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ラピスラズリの碧い空  作者: 助三郎
第一章・ラピスラズリの碧い空
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9. 碧の証を葬る者

「カミキ。お前、いや、貴方が」

続く言葉をカミキに伝えようとして、言葉を切った。


 湖畔を囲む木々の様子がおかしい。

不吉なものが近づいている気配がした。

それは一人ではなかった。もっと多くの人間の気配が近づいている。カミキもキサと同じくその気配に気付いているようだ。暗殺者としての鋭い眼光で周囲の気配を注意深く探っている。


「誰だ」

キサは隠れている相手に聞こえるくらい大きな声で叫んだ。

すると、今まで静かだった湖畔に聞き覚えのある引きつった笑い声が響いた。


「誰だとは寂しいものだな」

段々と声が近づいてくる。そして足音と一緒に聞こえる、複数の金属音。そしてその相手は姿を二人の間に現した。

「なんだよ、こいつら」

後ろでカミキの驚きで上ずった声がキサの耳を貫いた。「しまった」そう思った時には既に彼らの姿をはっきりと確認できる距離に来ていた。


どんな衝撃にも受け返す頑丈な盾を持ち、長く鋭い槍を持った者。

その後方では、今にも獲物を射るかのように弓を構えた者。


 みな同じ文様を背負った鎧を身に着けていた。それは、王国貴族の中でも上流の一部のみ掲げる事の許された長い剣。そしてその柄には二匹の蛇が絡み合いお互いを牽制している、そんな位高い家柄を示す文様が描かれていた。数える気力がなくってしまうほどの武装した兵士たちが、たった二人のキサ達の周りを取り囲んでいた。


兵士の隊列に守られる様に後ろから、金で飾られた大きな駕篭が現れた。屈強な体つきの男が引いていた駕籠を止め、その太い指に似合わず丁寧な動作で閉じられた御簾を開く。

この兵士達の主であり、王国貴族のみ許された文様を掲げる事ができる、15年前の過去を語れる唯一の存在であるその人物。


「イナガ侯爵、貴方は」

キサが怒りを抑えた声で名を呼ぶと、奴はふっくらとした肉吹きのいい唇をニヤリと上げ、自らを見上げる2人を見下ろすと高らかに笑った。


「ご苦労だったな、王子の護衛よ。お前のお陰でいとも簡単に王子の命を狙った賊を見つけることが出来たぞ。我の為に貢献してくれたお前に褒美を出してやろう。お前は金か、地位か。それとも何が欲しい」

「私の後を付けたというのか」

侯爵は答える代わりにまた笑った。


「お前、」

背後でカミキが先程の位置から数歩後ろに退いたのが分かった。2人で話していた時の彼が消え失せてしまったかのように、先程までとは比べ物にならないくらいの冷たい視線がキサの背中を突き刺している。

「違う。私は」

キサは自分の無実を説得しようと振り返ったが、相手の表情を見て言葉が詰まってでてこない。


街でチヒロを迎えに行った時感じた、殺気が目の前の彼から溢れている。2つの色が違うその瞳は、まるで敵を目前とした暗殺者のその眼光で冷たく輝いていた。


その2人の様子を見て、声高に笑う侯爵は太い人差し指でカミキを指した。

「お前達使えない暗殺集団の先の見えない結果を待っている時間はなくなった。必要ない者はこの場で消えてもらおう」

「俺達の結果。もしかして、お前が」

侯爵の一言で意図を理解した彼は一歩を踏み出すが、その足元に数本の矢が突き刺さりその動きを制止させた。彼は短く舌打ちをすると、数歩後ろに下がる。


まるでカミキの口から出る言葉は既に侯爵には予想できているものだったかのように、矢は彼の言葉の続きを遮った。一本も体に当たっていないのは、兵士の命中率が低いのか、それとも無言の牽制なのか。


 キサは脳で必死に使って、無事に彼等の包囲から抜け出す事を考える。湖に飛び込む。いや、岸に囲まれた湖は逆に囲まれやすく、また水圧によって動きが鈍くなり逆に標的になりやすい。運が悪ければ、溺死させられる場合も考えられる。この状況を安全に乗り切れる方法が全く思いつかない。


