3-6. 赤の鏡に悩める心
「ラピスラズリ」シリーズ第三章
その後、再び車に乗り込み工場地帯を抜けながら車内でララから説明を受けた。先程の造船所の様に大きな建物があったが、そこでは車を作っているという説明だけで停車して外に出る事はなかった。
どのようにこの乗り物が作られているのか一目見て置きたいという物足りなさはあったが、案内は全てララに任せているし高い技術力を異国に出したくないという気持ちだったとしたら、この口頭説明だけで済ませた気持ちも分からなくもない。
またそれ以外に理由としては、この地域に入ってから前の窓が少し濁っているように見えるようになったからだろう。窓の汚れというわけではない。近くで火を焚いて燃やして出た黒い煙が辺り一帯に充満しているようだ。この空気の中外に出たいとは思わなかった。そんな場所だからチヒロもララに無理を言わなかった。
工場地帯を抜け再び舗装された道に戻り、貴族街を通れば平民街と違っていた。平屋だった建物は頑丈な石が積み重なった複数階の建物になり、道は凹凸は舗装され車が走りやすいように広めに作られ、チヒロ達が乗っている車と同じ様な複数乗れる大きなものが反対側からすれ違う。先程の平民街の工場地帯と比べれば空気も澄んでいそうだし、人の服装は平装ながら平民よりは生地も仕立も良質の様だ。
一見ブッチランドの城下街を思い浮かべるが、道に並ぶ活気づいた露店の姿はなく、どうやら店は建物の中にあるようだ。やはりここでも国の文化の違いについて感じられる。
チヒロはブッチランドのあの長閑な森や人々の声が行き交う活気のある街が好きだ。出航前に訪れたブロンズの港も良い眺めだったし、あまり接する機会はなかったがそこに住む人々も穏かで温かい人々だ。ブッチランドは素晴らしい国だと思っている。
でも、こんなに文化の違いを見せつけられてしまえばこのままの国で良いのかと悩んでしまう。自分達がやってきた事は正しかったのだろうかと。
いっそ今までの様に城に籠ってこの小さな国で満足していればこんなに悩む事はなかっただろう。外の世界に憧れなければ良かったのではないか。何故外の世界に目を向けようと思ったのか。
ふと黒髪の彼の姿が浮かんで、そして消えた。
「チヒロ様、お顔の色がすぐれない様ですが」
ララの声で我に返るとチヒロ達の乗った車は止まり、城壁の鉄の橋が降りるのを待っている時だった。
「あぁ、すみません。考え事をしていて。大丈夫です」
「そうですか。私の勝手で色々と連れまわしてしまったからお疲れになったでしょう。これから夕食の時間まで少しの間ですがお部屋でお休みください」
「温かいお言葉ありがとうございます。では甘えさせていただきます」
城の前に停められた車から先に降りたララが、まだ中に居るチヒロへその細い手の平を差し出す。本当なら女性をエスコートするのは男性であるチヒロの役目なのだが、まるで逆の彼女の行動にチヒロは複雑の心境になった。
それを気付いたのかシオンがララに何か言いたげだったが、チヒロは視線で彼を止めた。悪意の欠片もない彼女の素直の優しさからの動きだとチヒロには分かっていたからだ。彼女の温かいその手に自分の手の平を重ねて車から降りる。
広間で先日と同じ様に別れてチヒロは自室に戻る。そして同じ様に部屋の扉の前でキサと離れた。使用人を呼ぼうかというキサの提案を断った。少し1人になる時間が欲しかった。
少し行儀悪いがその格好のまま中央に用意された寝台の上に顔面から倒れ込む。慣れない車移動で体はだるい。知らない世界の話を聞いていたので、脳はとっくの昔に許容量を越えてしまい働かなくなっていた。
チヒロは碧い両目を閉じた。暗い世界の中で先程まで見てきた物が走馬灯の様に次々と映し出される。
