第一話 岩城梓の許嫁、宇佐美悠太
「おとなになったら、けっこんしようね!ぜったいだよ!」
「うん!」
夕暮れ迫る静かな公園。まだ小学生になってもいない小さな男の子と女の子はベンチに座って、将来結婚することを約束する。大人になれば淡い思い出として笑い話になるその約束も、その時、二人は絶対にかなうと信じて疑わなかった。
毎日を共に過ごし、親兄弟よりも深い絆で結ばれていた彼らがそんな誓いを立てるのは、ある種当然のことだった。
だが、次第に時間が経つにつれ、彼らは彼我における明確な『違い』を意識し始める―――
☆
「岩城さんってマジで可愛いよなー」
「ほんとほんと、目の保養になるわー」
朝、登校してきて自分の席に着くと、教室の後ろ側からそんな品のない会話が聞こえてくる。後方をちらっと見れば、クラスでも割とイケメンだと定評のある二人組が机に腰を掛けながら談笑している。行儀の悪いその姿勢でもイケメンがやれば様になるのだから、顔がいいというのはつくづくメリットが多いと僕は思う。
その彼らが可愛いと評す岩城さんを、この学校内で知らない人はいないだろう。僕のような友達の少ないぼっちでも知っている。彼女の名前は岩城梓。容姿端麗、頭脳明晰、品行方正。おまけに運動神経抜群と、そこらの芸能人でも持ってないであろういくつもの才能を持っている人だ。生まれながらにして主人公であることを約束されたような彼女は、その才能にふさわしい結果をいくつも残していることで有名だった。
定期テストは決まったように一位、球技大会では経験者顔負けのセンスを披露して、今も多くの部活動に勧誘されているらしい。そのうえ美術もトップクラスの実力者で、絵にかいたような完璧超人だった。住む世界が違う、雲の上の人のような存在だ。
「おっす、悠太」
「ああ、誠太。おはよう」
そんなことを考えていると、ちょうど僕の前の席に座った先ほどのイケメンの片割れが声をかけてきた。彼は古谷誠太。中学時代からの友人だ。イケメンで気が利いて、クラスの人気者として扱われているにもかかわらず、僕なんかとも話をしてくれるいいやつだ。
「美男子二人が喋ってると、絵になるね」
僕が皮肉を込めてそう言うと、誠太は驚いたような表情をしてから軽く肩を落とした。
「お前に悪意がないのはわかってるけど、それ一部の男子からすれば殴られても文句は言えないぞ?お前はもうちょっと自分の容姿を自覚しろ」
「自己評価はこれ以上ないくらいしっかりしてるさ」
僕は肩をすくめてそう返す。誠太曰く、僕はクラスの中でも割と上位に入るくらいの顔面偏差値をしているらしい。ただそのソースが誠太というのが、情報の信憑性を著しく欠いていた。身内びいきな上にこいつ自身顔がいいのだ。こいつに何を言われたってお世辞としか思えない。だから僕は自分の周囲に対する評価を自分自身で把握するしかなかった。
「もうちょっと自信持てよな。自信さえ持てば、結構いい線行ってるんだからさ」
「余計なお世話だよ」
誠太のその言葉にちょっぴりショックを受けながらも軽口を返す。自分に自信がないのは、その通りだった。顔云々は置いといても、僕はあらゆる場面において自信というものを持ち合わせていなかった。常に物事をネガティブな方向に考える癖があるようで、それについては自分でも悩みの種の一つだと考えていた。ただ、そういう思考は小さいころからゆっくりと育ってきたものなので、今更変えられるものでもない。今はどうやってそれとうまく付き合っていくかという方向にシフトしている。
そんな他愛もない話をしていると、廊下から何やら騒がしい声が聞こえてきた。見れば、男女問わず多くの人だかりで廊下が埋まっていた。その真ん中を優雅に歩く人物は、そのまま僕の所属するクラスまで足を踏み入れた。
腰まで届きそうなほどの黒髪に、雪のように真っ白い肌。そして切れ長の目からは強気できつい印象が感じられる。彼女が件の岩城梓さん。いつも教室で見慣れているはずなのに何度見ても飽きることのないその美貌に、男子だけでなく女子までもが息をのんでいる。まるでどこかの国のお嬢様のような雰囲気すら醸し出していた。
そして、彼女は実際にお嬢様だった。正確には日本有数の大企業を経営する社長の一人娘。数多の子会社を抱え、多方面にも顔が利く社長の娘ともなれば、普通に生きているだけではまずお目にかかれない人物であろう。それゆえ、上手くいけば玉の輿に乗れると思って入学当初は彼女に告白する連中が後を絶えなかった。
だが、それも数週間の間だけだった。というのも、彼女にアタックしたものは数秒で玉砕していたからだ。その断り文句は皆一様だった。即ち―――
「ごめんなさい。許嫁がいるので」
というものだった。いよいよ現実離れしたその言葉に、だんだんと彼女に告白するものはいなくなっていった。令嬢には許嫁が付き物というどこかフィクションめいた設定は、しかし現実に起こり得ていた。一切の希望が見えないその断り方は、彼らには酷なものだったのだろう。
そんなわけで、いまやこの現状はある意味当然の結果だったのかもしれない。彼女の周りには、いつも付き人であるかのように何人もの生徒が後をついていた。僕からすればひどく息苦しい生活だが、彼女は普段から慣れているのか特に気にも留めていないように見えた。
彼女は教室に入って真っ先に僕の姿を目に捉えると、そのまま歩みを止めずにこちらまで向かってきた。その勢いに逆に身構えていると、ちょうど僕の席を挟んだところで立ち止まった。その顔にはお嬢様にふさわしい清楚な雰囲気が漂っていた。
言い忘れていたが、彼女の許嫁が誰かというのは当然話題に上がったが、ついぞ探し当てたものはいなかった。それもそのはず、彼女自身が公言していないからだ。従ってこの学校の生徒でそれを知る者はだれ一人としていない。―――ただ二人を除いて。
一人は岩城梓本人。もう一人は―――
「おはよう、悠太君」
―――その許嫁、宇佐美悠太だ。
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