4. 過去と碧き瞳
「依頼の進み具合はどうなっている」
赤い目隠し布に阻まれて依頼主の姿は見えないようにされている。ただ解るのは、街外れの崖先に佇む巨大で豪華な屋敷の主人であり、ある依頼を暗殺集団にした傲慢な金持ちというだけだ。
「申し訳ありません。未だ作戦を練っている最中でございます」
依頼主は自分の素性を語らないし、こちらも依頼側の情報など知る必要は全く無い。金さえもらえればなんでもやる。喩え、どこかの国の王子を暗殺しろと言われても了解するしかない。生きるために拒否権はなかった。
依頼主が姿を隠したその先で独特の引きつった笑い声が聞こえた。
「数日前に知らせがあったが、夜に城へ賊が入りこみ王子の寝首を襲ったそうだ」
顔を下に向けたままの暗殺集団の頭領に、彼は優しい声で問いかけた。
「あれはお前の手下の仕業なのか。答えよ、ミイ」
名を呼ばれた女は顔を上げる。高い位置で一つに結んだ黒い髪が揺れた。
「はい。左様でございます」
「結果は」
「護衛に見つかり、追い返されてしまいました」
再びミイは俯き、部屋にひかれた紅い絨毯に視線を移した。
「ひゃははは。護衛一人に追い返されただと。あの暗殺集団がね、それは参った。可笑しくて腹が割れそうだ」
「申し訳ありません」
姿は眼にしなくても、主の動きも考えもミイにとって明白だった。
もちろん、次にくる言葉も。
「住む場所もろくになく、仕事もないお前らを見つけて居場所を与えてやった私の言葉が、お前には良く理解できてなかったようだな。私の命令を無視して逃げ帰ってきたと言うのか。お前達が生き延びて良い世界じゃないのだよ。護衛に刺し殺されながらもしっかりと仕事をしてもらわないとこちらは困るのだ」
「つまり、私達が命令を遂行する時には、それなりの始末をつけろと申されるのですね」
答えは返って来ず、沈黙した空気が流れた。それはまるで、「当たり前だ」と言っているかのようだった。
「御意」
彼女はそれを承諾しなければならなかった。
憎らしいくらいに紅く染まった絨毯に、額をつける手前まで頭を下げなければならなかった。
ミイはこの仕事をする前から、蔑まれ、憎まれ、争いの中にいた。暗殺集団に入っているからだと言う訳でもない。幼い頃から貧乏だったし、平和な街の裏側はいつも荒れていた。前団長である父が急逝してから受け継いだ団長という責任も数年で苦にならなくなった。
自ら人を手にかけた事だってある。
殺されたと明るみにならないよう命を紡いでいく暗殺という仕事。それが自分たちの生きていくためにこなしていく仕事だ。周りにいた同世代の少女が可憐で美しく成長していくのを横目で見つつ、彼女は自分にそう言い聞かせながら20年の間、暗殺集団の中で過ごしてきた。
それはこれからも変わらない。
自分が生き延びる為には、命令に生き、他の命を踏み台にしていくしかないのだ。
自分が大切にしている物を守るために。
「姉さん。お疲れ様です」
大豪邸の入口前で、二頭の馬をひきながら、カミキは屋敷から出てきた彼女の元に走り寄ってくる。
「いつも迎えにきてくれて悪いわね」
「いいえ。馬に乗る事好きだし、悪いなんて」
カミキはそう言うと、持っていた馬の手綱をミイに渡すと、彼自分は彼の髪や瞳と同じ色の黒馬に跨った。
腹に軽く一蹴り入れると、馬達は待っていましたとばかりに元気に走り出す。
景色が流れる様に過ぎ、心地よい風が頬を優しく撫でた。今までの暗い気持ちが風に洗われていくように感じる。
「姉さん。あいつはなんて?」
カミキが姉の顔色を伺うように、尋ねてきた。
「毎回言っているだろう。あの方との話は口外にしてはならない。喩え、弟だったとしても違反になるわ」
ミイはそう言うと、自分の馬の脳天を見つめた。
視界の端でしょんぼりと肩を落とす弟が映る。
「ごめんね。でも、貴方の事は絶対に守るからね」
彼女の声にならない決意は爽やかな風に流された。
「あれ、なんだあいつ」
カミキの不思議そうな声に顔をあげると、道の反対方面から白馬が疾風のように横を通り過ぎていく。