自分では気付かなかったがどうやら興奮しているようなので、寝る事は出来ないみたいだ。そのままの状態で静かにその暗闇の世界を受け入れる。
ブッチランドでは再現できない技術力そして便利な乗り物。あの半年前のあの時、イナガ侯爵がそのまま王となっていたら国はどのように変わっていただろうか。彼は前国王によって止められていた異国間の交流を再び始めようとしていた。
あの時は、支えであった父が亡くし、また目の前で大切な人が殺されてしまうと言う事と、私利私欲のまみえた侯爵が父の後を継いで王になり、大好きなブッチランドという国が変わってしまうのではないかと恐れた。
だが、外の世界との文化の差を目の当たりにした今のチヒロなら、積極的に異国の文化を取り入れ、侯爵は人々が暮らしやすい様に変えようとしていただけではないか、という考えが浮かぶようになった。もしそのまま昔からの長閑なブッチランドが消えて、侯爵の作る新しいブッチランドになったとしたら人々の暮らしは変わったのだろうか。国民は異国との文化の違いを知っていたのなら、侯爵とチヒロのどちらを選んだのだろう。
チヒロの選択によって侯爵の戴冠式を中断させ、その事でカミキがキサによって命を救われる事になった。カミキはチヒロの腹違いの兄であり、事故で王妃と共に亡くなったとされていた第一王子だった。瀕死の状態をミイ達に救われ、平民として今まで生きていた。彼の明るい笑顔を優しい性格を偶然出会ったチヒロにも向けられた。彼の涙を見て、チヒロにはない彼の強い意思も見た。だからブッチランドの2人の王の片割れとしてチヒロを支えてくれるように頼んだ。チヒロも、もちろんチヒロ以外のキサやコーユも彼と関わる事で少しづつ何かが変わっている。
でももし、チヒロが侯爵と共に新しい世界を生きる事を選んでいたら。
自分が恐ろしい事を考えていた事に気付きチヒロは体を震わせた。閉じられた瞳から涙があふれて寝台を濡らす。自分は変わった。人の命が左右された選択に、それが正しい選択だったのかと考える様になった。新しい知識を入れる事で迷う様になった。そしてカミキと比較されているのではないかと恐れる様になっていた。
王である父が亡くなり、国を継いだ今子供ではいけないと言う事は分かっている。でも大人であろうとするほど自分が醜くなっているようで自分が嫌になる。
「父上」
チヒロは無意識に呟いていた。
突然、窓を控え目に叩く音が聞えてチヒロは顔を上げる。窓の外には見慣れた鳥が窓の柵に止まって、その真っ直ぐな瞳でチヒロを見ていた。国の城で伝達用として飼育している鳥で、その中でも体力のある体が大きな種類だった。
窓を開けて彼の働きをねぎらいを兼ねて鳥の背を優しく撫でてやり、その足に巻きつけてある手紙を広げる。やはりブッチランドでカミキの元に残してきたコーユからの報告だった。チヒロが小さい頃から見慣れている、教育係であり側近の几帳面に均等に書かれたその字からは今現在国で起きている事を把握する。予想よりも状況が悪かったようだが、チヒロはそのまま予定通り過ごして欲しいと書いてあった。
今度は扉が叩かれキサの入室を許可した。キサの後に使用人が続く。気付けばもう夕食の時間が近付いていた。チヒロは鳥を放ち、彼女達に身支度を整えてもらう。
「チヒロ様。先程の鳥は国の伝達用の、」
「うん。特に変わりがないそうだよ。コーユからの「お腹を冷やさない様に注意してくださいね」って手紙」
「そうですか」
キサの顔が曇ったのを横目で見る。
もちろんコーユがそんな理由で鳥を飛ばすはずがないとキサは知っているから、チヒロがキサに嘘を付いたのを彼女に見抜かれているのだろう。でももし事実を彼女に伝えたら、彼女は今すぐにでもチヒロの元から離れてブッチランドに帰りたいと言うに違いなかった。それが分かっているから、キサには嘘をついた。彼女に傍に居て欲しいと思ったからだ。
