十四の幕
「お気に入り……だと」
「ああ……この屋根裏部屋はな……そのお気に入り達を入れておくための場所だったんじゃ」
公三の語りはまだ序盤であるが、この一節だけでその話が苦々しい話であるということは想定ができた。
「わしがこの旅館を継いだ時、この旅館は火の車じゃった……それでも、わしはこの旅館で必死に働いてなぁ……そして、なんとか立て直しに成功した。だが、それによって失ったものも大きかった」
「失ったもの……とは?」
旭は公三の言葉を聞き返した。
「わしの妻女じゃよ」
そう語った公三の目はどこか悲しそうだった。
「仕事ばかりで家庭を顧みない愚夫にしびれを切らしたんだろうなぁ……幼い吉勝を置いてあいつは出て行ってしまった。でも……それでよかったんじゃよ」
公三はそこで口角をニヤッと上げた。その姿は我々の背筋を凍らせるに十分な不気味さを帯びていた。
「妻という存在から解放されてわしは自由になった。だから、わしは自分のお気に入りを探し始めたんじゃ。自分のものにしたくてもできなかったもの達に手を付けたんじゃ。受付や板前や仲居の女達。顔の良いもの、人格の良いもの。わしが気に入ったものは全部わしのものにして、ここをやめたいと言い出すもんならこの屋根裏部屋に入れて出れなくしたんじゃ」
公三の語りに言いしれない熱意が込められていくのを感じた。だが、その熱意はそれを聞いている我々には受け入れがたい熱意だ。
私は、隣にいるさくらを横目に見た。彼女は公三の話を目をそらさず聞いていたが、その手はグッと握られ、彼女が若干の怒りを覚えていることが伝わってきた。
「その中で……最もわしが気に入ったのが"沙希"じゃ。大学の学費を稼ぐためにここで働いていた憂い娘じゃった。その娘は静かながらも強情でなぁ。なかなかわしのものにならん。じゃから……」
「ここに閉じ込め……強引に自分のものにしたか」
ここでさくらの堪忍袋の緒が切れる。
「そんなの、許されるわけがない!」
私は今にも殴り掛かりに行きそうなさくらの肩を掴み、彼女を制した。どんなクソ野郎でも、今話を中断させては全てが終わる。
私はさくらに向かって首を振り、落ち着くよう促した。彼女は今にも泣きだしそうな表情をしていたが、小さくうなずいて了承してくれた。
「許されるわけがない……ハッハッハ。その通りじゃ。だが、誰もわしを止めることはしなかった。皆自分の身が可愛いからのぉ……吉勝でさえも、わしに刃向かうなんて愚かなことはしなかった。じゃからわしは沙希を自由にすることができたんじゃ」
はらわたが煮えくり返りそうだ。狸である私でさえも、こんな話は聞いていて辛い。辛いどころではない。今すぐ鬼に化けて目の前のクズを打ち倒してやりたい。
だが、さくらを制した手前、私がここで暴走するわけにもいかない。旭のためにもここで動くわけにはいかない。
「沙希はそれまでにない女でな。おしとやかで温和ながらも、自分の中に芯を持った強き女であった。その身を無理やりわしのものにしても、心は一向にものにできなかった。そして、わしは……そんな沙希にお気に入り以上の感情を抱き始めた……窓に寄り添い空を見つめる瞳、しなやかな黒髪、細い手指、つややかな唇。その全てが愛おしく思えた。そんな時……わしは見てしまったんじゃ」
公三は目の前の三角窓を見上げた。空を見ながら目を細めて、何かを思い出すように再び語り始める。
「この旅館の屋根に勝手に住み着いた鳥がいたんじゃ。青い羽根の目障りなほどの綺麗な鳥。わしがこの屋根裏部屋に来た時、沙希はその鳥と戯れておった。沙希はよく窓から外を眺めていたが、それは外を見ていたんじゃなく、その鳥を見ていたんだとわしは理解した。その時の沙希の顔が忘れられん。わしには見せたことがない愛くるしい表情。わしには見せん……わしには見せん! わしはその鳥が憎くうて憎くうてしょうがなかった。じゃから……その鳥を捕まえて……その時見習いだった小山に……」
旭は目を見開き、公三を睨んだ。
「まさか……!?」
旭が想定していること。それは我々にも想定できた。だから嫌だった。それはあまりにもむごすぎる想定である。
「料理を作らせ、沙希に食わせた」
腹の中に、何とも言えない嫌悪感が広がる。
「うっ……うぅ……」
公三の言葉を聞いて、さくらはついに泣き出した。両手で顔を隠し、必死に涙を堪えようとしたが、すでに限界を超え、涙がとめどなく流れていた。
そんなさくらがいながらも、公三はお構いなしに語る。まるで自分の武勇伝でも語るかのように語っているやつの姿が更に嫌忌を起こさせる。
「沙希は最初は拒んでいたがな、それでも食ったよ。食欲には勝てんかったんだろうなぁ……泣きながら食う姿もまた愛おしかった……」
「それで……そのあと沙希さんはどうなった」
「飯は仲居に運ばせてちゃんと食わせていたんだがな。ある日沙希はこの布団の上で冷たくなっとった。キズや血もついとらんかったから、栄養失調か病気か……もしかしたらあの鳥が持っとった病気かもしれん。わしは泣いたよ。沙希の亡骸を抱えながらなぁ……そこからはもう、お気に入りを探さなくなった。沙希以上のものはない。わしは、何をするにも無気力になってしまった」
公三は全てを語り切ったという雰囲気で大きく息を吐いた。
「それが全てか」
旭は冷たく言い放った。
「ああ……全て終わったことじゃ……だが! 沙希は再びわしに会いに来てくれた! じゃからわしは沙希の共に死ぬんじゃ! これで沙希は永遠にわしのものじゃぁぁ!」
公三はそう叫びながら、傍らにいる旭にしがみついた。目を見開き、その顔には狂気が宿る。
そんな公三に、旭は渾身の蹴りをお見舞いした。
そして旭は、その勢いで公三の胴体を踏みつけ、暴れる彼を冷ややかな目で見下したのである。