布のフードを深くかぶり風に靡かせながら、ミイ達には目もくれず、一心に手綱を握って彼女たちが出てきた屋敷を目指して駆け抜けていく。
フードの影からちらりと覗かせる見覚えのある長い髪、そしてチラリと見えた腰に装備された剣。
彼女の記憶の中にいるある人物を思い起こした。
何故あの人があの屋敷へ。
依頼主と何か関係があるのか。好奇心がミイの中でふつふつと湧き上がってきた。
「調べてみるか」
ミイは弟に聞こえないように小さな声で呟いた。
次にカミキが後ろを走る姉の方を向いた時には彼女の姿はなく、荒れた野原の先に聳え立つ、先ほどの屋敷が不気味に思えた。
***
「王子チヒロ様の護衛役である、キサだ。侯爵に逢いたい」
崖の端に立つ、大きな屋敷の外門が音を立てて開いた。
門が完全に開ききるのを確認すると、白馬の腹を一蹴りして屋敷の中に踏み入れた。
扉の前にいた使用人に持っていた手綱を渡すと、自分は音を立てない軽い身のこなしで馬の背から地面へ降り立った。
高い天井に広い玄関ホール、一際目立つ真ん中に天井から下げられた釣りガラスの照明は、キサが今まで見てきた何よりも巨大で、明かりを部屋の前面に輝き放っている。所々に置かれた金をちりばめられた家具や装飾品につい目を奪われる。
「随分と華やかな生活をしているようだな」
キサは金で出来た蝋燭立てを眺めながら、ポツリと心境を口に出した。
「お城の生活と比べれば、こんな物ガラクタでしかありませんよ」
背後の声に、キサはゆっくりと彼の方に体を向けた。
白い手袋をはめ、体に合った黒い燕尾服を身にまとい、その男は扉の前に立っていた。灰色の短髪に切れ長の黒い瞳が訪問者を静かに見つめている。
「ノウィー。いつからそこに」
侯爵に仕える使用人の中で最も侯爵に近い存在である、この屋敷の執事ノウィーだった。
「護衛殿が室内に入られた時からこちらに控えておりましたが、お気付きになりませんでしたか」
淡々と述べる薄い口角が上がる。
「貴方がお独りでいらっしゃるのは初めてですね」
以前コーユの共でこの屋敷にくる事があったが、キサは自分から訪れる事はしなかった。この屋敷を包み込む雰囲気がどうも慣れないからだ。それは、コーユも同様だと、以前の帰り道に嘆いていたのを思い出した。
「侯爵に聴きたい事があって来ました。謁見はできますか」
ノウィーの瞳が狭まれた。
「もちろんですよ。侯爵様がこの先の部屋でお待ちです」
そう言いながら、彼の背にあった扉を手で差し示した。
「そうか。でわ失礼」
キサはその扉に向かい開けようと取手に手をかけた時ノウィーは小さくキサの耳元で呟いた。
「不運の影が貴方の背に見えていますよ」
はっとして振り返るが、既に扉が閉まった後だった。
太り気味で目尻のつりあがった傲慢そうな男が、数人の使用人に囲まれ玉座に座っている。そのふくよかで短い足元から部屋の扉まで、紅い絨毯がひかれていた。
キサは彼の近くに寄ると、豪快にマントを翻し、片膝をついて頭を下げた。
「お久し振りです。イナガ侯爵様」
「何用だ。護衛が主人を置いて自ら単体で尋ねてくるのだから、さほど大事な用件なのであろうな」
隣に立つフルーツを持った使用人の皿から一欠け取り口に運びながら侯爵はキサに問う。
「王子の教育係から訊いて参りました。貴方ならこの国のどんな事も知っているのだとか」
「おお、あのコーユがそう申されたか。愉快だ。さぁ、私になんでも聴くが良い」
上機嫌の侯爵を前に、キサは顔を上げずにそのまま早口で述べた。
「ならば、お聞き致します。チヒロ様には以前ご兄弟がいらっしゃったという噂は本当ですか」
侯爵の耳障りな引きつり笑いが止んだ。
「それが本当なら、その方は一体今どちらにいらっしゃるのか」
鼻下に蓄えられた、しっかりと手入れを施された形の良い髭を片手で整えながら彼は口を開いた。
「確かに、王子様には年もあまり離れていらっしゃらない兄上がいた。しかし、まだその方が幼い頃、賊に襲われその時にお亡くなりになった」
「それを証明できるものは」