どうする。どうすればこの方を守れるのだ。


「キサ、お前にこの場から抜け出す策なんて浮かばないだろ」

侯爵の過信に満ちた瞳が、穏やかにキサを写す。そしてまるでキサに諭すかの様にゆっくりとした言葉を続けた。

「お前が迷っている事は分かっている。しかし、周りを良く見てみろ。お前たちは大勢の武装した兵士によって囲まれているのだ。下手に動くと危険だぞ」


その言葉の中には「逃げようとすれば射殺す」と脅迫しているようにも受け取れる。キサはそう感じた。

「お前もこれからも王族の護衛としてちゃんと生きていただろう」

侯爵は細い目を一層細めた。それはまるでこの状況を楽しんでいるかのように言った。

「そこのゴミとは違ってね」

空気が一気に緊迫した。侯爵はカミキを殺したがっている。「真実の証」を持つ者を消す事で、過去を葬り去ろうとしているのだ。


 カミキと出会ってから月日は浅い。それにキサの主であるチヒロ王子の命を狙った反逆者だ。彼は未遂とはいえ、国の主に刃を向けた事は罰せられる。それがこの国が今まで反乱もなく、何十年と平和に過ごしてきた方法だ。国家に災いを呼ぶものは直ちに国の名の下で裁かなくてはいけない。


しかし、今、過去に隠されてしまった「真実の証」を侯爵に渡してはいけない。それが何故人々の前から隠されてしまったのかキサは知らない。それでもその隠された過去があったと言う事を忘れ去られた過去のままでまた終わってしまう。


あの太陽のような笑顔がもう一度見たい。そんなキサの個人的な思いも心の片隅に残っている。


もう何でも良い。頭で考えてもこの状況は変えることができないのなら、心の中でキサに『自分の後ろにに居る者を、奴らから守れ』という叫びかけている不思議な声に答えよう。そう決意したキサはカミキを背に両手を広げて立ち塞がった。


「さぁ、そこをどいてもらおうか」

カミキと侯爵の間に立って動こうとしないキサに侯爵は苛立ちを感じているようだった。語尾が荒く、今まで浮かべていた余裕の表情も崩れている。


 キサは体の向きを変えずに、背後のカミキに視線を移す。相変わらず殺意をむき出しにした黒い瞳に、不安と恐怖が見え隠れする群青の瞳。どちらが彼の実際の感情なのだろうか。いや、両方とも彼の今の心情なのだろう。


二つの瞳から放つ鋭い視線を背中に感じながら、再びキサは侯爵に向き直り、そして、力強くて澄んだ声で断言した。


「私はここを動く気はありません。そして、貴方にこの方をお渡しする事も致しません。この方はこの国に必要とされている人なのですから」


静寂が訪れた。迷いを振り切ったキサの心のように湖は澄み渡り、まだ闇が訪れていない空には気の早い一番星が点々と輝いている。


「それがお前の導き出した答えか」

侯爵の低い声が湖畔に響いた。

背後で彼が小さく、護衛の名を呼ぶ。キサの背中を刺すような鋭い視線は、いつの間にか消えていた。


侯爵は一呼吸置いて言った。「いいだろう」キサとカミキはその言葉の意味を理解できず、侯爵へ視線を向けた。台座の背凭れに深く寄り掛かると、「分かった」そう力ない声で何度も侯爵は言った。


「では、この者を助けていただけるのでしょうか」

キサの問いに侯爵は笑みを浮かべた。

体中の緊張が解れ安堵からキサは背後のカミキに視線を移した。彼もキサを見ていた。


そして、キサはやっと気付いた。

自分を見つめるカミキの顔には彼の明るい笑顔が浮かんでいなかった事と、周りを囲む兵士等の纏っている緊迫した空気は今も変わっていない事に。周りを見回し、自分だけが気を緩めていた事を知った。キサ達を囲む何十人という兵士たちが、その手先にある全ての槍の先を今度はカミキ個人だけに向けられている事を知ったのだ。


