表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

タイムマシン

作者: ピロ君

ひきこもっている友人A君。

 僕には27年会っていない友人A君が居る。彼が引きこもってしまって、会っていないのである。


 高校の同級生で同じクラブだった。その年度で一番良い会社に入ったと言われたA君。クラスは別だったが成績も良かったようだ。中野のA君の家に遊びに行くと、微妙な感じの大人とお母さん、A君が居た。後から思えば、あの微妙な感じの大人はA君のお父さんの親だったようだ。同居して子供も出来たが、お父さんが死んでしまったらしい。


 家は大きくは無いが、中庭があり、昔は池があったが、A君が生まれると溺れると大変だということで、埋め立てたのだ、とA君は言っていた。


 A君が働き出してしばらくして、母1人、子1人の親子は浦和の駅から遠い所に中古の2階建ての家を購入し、引っ越した。中野の家は裁判を起こしだが、勝てなかったというような話を聞いた。


 高校を出たばかりのA君の仕事は沖縄から集団就職で横浜に来た中卒女子の監督であった。「あの会社の総務は暴力団と話を付けるのが、仕事なんだ。集団就職の女子が水商売に流れるのを止めるのが仕事なんだよ」と僕に語った。A君はその会社で電子回路の設計をやりたかったのだ。


 設計して、問題が出て、上司から「なぜ、前の回路を変更したのか」と怒られている設計者を見た、と言っていた。数年後、自分の理想と現実の齟齬に彼は転職した。


 A君が転職した会社は近所の会社で、半導体の設備を作っている会社と聞いた。出張で韓国に行き、夜は営業の電話で寝られなかった、工具を現場に置いてホテルに帰り、翌日、現場に行くと工具が無くなっていて参った、なんて楽しそうに語っていた。

「韓国語でもしもしって、何て言うか知ってる? ヨボセヨって言うんだよ、もう引っ切り無しにヨボセヨ、ヨボセヨって、良い娘いますよってさ」


 僕はたまに浦和の彼の家に遊びに行き、お母さんからビールなど出してもらい、A君と歓談した。僕はまだ貧乏学生で、哀れに思った彼のおごりで新宿で飲んだことも何回かあった。


 あるとき、もともと築年数が結構経過していて、お世辞にも綺麗とはいえない家だったので、新築に立て替えると聞いた。2×4(ツーバイフォー)という規格で家を建てるという。小さいけど3階まであるという。敷地も狭小だったが、その工法では問題ないらしい。


 新築になって、3階まで上がれば、周りにさえぎるものが無くなり、遠くの首都高速道路の音が聞こえた。

「凄いね~」

「良いでしょう?」

A君は二十代で注文建築の家を持ち、順風満帆のように見えた。


 しばらくして尋ねると、妙な話を聞いた。

「夜寝てるとさ、木のパキーンという音が聞こえるんだ、寝れなくてさ」彼の話では驚くほど大きな音らしい。

「会社の人がさ、俺を辞めさせると言うんだ。そいつはそうゆうプロだから、辞めさせるの上手いんだってさ」


A君を辞めさせるなんて、世の中には変な人間が居るものだと思った。しばらくしてA君は小さな開発会社に転職した。


「この間さ、窓開けて大声で怒鳴っちゃった」はははと笑うA君。

「どこの窓?」

「そこ」3階の道路側の窓を指差すA君。

「そんなことしちゃ駄目だよ」ビールを飲みながら楽しく歓談したが、家に帰ってから妙な違和感が残った。今思えば、A君は自身の異常の芽生えを自覚していたんだと思う。


 それからしばらくして、僕の電話にA君は出なくなった。お母さんが出て、会社を辞めて、ずっと3階に居るのだという。


 同窓会のときにA君がこうなってしまって、どうにかできないかと警察官になっている同じクラブだったやつに相談したが、そうゆうのは今はたくさん居るけど、強制的に入院させることは出来ない、と聞いた。


 30を過ぎて僕は自分で会社を作り、A君にパートタイムで働いてもらおうかと電話した。電話に出たお母さんは喜んで伝えておくと言ってくれたが、しばらくして返事を聞いてみると答えはノーであった。A君も自分で会社をやるのが夢だった、とお母さんから聞いた。僕もそうだろうなと思った。秋葉原に一緒に何度も部品買いに行った。A君がやりたかったのは電子回路の設計なのである。


 数ヶ月に1回の電話も数年に1度になり、忘れることはあり得ないと紙にも書かなかった彼の家の電話番号も記憶から曖昧になった。忘れたかったのかもしれない。今はもう多分、当時から高齢だったお母さんはご存命でない。最後の電話では手術でどちらかの眼球を摘出したと話されていたような記憶がある。その後の彼の動向も知らない。数年前、一度だけ、彼の家を訪ねた。表札はないが、空き家では無い感じだった。彼はまだここに住んでいる!と直感した。周囲の家に聞いてみようかと思ったが、勇気が出なかった。勿論、ドアはノック出来ない。


 僕は怖いのである。彼が今どのような姿で居るのか、想像も付かない。会いたいという気持ちも無い。あるのはただ、僕が彼の苦悩を理解し助けるために、もっと何かしてあげるべきだったのではないか、自分は友人を見捨てたのではないか? 自分だけ結婚し、子供を儲け、会社を経営し、そこそこ成功している、という自責の念である。


 タイムマシンを使うのは簡単だ。数百円の電車賃で僕は27年間の封印された時間を解くことができる。しかし、使うことは無い。


 


 






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