3-9. 赤き姫からの条件
「ラピスラズリ」シリーズ第三章
そして夕刻になると、カルーンの城へ訪問者が現れた。
カルーン王の計らいで彼らが謁見している広間にチヒロも同伴する事になった。カルーン城の広間につくられた壇上の王の椅子から少し離れた場所にチヒロの椅子が用意され、必然的にキサは主の座る椅子の後ろからその訪問者の姿を見る事となった。
紋様が城の兵士とは違う紋様の甲冑を身に着けた4人の兵士を引き連れて現れたその姿は、身長は男性の平均値で、年齢はララより一回りは上に見える。肩幅は狭いが、体型は細くもなく太くもない。どちらかと言えば剣術を嗜むより書物を読んで知識を蓄えている雰囲気だが、その技量も特記する事がないほど普通の範囲だろう。
ただキサの目を引いたのは、チヒロと同じ金髪で白い肌をしていたのと、そして、カルーン王の前では人のよさそうに細められているその眼に一瞬の鋭い眼光が浮かんだのをキサは目にしたからだ。
父の命令で着飾った衣装のララの姿をその眼光で見ていた。当人のララはその視線に気付くどころか、相手に興味すら抱いた様子はなく退屈そうに肘かけに凭れ、時よりあくびをする口元を扇子で隠している。
「どうだいララ。こちらはあの工場地帯がある地域をとりまとめている貴族の出だよ。名前は、」
「アマド・サンシャでございます。お初にお目にかかれて光栄ですララ姫様。私の土地にあります造船所には良く顔を出されているという噂を聞いております」
「お前はあの地域を気に入っているじゃないか」
カルーン王が笑う中、アマドの名を聞いて扇子に半分隠されたララの顔がさらに険しくなっていた。
ブッチランドでも各地方を貴族が、ブロンズ地方でのダンの様にその地域の「長」として管理し、城へと報告をあげている。その報告を用いてブッチランドの内情をチヒロ達国王が把握し対応している。
つまり、それと同じくカルーンの国でも貴族統治がおこなわれていて、このアマドという人物が、あの時、柵で囲ってあった造船所や工場地帯を統括する者だと言う事かと、キサは納得する。
ララの直属の騎士であるシオンがその地域出身だと言っていた事を思い出し、キサは姿勢はそのままで彼の姿を捜す。自分達の城の内部であれば外の様にララの横に付かなくても良い。彼は広間の入り口付近に他の城の兵士と共に控えていた。ララの横では常に笑顔を浮かべている彼が今、浮かべている表情は他の兵士達と同じ兵士の顔そのものだった。
シオンはララとアマドの婚約をどの想いで見ているのだろう。王が選んだ相手なのだから、それに仕えている者としては意義を唱える事もできるはずがない。きっとシオンだけでなく仕える者全てが個人の感情を捨て、ただ静かにそれを受け入れる姫を送り出すのだろう。キサもそれは同じ事だ。
ララが開いていた扇子を音を立てて閉じる。
「判りました。では私に婚約を申し込むとされるのならば、この話は聞いていますね」
「もちろん、そのつもりで精鋭を連れて参りました」
答えるアマドもララの威圧に負けじと微笑む。アマドの周囲に居る4人の兵士らしき者がさらに頭を下げた。
話の展開に付いて行けなくなったキサは、同じく少し困惑したような顔で見上げてきたチヒロと互いに顔を見比べた。
ララは椅子から立ち上がり、その闘志に燃えた赤い髪と同じ様に力強く宣言する。
「他の方々と同じ条件は同じです。私の盾であり、刃であり、友である、信頼なる我が騎士に私は全てを託します。貴方は明日、その私の騎士と戦いなさい。そしてそれに打ち勝ち彼から私を奪う事になったのなら、私は黙って貴方の元へ嫁ぎましょう」
その姿は凛としていてその気高さに吸い寄せられる。彼女の紅の瞳に迷いはなかった。
「それでは。これ以上お話する事はありませんので、失礼いたします」
