十の幕
「私は関係ないっ! 私はただ運んでただけ! あんたらに言われてやってただけじゃないっ! 何でこんなことに巻き込まれなくちゃなんないのよ!」
座布団から立ち上がり、全員を睨みつけながら翠は叫んでいた。
「翠っ! なんてこと言うの!? そんなでたらめを……」
「でたらめなんかじゃないわ!」
「ついにおかしくなったか」
「あんただって分かっててあんなもん作ったんでしょ!? それでよく板前なんか続けてられるわっ!」
「あぁ!? なんつった今!」
「皆さんっ! 落ち着いてください!」
「黙ってろよ! セクハラ番頭!」
キョエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!
いよいよ話がつかめなくなってきた時、聞いた覚えのあるけたたましい鳴き声が響いた。
それも、今まで聞いたもの中で一番大きい鳴き声。まるで、この大広間のすぐ先にその主がいるように。
「来たか」
旭がそうつぶやいたのをここにいる誰もが聞き逃さなかった。
「どういうことなの!? もう大丈夫って言ったじゃない!」
女将が旭に向かって叫んだ。旭は未だ正座で背筋を伸ばし、冷静さを保っている。
「言ってませんよ。応急処置をしただけです。モノノケの出現により、境があいまいになっているこの場所に他のモノ達が入ってこないように。もともとこの旅館に巣食っているモノノケに対して札で出来るのは、せいぜい足止めくらいです」
旭は淡々と語っていたが、その内容は到底、淡々と聞き入れられるものではない。これを聞いた一同の顔には分かりやすい「絶望」の文字が広がっていた。
私とさくらは、前もってこのことを旭によって通告されていたため、そこまで衝撃を受けることはなかったが、改めて聞くと私の胸にも若干の不安が広がる。このまま大広間が突破されれば、我々はどうなってしまうのか。考えただけでも、化けの皮がはがれてしまいそうである。
その瞬間、大広間のふすまが何者かによって揺らされ始めた。
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ――
――バサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサ
騒ぐ一同の声に交じって、ふすまが揺れる音と無数の鳥の羽ばたきのような音が聞こえる。それは、すぐそこにまでモノノケが迫っていることを証明していた。
「もういやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
あまりの恐怖に翠が錯乱し始めた。顔を手で深く引っかき、爪には血が滲む。
痛々しい光景だが、それだけならまだ良かったのかもしれない。
「だめだ! 行くな!」
旭が身をひるがえしながら叫んだ。
あろうことか、翠は俺達の横を全速力で通り過ぎ、大広間正面のふすままで走っていった。その先何をしようとしているのか。それは狸でもわかる。
「翠さんっ!」「翠!」「やめろっ!」
我々の制止も聞かず、完全に狂ってしまった翠はそのままふすまを勢いよく開け放った。
〇
黒い。
赤い。
白い。
私の目の中に入ってきたのはその三色であった。
黒い鳥。
赤い着物。
白い肌の女。
翠が開け放ったふすまの先には、何羽いるのかもわからないほどの無数の黒い鳥とそれに囲まれた赤い着物くを身にまとう白い肌の女がいた。生きている人間とは思えないほど透き通った白肌の女が身に着けているその赤い着物は、目の前にいる翠が着ているものと同じものだ。つまり、その女は同じ仲居。
「さ……」
翠が口を開いた瞬間、彼女はどす黒い大きなくちばしにくわえられ、そのままふすまの先へと吸い込まれていった。
――ヤャゥァァァァァァァァァァァァァァ
誰のものかわからないほど無惨な悲鳴が響き、それすらもどこかに吸い込まれていく。
我々はその光景をただ茫然と見ていることしかできなかった。
「桃狸ッ!」
旭が自分を呼ぶ声を聞いて、私はようやく自我を取り戻す。
ハッと旭の方を向くと、彼は目の前の大きなテーブルに何十枚もの御札を貼り付けていた。
私がそれを確認した瞬間、開け放たれたふすまの方からけたたましい鳴き声が再び聞こえる。
ギァエエエエエエエエエエエャァァァァ!
ふすまの先から我々を一飲み出来そうなほどの巨大な怪鳥が現れる。
モノノケ「陰摩羅鬼」。
ソレを視認した私は、旭が御札を貼ったテーブルの端を持ち、二メートルを超えるであろう鬼へと化けた。
そしてその勢いでテーブルを持ち上げ、陰摩羅鬼がいる方向へと突進した。
バギャァァァァァン!
テーブルの天板を陰摩羅鬼へと向け放った渾身の体当たりは、ヤツへそれなりのダメージを与えたようだが、これでコイツをどうにかできるというわけではない。
一時は体を歪め、形を変えた陰摩羅鬼であったが、ヤツはすぐに体勢を整え、私の持つテーブルに体当たりを返してきた。
あまりの強さに、私は一瞬よろめきそうになったが、そこは意地を持って耐えた。
「急げ旭ッ! そこまで耐えられそうにない!」
私は目の前の怪鳥をテーブルで押さえつけながら、腹の底から叫んだ。
旭はうなずくこともなく、動き出すと、大広間左右のふすまへ大量の御札投げた。
普通、投げただけで御札がくっつくことはないが、狼の呪いを受けた旭にはそういうことができるようになっている。弾丸のように勢いよく投げ放たれた御札はふすまへピタりとくっつき、その効力を発揮し始めた。
どういう原理なのか知りたい気もするが、今はそれどころじゃない。
「ウラァアァァァァ!」
変な発音の雄たけびを上げながら、私は耐える。予想以上に力が強い。モノノケの力はそれを生んだ人間の想いの強さによると旭は言うが、コレは尋常ではない。
「相沢さんッ!」
御札を貼り終えた旭は大広間中核にある仕切り用のふすまへと走りながらさくらの名前を呼んだ。名前を呼ばれて驚いたさくらだったが、すぐにその意味を理解し、旭とは反対側のふすまへと走る。
さくらがそこへ行きついたのを横目で確認し、私は陰摩羅鬼を抑えながらも少しずつ後退した。
一歩、二歩、三歩。
すでに私の体力は限界に近いが、ここで一気に力を抜けば、私はころんと打ち負かされて、ここにいる者達は飲み込まれてしまうだろう。狸のプライドをかけて、そんなことは決してさせない。
慎重に後ろへと歩を進め、旭達に近づいた時、私は自分の中に残った力を振り絞ってテーブルを前方へ押し投げた。
ギョワェエエ!?
陰摩羅鬼がテーブルで仰け反り、奇声を上げひるんだ瞬間、私は後方へ向かって力強く飛び込んだ。