「キサ、」
チヒロは彼女の名前を呼んだ。彼女が顔を上げれば、亜麻色の短くなった髪が細い顎の横で揺れている。
「随分髪が短くなったね」
「えぇ、軽くなりました」
キサはそう言って自分の短くなった髪を耳の上に掻き上げた。真珠の髪留めがキラリと光る。その姿を見ていたらチヒロの中で不意に込み上げてきた感情の苛立ちが段々抑えきれなくなった。苛立つ理由も意味も知らない。
「私だったらそんなことさせないのに」
つい呟いた。
「チヒロ様」
心配そうな顔でキサはチヒロを見てくる。そんな彼女に問いかける。
「キサは私の護衛だよね」
「えぇ。そうです」
「なら、なんで私には笑いかけてはくれないの」
今まで心の中に潜めていた言葉がチヒロの口から出ていた。
「気付いているかい。キサに前よりも感情や表情がでてきた事を。コーユが呆れた顔をしながらも楽しそうにしている事を、私の方が2人と長い時間付き合っていたというのにそんな姿を見た事がなかった。向けられた事だってなかった。それに、」
感情の流されるまま吐き出す自分の言葉に、キサの顔を見るのが怖くなって途中で目を背ける。
「こんなに私が醜い感情を持っているなんて知らなった」
部屋に供えられた姿見に映る自分の姿を見る。整えられている金髪もぐしゃぐしゃ、服もよれよれ。自分でボタンも留められない。そして何より心の苦しみで顔が歪んでいる。言ってはいけない事を言ってしまった。こんなの自分じゃない。認めたくない。嫌われてしまう。皆が自分から離れていく。
チヒロの剣幕に驚き、手を止めていた使用人の1人が、再び何事も無かったかのようにチヒロの髪に櫛を入れ梳かし始めた。
「チヒロ様。今日はどういうところを見て来たのですか」
彼女は使用人の中では年齢上で、チヒロが物心ついた頃から身の回りの世話をしてくれている女性だった。彼女の穏やかな声と優しい手付きで、逆立っていたチヒロの心も撫でられて落ち付いていくのが自分でも判った。
「車に乗って平民街で造船所などを見てきた」
チヒロがそう答えるともう一人の若い女性の使用人が楽しそうに笑う。
「まぁ、素晴らしい。あの大きなお船が作られるところですね」
「車の工場もあったようだが、そこは降りなかった」
すると年配の方がワザと嫌そうな声を出して言う。
「私はあの車っていう乗り物はあまり好きではありませんよ。なんか窮屈だし、圧迫されるし、何より車が吐く息が臭い」
「判ります。吐く息、後ろに向かってだから息じゃなくて、」
「おならですね」
使用人達の少し下品な会話の最中に、真面目過ぎて不釣り合いのキサの口からそんな言葉が出てきたのが面白かったようで彼女達は大爆笑を始めた。その様子にチヒロもつられて笑ってしまう。
「チヒロ様。私達ブッチランドの国民はこんなくだらない事で笑いあっているのが大好きなんです。だから無理して大人になろうとしないで。急いで変わろうとしないでくださいな。もっと素直にのんびりと悩んでいきましょうよ」
年配の女性はそう言うとチヒロの両肩を優しく叩く。
鏡の中で並ぶ彼女の輪郭がどことなく自分に似ているようにチヒロは感じた。
「ほら、準備できましたよ。ブッチランド国王様」
「ありがとう」
チヒロは心の底から彼女達に礼を言った。チヒロが吐いた弱々しい本音も、そして悩んでいる事を受け入れた上で、チヒロに「今のブッチランドが良い」と言ってくれた。素直にのんびりと悩んでゆっくりと変われるのならそれで良い。それならば変化もあまり怖くないだろう。まずは自分の足で立ち止まらずに前へと進む事が大切なのだから。