そう言うとララは王座の横へと姿を消してしまった。
あの礼儀正しく優しいララが主のチヒロに目もくれず去って行った。昨晩のカルーン王との言い争いの後でさえ、必ずチヒロに一言詫びを入れてから出て行ったというのに。それほどまでにこの場でのやりとりが頭に来ていた訳なのか。場を取り繕うカルーン王の声を横に、キサはララの事が気になっていた。
アマドは一晩この城に一室用意してもらい、夜を明かす事になったようだ。食堂にララの姿が現れないまま、新しく顔ぶれが変わった夕食は終った。アマドも席を並べたチヒロにも軽く挨拶したが会話は続かず、アマドはカルーン王に気入られる為に必死なのだろう。カルーン王の空いたグラスに酒を注いだり、話しかけたりとキサの目にはあまりにも浅はかでそして必死に見えた。
早々に席を立ち上がったチヒロをこの数日同じ様に自室まで送り届けたキサに、話があると声をかけられチヒロは自室の扉を内側に開けた。「他の人にはあまり聞かれたくない話だから」とキサを見上げるチヒロの瞳に浮かんだ影に気付きながら、主の自室へと足を踏み入れた。チヒロによって扉は閉じられる。
この国に来てから毎朝チヒロの用意をする使用人達と一緒にこの部屋に訪れているが、部屋の内部をしっかりとは見た事はなかった。ブッチランドでは外の景色を眺められる大きな窓が特徴の開放感のある造りが主流だが、どうやらカルーンはその逆で四方しっかりとした壁に囲まれ、明り取りとしての役割を持つ小窓が上部に均等な幅で施工されている。自由に開閉できる窓は1つだけ。その窓を使ってチヒロはブッチランドからの鳥の知らせを受け取っていた。
圧迫感を感じさせない様にか、四方を囲む壁の1つに絵が描かれている。キサ達がこの国の最初の一歩を踏んだ港の情景を描いたのだろう。今にも動き出しそうな船と煌めくように描かれた波が、この画家の腕が確かな者だと物語っていた。
「国は違えど良い絵だという事は私にも判る。この建物の内装も我が国とは違うところがあって実に興味深い。でも、夜はこの絵を見ながら眠りにつかなくてはいけないんだよね。もう何度もあの辛かった船酔いの夢を見ることか」
チヒロは絵の向かい側の壁に用意されたベッドに腰掛けて肩を竦める。
「また帰る時も辛い思いをするんだろうな」
2日間に渡る船の旅は一度もブッチランドを出る事のなかったキサにとっては未知のもので、込み上げる酔いも、打ち寄せる飛沫を受けるのも初めての経験だった。そして、その茶色の両目で生まれ育ったブッチランドという小島が水平線の中に消えて行くのをしっかりと目に焼き付けた。そして、これから新しい世界を識る事ができると心を躍らせた。
キサはその時の事を思い返し把握した。チヒロの場合はキサとは逆で、序盤から激しい船酔いに襲われ船室から出てこられなかった。その事が辛い船旅として印象に残っているのだろう。
「実はキサにまだ言ってない事があるんだ」
キサは視線を壁の絵から主の元に戻した。
「本当はこのまま黙っていれば良いと思っていたんだ。離れている私達は今の国には何もする事ができないし、このまま慌てて帰っても意味がない。なら、ブッチランドは兄上に任せて、今、私自身が求められている場所で自分の事をやりきろう。やりきって堂々と戻ろう。そう決めてたんだ。でも、」
チヒロの声が段々と小さくなって、やがて途中で区切られた。ベッドの淵に腰掛けた姿で膝の上に拳を置き、顔を下に俯ける。その両拳は強く握られて小刻みに震えている。キサは黙って近付き足元に片膝をつき、その手の甲を包み込むように優しく自分の手を添えた。その重なった手を見ていたチヒロの視線はゆっくりと上がりキサの顔に向けられる。
「キサは前より優しくなった」
碧い瞳を潤ませながらチヒロは呟いた。