「侯爵、どうしてですか。今すぐ兵士たちに武装を解く様に指示してください」

キサは再び振り返り大きな台座に乗って踏ん反り返る侯爵に叫んだ。返ってきた答えはキサの認識の甘さを語っていた。


「お前のお陰でいい事を考え付いたよ」

豊満で重力に逆らうことなく垂れた頬を肉付きの良い手の平で触れながら、新しい玩具を見つけたように愉快に微笑む。

「この場で彼を殺すことはやめた」

「なら何故」

キサの叫びに似た問いかけに、侯爵の細い瞳が不吉に煌いた。

「私の王位継承の祝いだ。国民のための見世物になってもらおう」


 国王が亡き今、時期国王は王位が高い順で決まる。

王位継承権第1位のチヒロの兄が亡くなったとされ、2位の王位継承権はまだ若い第二王子のチヒロではなく、彼が満足に成長するまでの間、長年に渡り国家のために奉仕をしてきた侯爵が国王として君臨することが認められていた。


 国家継承の祝典を開く際に、彼は国民の前で反逆者の処罰を見ようとしている。つまり、その事で新しい王の国に対する意思を表し、国民からの羨望とそして畏怖によって生まれた、絶対的な支持を得ようとしているのだ。


「いけない、彼は」

「捕らえろ、恐れるな」

キサとイナガ侯爵が叫んだのは偶然にも同時だった。しかし、その言葉の先にいる兵士達は全てが侯爵の配下だった。

「その瞳は偽者だ。王族の姿を真似た反逆者だ。国家と正義の名の元にその物を捕えろ」


2人の周りを囲んでいた兵士達が次々とカミキ1人に向けて突進していく。

始めは兵士の槍を避けていた彼も、圧倒的な人数に押し潰されて人に埋もれ、その姿はキサの目には見えなくなった。彼の元へ駆け寄ろうとするキサに向けて、後方に残っていた弓兵がその矢じりを引く。


「どうした護衛よ。お前はいつまでそのまま立っている気だ。時期国王の私よりも地位が高くなったつもりかな」

奇怪な笑い声とともに侯爵は、振り向くキサに近くへ来るように手招きする。

「畜生」

惜しみながら呟くと、手招く方へゆっくりと歩み、台座の下に膝をついて屈んだ。忠誠の仕草だ。


「それでいい。お前は、これからは国王である私の忠実な犬なのだからな」


キサは下を俯きながら、下唇を噛んだ。キサ自分の無力さと、一瞬でも侯爵を信じてしまった自分の浅はかさを呪った。もし昔みたいに一人だったのなら、侯爵に従う必要なくその姿に斬りかかっていたかもしれない。

 しかし、相手は王位を継承が決められた身。

今ここで反乱を起こせば自分を拾って居場所をくれた主人等に多大な迷惑がかかる。国王になれば全てが侯爵の思いのままだ。護衛としても、キサの唯一の主であるチヒロに危険が及ぶ最悪な事態は避けなくてはいけない。


頭を下げるキサの上で、侯爵は兵士達の動きを台座の上から愉しそうに見ていた。


「おぉ、どうやらあちらも捕獲できたようだな」

頭をあげる事の許されないキサは顔の向きを変えず横目でその様子を伺った。

数人の兵士に連れられ、後ろ手に縛られた状態のカミキがキサの横に並べられた。褐色の肌に赤い血が惜しみなく流れて、体全体で浅く荒い息をしている。兵士に支えられていないと今にも横に倒れてしまいそうな、そんな衰弱した姿だった。


暗殺の依頼を受けた黒猫の団長であるミイが王子暗殺の仕事に消極的だったのも、依頼人である侯爵の前に彼を出さなかったのも、彼が消された過去の残された証である事を知っていて、それを葬ろうとする者から彼を隠していたのだろう。


