3-10. 赤い夜に招かれて
「ラピスラズリ」シリーズ第三章
夜も更け、主の部屋から退出したもののキサは自分の手で閉じたばかりの扉を眺める様に、対面の壁に寄り掛かり溜息が零れた。
今日は医務室でのブッチランドに広まる病やララの婚約に対する条件ついてなど一日でいろんな事を知る事になり、さすがにキサの頭の中も整理できず混乱して、ついには頭痛までしてしまう有様だ。
ブッチランドについては今の自分には何もできないのは知っている。ここはこの事情を知った今でも今までと変わらずにカルーン王の前に堂々としていればいい。感情を表に出さないのは護衛として当たり前のことだ。
ではそれ以外に気になって仕方がないもの。それはあのアマドとの謁見していた時のララ姫の表情だった。初めは明らかに、相手に対して興味を一切持っていない。そんな態度だった。それが途中で彼女が纏っていた空気が変わった。殺気とまで言わないが、「怒り」や「憎しみ」の感情と似た印象をあの時の彼女に抱いた。何故そんな感情を相手に向けたのか。
ふと光を感じて顔を上げる。今まであまり気付かなかったが、この廊下の突き当たりに大きな窓があった。引き寄せられるように近付いて見れば、キサの腰辺りからその頑丈にはめられた窓枠の向こうを観れば、まるで鳥になった様に目前に広がるカルーンの広大な大地と目下の塀に囲まれた城の庭までもを見渡すことができる。この国で一番高い建物からの眺望というわけか。
星空よりも明るい大地は昨日案内された鉄鋼場の辺りだろう。その場所はアマドが所有している地域だと、あの謁見の場でカルーン王が言っていた。まだ明るいという事はあの場所で働く人々はこの時間でも作業をしているのかもしれない。
物思いにふけっていると、ふと背後に人の気配を察しキサは後ろを振り向く。そこにはララの騎士である金髪のシオンが立っていた。
「やはり見つかってしまいましたか」
「そこの角を曲がって来られるところから、」
指を刺してチヒロの部屋の扉よりも離れた場所を伝えれば、まるで今まで子供の遊びをしていたかのように笑いながらキサの隣にシオンが並ぶ。実際に隣り合わせてみれば、彼は思っていたよりも背が高い。キサでさえ女性の中では比較的背の高い方なのだが、それでも彼の肩くらいしかない。それに騎士の中でも姫直属というだけあって、青二才の顔に似合わず鍛えられていているようで体つきも良いし、きっと力も強い。つい反射的に自分の細い腕と見比べてしまう。
「ここからの眺めは私達にとって目に毒ですよ。まるで自分がこの国を見下ろしている国族だと錯覚してしまう。その者の隣に自分は並んでいるのだと夢をみてしまう。だから、地面に足が付いた時気付くのです。あぁ、あの眺めは幻だったんだって。思い出すんですよ。身の程ってやつをね」
窓の外を眺める彼のその横顔をキサは真横で見ていた。金髪は元の髪色を金色に染められているのだろう。黒みかかった赤褐色のその瞳に星明かりが映る。口元は口角が上がって微笑んでいるように見えるだけで、彼の眼は笑っていない。
「何かご用があったのでは」
キサの問いかけにシオンは再び顔に笑顔を浮かべて振り向いた。正面から見た顔はまるで窓の外を眺めていた人物とは全くの別人の様に思えた。
「姫様が宜しければご一緒したいと」
「主は先程就寝されましたのでまた明日にでも、」
「いいえ」
誘いを断わろうとしていたキサの言葉をシオンは遮る。
「うちの姫がお誘いしているのは貴方ですよ、キサ。チヒロ様の事は我々にお任せいただいて、貴方は今夜姫様のお相手をお願いできますか」
「私ですか、何故、」
その問い掛けにシオンは肩を上げる。使える主の命に理由など必要ない。それは国が違えど共通のようだ。
「無粋な事を聞いてしまいました、忘れてください。承知しました。チヒロ様の事を宜しくお願いいたします」
キサがそう言うとシオンは優しく目を細めた。
「お任せ下さい」
その眼は本当に微笑んでいた。
シオンに教わりララの部屋に向かう。だが先程よりも足が重い。その理由はキサが去る直前にシオンに呼び止められ告げられた一言のせいだ。
「貴方が私に気付いた距離では、この国で主を護る事はできませんよ」
悔しかった。でも前回のブロンズで見たあの銃という武器について考えると彼の言った通りだった。
あの時彼も銃口の向きと距離について注意していたではないか。弾の出る方向と発射速度と標的に到達までの距離と時間。剣を振りかざす速さ、そして力。全てを計算できた時ミイの様に向かってくる弾を切り裂く事が出来る。理論では判っている者の、自分ではまだミイの様に反応する事ができない。
つまりこの国で銃を使った何かが起きてしまっては、主を護る事はできないのだ。それではいったい何の為の護衛なのだ。
指示された部屋の前で立ち止まり、扉を叩く。
中の声に誘われて部屋に入れば、そこにはララがベッドの上に座って寛いでいた。主の部屋の様に大海原を描いた壁もあった。
つい先日見せた女性的な体の曲線がはっきりと出た赤い魅惑的なドレスでもなく、朝チヒロの元へと迎えに来る軽装でもない。赤く長い髪をそのまま真っ直ぐに降ろした姿で、その身に羽織るのは薄くて柔らかい素材の寝巻を纏っているだけの無防備な姿。素の彼女から溢れる、気取らない美しさがそこにはあった。
「女の子同士だから良いでしょう」
キサの視線に気付いたのか彼女はそう言って微笑むと、扉の前で直立で立ったままのキサの手を取り部屋の奥へと引きこんだ。
