直接口をつけ汁をのむ。
その時、女将が小さくニヤッと笑った。
「私ね……昔貧乏だったの。その日の食事がやっとってぐらい。大学なんて贅沢だった。でも、学がないと職探しも大変でしょう?だから、私もあなたみたいに働きながら大学にいったわ……毎日死ぬほど働いて、勉強して……大変で苦しかったけど、そのおかげで吉勝さんに会えた。今は幸せ。だから……それを奪うかもしれないヤツは消えてほしいのよね」
女将は淡々と自分の過去を語り、最後になるにつれトーンを強めた。
そして、続けざまに沙希にこう言った
「あなた……お腹に子供がいるんでしょう?」
女将の言葉が、我々の胸を一瞬で貫く。
当人であった沙希は尚のこと。女将の言葉を聞いた沙希は持っていたおわんを床に落とした。目を見開き、女将の顔を見る。沙希が見据えた女将の顔は冷ややかな微笑みを帯びた悪魔の形相。
沙希はじっとそれを見つめながら、何も言うことができなかった。
女将がその場から立ち上がり、不浄なモノを見るかのような目で沙希を見た。
「あなたに料理を運んでた翠って性悪がね、言ってたのよ。あんたにタバコを押し付けた時、あんたが必死にお腹を守ろうとしたってね。仕方なく腕に変えたんですよ~って。でも……残念だったわね。バカな男どもには分からないかもしれないけど、女の私達には隠せないわ」
「それで、それが分かってどうするつもり!?」
沙希は女将をしっかりと見据えながら叫ぶ。おとなしそうな彼女からは想像もできないような声に私は少したじろいだ。
「どうする……? どうするって、こうするしかないじゃない?」
沙希の言葉に女将は不気味な笑みを返し、足元を指さした。沙希がその指先を目で追うと、そこにはさっき自分が落としたおわんがある。
「――っ!!」
何かを察知した沙希は女将につかみかかった。いや、つかめなかった。
女将につかみかかろうとした沙希は、女将に手が届く寸前の所で力が抜け、そのまま床に倒れた。真正面から倒れこんだが、そんなとっさのことであっても、沙希は床につく前に体をひねり、お腹が強く打ち付けられないようにしている。
「がっ……あ……」
彼女は苦しんでいる。女将を睨もうとしている様子も伺えるが、彼女の目から流れ出る涙が彼女の感情を否定していた。
「いったい誰の子なんでしょうねぇ? お義父さんの子? それとも、こっそりあんたを襲った山田の子? まぁそんなの関係ないわ。お義父さんはあんたをお気に入り以上に気に入っている。そんな状態で子供がいるなんて分かってみなさいよ。私の旦那の立場が脅かされるかもしれないわ。そんなことさせない。私がさせない。だから……」
悲しむフリをしながら、女将の口元は笑っていた。
――イヤダ。イヤダ……!
私の頭の中に声が響いた。誰かが口にしているわけではない。
これは、沙希の声。沙希の心の声。全てを聞くということはこういうことなのだ。
女将が話しているうちも、沙希はもがき、耐えていた。
――お願い! お願い! お願い!
「悪く思わないでね。私が殺したいのはあんたのお腹の中にいる子供だけ。あんたじゃないわ。あんたは巻き込まれただけなのよ。だから……どうかやすらかに眠りなさい。ね?」
――ダメ! ダメ……
女将は全てを言い放った後、沙希の頭をなでて、そのまま屋根裏部屋を出て、大階段を下りていった。
――やめて……まだ……お願い……
屋根裏部屋には沙希一人が残り、そこに残るは一人の母の最期の抵抗。
――お願いです……どうか……お願いします……
我々はここにいるが、ここにいない。これは過去の事実であって、現在の事実ではない。よって、我々は何もすることができない。
――私はもういいから……どうか……
我々にできることは。
――どうか……この子だけは……
ただ、これを聞き届けることだけである。
――私の……全てを……
パタン。
彼女の手は床へとつき、目は静かに閉じられた。
今、この牢獄には一つたりとも音はない。




