結婚
葵にとって苦しい時期が続いた。仕事の時間帯の変更により、生活リズムも安定せず、仕事の覚えが悪いと怒られ続ける日々。体重も落ちていった。店長になることだけを考えて前に進んでいたが、今この瞬間は本当に辛いと感じていた。そんな仕事の境地の反面、恵実と葵の関係は末永く続いた。入社してすぐに恵実と付き合い始めた葵だが、一つの事が頭によぎる。結婚だ。葵は恵実と結婚を考えていた。結婚とは責任を持つことだと考えていたし、そして、恵実となら一生ともに幸せに暮らせると考えていた。可もなく不可もなく、一緒にいて楽しいし、そして自分を想ってくれている。一つ結婚というきっかけがあれば自分も変われるかもしれないし、それに職場の同僚と付き合う事に覚悟を持ったからこその考えだと葵は思っていた。そして、これが恋なんだ。恋をされる喜びを感じ、そして居心地の良さ。これこそが本当の恋なんだと。これが自分の幸せなんだと。そのような事を考え、そして着実に一歩一歩進んでいった。
厳しい先輩トレーナーから鍛えられ、日々の仕事をこなしていった。1年もたつ頃には葵はトレーナーから怒られなくなり、現場を一人で回せるようになっていた。自信がついていた時に、トレーナーが異動になり、葵に仕事での責任が一つ増えた。それと同時に、葵は恵実にプロポーズをした。恵実は即座に返事を出した。喜んでいた。葵はそれを見て、これでいいのだと感じた。心からそう思った。…はずだった。
プロポーズを行い、恵実とも円滑に過ごしていた。そして仕事でも少しずつ成果を上げていった。結婚もきまりこれで自分も頑張れる。一つのステップだと仕事も私生活も意気揚々としていた。しかし、心のどこかで心に雲がかかっていた。その原因はわからない。しかしなぜかすっきりとしない気分だ。その原因がわかるまではそんなに時間がかからなかった。
ある日の事だった。恵実と駅で会っていたら、テレビ局の取材でキャストとスタッフがロケに取材に来ていた。そこで恵実と葵は声をかけられていた。バレンタインの特集だった。そこで、恵実と葵はにこやかな笑顔で取材に対応し、それがテレビで放映されたのだ。放送されること自体は葵は気にしなかったが、そのあとに葵は依然感じた心のもやもやをまた感じる事になる。
ロケが終わり、仕事場に向かうと、パートナーから声をかけられた。「テレビうつってましたね?すごい仲が良さそうだね」と。それ自体は全然大したことでもなかったのだが、そのあとにもう1人声をかけられた。みどりだ。みどりにも見られていた。それを知った葵はまた心がもやもやした。もやもやの正体はみどりだったんだとその時初めて気づいた。「彼女いたんですね。仲良さそうだね」と言われた。その時に自分は、いましたよ。と胸を張って答えられなかった。どこか後ろめたさを感じた。そしてみどりの前で恵実との関係を否定をしたくなった。
仕事も着実にこなしていくと同時に、恵実との結婚の話も進んでいった。指輪を買い、式の段取りも着実に前に進んでいった。これが自分の人生。幸せに生きていける。これこそが恋なのだと思い込んだ。恵実はいい子だ。気が利くし、何より自分を大切に思ってくれている。一緒にいて安心する。これが大事なんだと自分の中で自己解決をした。親の挨拶も済ませた。スポーツマンという事もあってすぐに打ち解ける事ができた。これでいいんだ。心の中で思い続けた。そして式の日程もすべて決まり、仕事と並行して2人の生活も着実に前に進んでいった。事が起きたのは結婚式の前々日の事だった。
仕事の事務所でひとり作業をしていると、ふと懐かしくて切ない匂いが事務所に漂ってきた。それはみどりのボディクリームの匂いだった。みどりが事務所に入ってきて、シーンとした事務所の空間でみどりと二人きりになった。体が熱くなり、そして葵は頭が真っ白になった。デスクから立ち上がり、みどりのところへ向かった。今まで自分が考えてきた恋とはなんだろうか。中学、高校、大学と自分が独りよがりの片思いの恋をしてきた。実らず、つらい思いをずっとしてきた。これが恋なんだと感じた。独りよがりで1人で相手にあわせずに突っ走るだけの感情。それが恋。自分の恋とはそんなもの。だから、そんな辛い恋より、自分を恋してくれる。求められる恋をしたほうが安心するし安定する。そう感じていた。しかし、みどりを目の前にして、安心安定なんかどうでもよくなった。
俺はみどりさんが好きだ。
そして葵はまた独りよがりな恋と、求められる安定した恋と並行して行っていくことになった。
葵は、恵実と翌々日に結婚した。