キサはララに強引に勧められるまま部屋に置かれた椅子に腰掛ける。するとララも満足そうな顔で小さなテーブルを挟んで向かい側の椅子に自分も座り、両肘をテーブルに置くと、手の平で顔を支えながらキサの事を真っ直ぐ紅の瞳で見つめてくる。
「あの、御用とは」
恥ずかしさのあまり、そんな視線から避けるように自然にキサの体が後ろに下がってしまう。
「嫌だ。本当に貴方は真面目なのね」
紅の瞳を細めながら楽しそうに笑った。
「ごめんなさい。私、今まで同じくらいの女の子とこうやってお話をする事がなかったの。身の回りの世話をしてくれる使用人の中にはいたけれども、姫としてではなく私をみてくれる人と出会った事がなくて、子供の時にはとても寂しい思いもしたわ」
ララはそう言いながら目の前にあった空のグラスに、彼女の髪色の様に赤い液体を注いだ。
「お酒、貴方はもう飲める年齢かしら」
キサは首を振る。
「そう。この国では子供ではなくなった時からお酒も飲んで良いのだけれども、貴方は育った国がここではなし。それに倣う必要はないわ」
キサの前に透明な液体の入ったグラスが差し出される。
「ごめんなさい。この部屋にはこれしかなくて。もし貴方がお酒を飲みたいと思ったら言ってね」
「ご配慮ありがとうございます。頂きます」
ララが持っていたグラスをキサの手前に傾けてきた。それに不思議そうな顔をして見ていると真似するように言われる。キサも同じ様に傾けるとそのグラスに彼女は自分のものを当てた。澄んだ音が部屋に響いた。
「貴方の事を教えてくれるかしら。女性の身でありながら国王を護る騎士を努めているなんて、同じ女性としてとても誇りに思うわ。貴方は何で剣の道に行こうとしたのかしら」
「孤児院の兄達が習っているのを見ていて、最初はその真似をしていただけです。そのまま彼らと共に習い始めました」
ララの紅の瞳に自分が写り込んでいる事に気付き、キサは彼女から目を逸らす。あの純粋で情熱的な瞳を見ていると、なんでも彼女に吐き出したくなってしまう。
「付いて行くのも大変だったでしょう」
「えぇ。成長してくるにつれて体格差が出始めてからはいろいろと。いくら鍛えても筋肉も男性みたいに付きませんし」
「筋肉もりもりの女の子では可愛くないものね」
「私はただ負けたくない一心でした。女だからって理由をつけたくなかったのかもしれません、」
当時のキサは強くなれるのならば、可愛い女の子で居られなくても良いと思い続けていた。そんな事を気にするなら、力の強い者にはどう対処すればいいのか、体の大きな相手にはどこを攻めればいいのか。そればかりを考えていた。
「剣に夢中になっていたら、その実力が認められて城へと上がる事になりました。今ではありがたい事にチヒロ様の護衛を任されております」
キサは誇らしくそう話し終えた。
「やはり貴方はうちのシオンと同じですね。先日お話をしましたが、彼はこの国の造船場の近くで生まれ育った平民です。彼は親と同じ工場で働く事を嫌い、兵士として城に入隊したそうです。そして彼の秀でた身体能力と戦闘力で頭角を現し、父が彼を気に入って私につけてくれたのです」
そう言ってララは一口飲んで唇を湿らせる。
「彼は気張らない性格です。時には冗談で笑わせてくれたり、落ち込んだ時は励ましてくれたり。それはまるで友人のように傍にいてくれました。そして、いざとなったらその胸で私を護ってくれた事もあります」
キサはララのその言葉に、謁見のあの場でアマドに言った言葉を思い出す。
『私の盾であり、刃であり、友である、信頼なる我が騎士に私は全てを託します』
使える主からそこまで信頼を受けているという事は、護衛として、騎士としてとても光栄であり幸せのことだ。
いつの間にかララのグラスが空になっていたようで、ララは手なれた様子で手前に置いてあったビンから自分で注ぐ。常に使用人が寄り添い彼女達に身の回りの世話をさせている姿を見ているキサとしては、カルーン国の姫が手酌で酒を飲んでいる光景に慌てて手を出した。するとララは少し酔いのまわった艶やかな顔で首を横に振り、それを拒む。
「お姫様の時間はもう終わりだから大丈夫。今はララという1人の女の時間だから自由にさせてちょうだい。いつ城を出ても暮らせるように身の回りの事は何でもできるわ。母が色々と教えてくれたから」
彼女はそう言って机にビンを戻す。曲線に生まれた水滴をなぞる指先を眺めるその瞳は、母の愛に包まれて幸せだった頃を思い出している様で、キサには少し寂しそうに見えた。
カルーンという大国を統べる国王を継ぐのは男であるのが条件。何年後か、それとも何十年後か。いつかはララの弟であるイラが王を継承する。女であるララはどんなに聡明であっても、人を引き付ける魅力があっても王になることはできない。王権争いという火の粉が生まれるまえに、ララは城を去らなくてはいけないのだ。そんな彼女が城を出ても幸せに暮らせるようにと、カルーン王はララの結婚相手を探している。それが今回のアマドとの謁見であり、明日の試合の事だ。きっと今日の謁見のやりとりからでも、既に何人かの男性が名乗りを上げてはララが出した条件に涙を飲んだのだろう。それは彼女の信頼する騎士が彼女を護っているからだ。
でもこれを何度続けなくてはいけないのか。このまま姫といる立場に居続ける事はできないのだと、限界も近付いているとララは気づいているのだろうか。