 もしカミキの隠された瞳や15年前の隠された過去についてキサが調べなければ、過ぎ去った過去はそのまま過去となり変わらずに秘匿されていたはずだ。キサがカミキを探してこの湖畔まで来なければ、侯爵はカミキに辿り着くことがなかったのだから。


全てキサが彼を最悪の状況へと誘い込んでしまったのだ。


「すまなかった」

キサは顔を上げず、隣に並べられた彼にだけ届く様な小さな声で呟いた。心の中で何回も悔やんだ。

キサはそっと視界を閉ざす。もう手立てがないと諦めて、全てを受け入れるために。


その耳に音が聞えた。

声を発するのも苦しそうな彼が、絶え絶えになりながらもキサに向けて言葉を紡いでいた。


「昔にオヤジから一度聞いた話が有る。俺とこの目とこの国に関する事だ。その時はただの冗談だと思っていたが、どうやら本当の事らしいな。お前が俺に言いかけたのも、こいつが俺を消したがる理由も全てその事に繋がっているのか」

「あぁ、そうだろう」


 カミキは自分の正体について、薄々感づいているようだ。

幼い頃に問いたのだろう。何故自分は王家の証を右目に持っているのか、何故家族と容姿や肌の色が違うのか。何故あまりにも現実に近い身を切り裂くような悪夢に悩まされるのか。それを彼に答えた父親代わりの元団長はもう居ない。


悔しい。もし戻れるのなら今回のような勇み足はせず、覆す事の出来ない真相を暴き、もう二度と消されることのできないように人々に強く印象を植え付けたいのに。過去を変える事はできないのに。


「護衛、教えてくれ。俺は、守られる価値のある人間なのか」

キサは彼の言葉に小さく頭を上下させた。

「俺は、これからも生きても良い存在なのか」

「そうだ。今までも、もちろんこれからも」

全身全霊で答えた。


その瞬間、カミキが放つ空気が変わった。

笑ったのか。俯いたままのキサにはそれを確認する事が許されない。


「諸君、お別れの挨拶はもう十分かね。さぁ、皆の者、早くこの反逆者を連れて行け」

カミキを支えていた兵士は侯爵の声と同時に彼を荒々しく立たせて歩けと命ずる。どこのそれほどまでの力が残っていたのか、抗うように両脇の兵士を振りほどき侯爵の前で出ると、その足元に血の混じった唾を吐く。すると追って来た兵士によって殴り倒され、その身柄は再び捕えられた。不快感を露わにしている侯爵に向かい、黒と碧の双眸で真っ直ぐに見つめてカミキは言う。


「お前が王になったとしても、国民は誰もお前を信頼する事はない。どんなに恐怖を植え付けても、どんなに褒美を与えても、都合の悪い真実を隠したままのやつには誰もついていかない」


そしてその身を両脇の兵士達に引き摺られながら、後悔の海に押し流されそうに俯いたキサを呼び戻す様に彼は血を吐きながらも大声で吠えた。

「お前が消された過去を明らかにしてくれるんだろう」


 顔を上げることなくキサは連行されていくカミキを見送った。


頬の伝う涙は拭われる事なく、草が抜けて土が露になった地面に落ちて染み込んでいった。二度と同じ失敗は繰り返さないように。彼の言葉を、強く、強く噛み締めた。


「何を馬鹿の事を」

侯爵は溜息混じりでつまらなそうに呟いた。

「王子の護衛には関係ない事ではないか」

豊満な体を乗せた駕篭はギシギシと鈍い音を立てながら再び来た道を動き出す。


「おぉ、そうだ」

それは突然思いついたかのように御簾の奥から後方に座ったままのキサに向けて声が響く。

「今日はもう遅い。わしの屋敷に着なさい」

キサに選択権のない提案だった。

「ありがとうございます」

高らかに笑う侯爵の乗せた駕篭の後ろを、長い時間置き去りにしていた白い愛馬に跨りついていく。


再び静けさが訪れた湖畔を背に、キサは己の迷いを打ち消した。

いつの間にかどっぷりと暗くなった空に、たくさんの星達が競い合いながら煌いていた。


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