「でも笑いかけてはくれないんだね。私にはいつも真剣な顔と心配そうな顔ばかりしているよ」
その言葉の真意に理解が追いつかないキサは眉間に皺を寄せてしまう。
「仕方がないよね。キサは私の護衛なのだから」
チヒロは短くなったキサの亜麻色の髪に手を伸ばす。その手は切られてしまったその先を探す様に名残り惜しげに触れているような気がした。
「ブロンズの港を中心に病が広まりつつある。時期としては盗賊団の乗った船が停泊してから、我々が出航するまでのその期間。君もその時期にブロンズに居たが、体調は特に変化はないかい」
チヒロの問いかけにキサは肯定する。
「病には個人差があるらしい。面白い話で研究者によれば媒体が虫ある以上、好き嫌いの様なものもあるらしく寄りつかれる人間と寄りつかれない人間がいるらしい。キサは後者だったのだろう。また症状も人によって違うそうだ。軽ければ風邪を引いた程度、重くなれば死が近付く」
「1人あの時期に高熱をだした少女がいます。もしかしたらその病にかかっているのでしょう」
キサがリリイの事を伝えるとチヒロは頷いた。
「時期といい、症状も似ている。私達は専門家ではないから分からないが、間違えないかもしれないね」
すると、伝染してしまう病なのだとしたら、体調悪かったリリイを看病していたシスターも、一緒に居たダンやイラも危険だ。ましてや医師の元へ連れて行って他に病人が居たとしたらさらに広まってしまうかもしれない。確か盗賊の1人に撃たれた兵士を医師の元に運んだと言っていた。船を強奪されたリリイの父親も居たはずだ。彼が助け出さなければ2人とも生きていなかっただろう。
キサの思考はそこで止まった。正式にはそれ以上考えるのを辞めた。そのブロンズで過ごした日々にもう1人キサの隣に居た事を認めたくなかった。
「昨日のコーユの手紙を見た時は私も驚いた。まだ初期症状だけで本人も大丈夫だから問題ないと言っているらしい。だけど一応報告してくれた」
そう言って向き合うキサの両手をしっかりと握る。まるで動揺している相手を落ち着かせるように優しく手の平で包んでくる。まるで先程までと逆転してしまったようだ。何故キサはチヒロにそうさせてしまったのかわからない。わからない、嫌、もうその理由は分かっている。
「兄上も、カミキもこの病にかかっているらしい」
自分の胸の鼓動がこんなにも大きな音だったなんて知らなかった。もし主が手の平を握っていなかったら、自分の指先が冷えて震えていただろう。頭から血が下がっていく感覚まである。キサは動揺していた。
キサは改めて1度大きく深呼吸する。このざわつく心をなんとか落ち着かせる。そんな事で動揺する自分ではなかったはずだ。ブッチランドの国王の護衛として、何が起きようとも取り乱してはいけない。感情に揺さぶられてはいけない。
「それでも君は私の傍に居てくれるよね」
「私はチヒロ様の護衛です。どんな時も貴方のお傍に」
そう答えたキサの頬にチヒロの手の平が触れた。チヒロの指先も冷たかった。
「ほら、私はキサにそんな顔しかさせてあげられない。でもこれを聞いて君が国に戻りたいと言い出してしまうのではないかと、内心落ち着かなかった。私には君が必要だから。最後まで君もこの国で自分のやるべき事をやりきろう。そして2人で元気な兄上の笑顔に迎えられよう」
その言葉はまるで自分に言い聞かせている様だなとキサは思いながら、チヒロの言葉に大きく頷いた。途中で投げ出してしまっては、新しい世界を観てこいと背中を押してくれた彼に示しがつかない。きっと主も同じ事を考えたのだろう。もう二度と彼を失う事のないように。最悪の事態を頭の片隅に住まわせながら、再び晴れ渡る青い空に浮かぶ太陽のようなあの笑顔に迎えられる事を願っているのだ。