彼の顔を見なくても、部屋に立ち込める雰囲気で伝わってくる。国の将来を左右する事のできる人材を亡くしたというのに落胆するのではなく奴は笑っている。
「何を証明する必要があろうか。15年前、第一王子様の死を確認したのも埋葬を行ったのも事実だ。そしてソレを重要な使命を果たしたのは、この私なのだから」
自分の栄光を高々と述べるように、彼は誇らしげに言った。
「では、もう一つ」
「他にもあるのか。王子の護衛と言う仕事は、終わった過去の事を粗さがしに来るほど暇なのか」
視線を合わせなくても空気で伝わる、侯爵の冷たい視線。
自分以外の相手を人間以下だと決め付けたような、人を見下す物言い。「早く終わらせたい」とキサは心の中でそう思った。
「侯爵様のお耳に入れていない情報があります」
「私の耳に入っていない事だと。そんなはずはないが。宜しい、申してみろ」
「つい先日城に賊が入ったのはご存知ですか」
「なんだ、その事か。それは既に知っている話だな」
ワザと深い溜息をついた。
「王子様のお命を狙った者ですが、その場で追い返しました」
「それがどうした。自慢か。そうか褒美が欲しいのか。しかし、そのくらいでは褒める事すらできぬぞ。そいつを捕らえ、その者が犯そうとした罪を知らしめる事が必要なのだからな」
使用人が侯爵の持つグラスに葡萄酒を注いでいるのだろうか。液体が注がれる音と、独特な果実臭が部屋全体に広がる。
「で、そいつを見つけて殺したのか。それとも捕まえたのか」
「どちらでもありません」
「なら何だ。何を言いたい。私はお前のように暇ではないのだ」
侯爵の低く大きな声が響く。
もうそろそろ良いだろうか。下を向いた姿勢で、キサは視線だけを侯爵に向けた。
「城に侵入した賊の瞳が、我が王子と同じ輝きを持っていました。同じ王家の証である碧き色した瞳だったのです」
ガシャン。
グラスが侯爵の足元で粉々に砕け、中に残っていた赤い液体が辺りに流れた。
「侯爵様」
周りに控えていた使用人が血相を変えて彼の元に駆け寄る。豪華な服に染み込んだ液体は、布を真紅に染めていた。
「馬鹿者、お前は首だ」
怒りの矛先が、葡萄酒を注いだ使用人に向けられる。
「侯爵、どうなされました。グラスを落とすほど動揺されて。なにか心当たりでもございますか」
この騒ぎでも冷静さを失わないキサに、侯爵は鋭い視線を向けた。
「いや、違う。今のチヒロ様以外あの瞳は存在するはずはないのだ」
「ならあれは私の見間違えだと」
「そうだ。くだらない」
「チヒロ様も確かに見られたと言うのに、貴方は見間違えだと申されるのですか」
侯爵の息が詰まる。
「そうだ。そうだな。光の反射か何かだろう。護衛のくせに変な詮索をしやがって。帰れ、今すぐこの屋敷から出て行け」
さっきまでの余裕の表情は消え、彼の額には微かに汗が流れ口調は荒くなった。
その姿を見るや、侯爵は何か隠しているとキサはそう確信した。
「では、お言葉通りに」
そう言うと、下に向けていた顔を上げ、音も無く立ち上がった。
「ありがとうございます、侯爵様。おかげでたくさんの事を知る事ができました」
そう淡々と礼を述べると、扉の先で待機していたノウィーの誘導のままに屋敷を後にした。
孤児院で育ち自分の価値を見いだせなかった頃に、その優れていた剣の腕を買われてコーユに拾われたキサにとって、己の見栄のために造らせた豪華絢爛な屋敷に滞在することは吐き気がするほど嫌だった。まだ豪華な調度品があるものの見栄をはることなく国民に愛されて支えられながら存続をしている心優しいチヒロたちが居る王家の城にいた方が幾分かましだ。
帰りを喜んで嘶く愛馬の背に乗って、キサは自分のいるべき場所へと戻った。
***
侯爵は極め細やかに織られた純白のカーテンの間から、外の様子を眺めた。
彼のギョロリとした鋭い瞳は、今まさに白馬に跨り敷地を出ようとするキサの姿を捉えていた。
貴族に見られない亜麻色の長い髪。歳はさほどいっていないはずなのに、妙に冷静で落ち着いて仕事に就くその姿を見ていると、侯爵は無性に腹立たしくなった。
「若造の分際で勘ぐりやがって」
問いかけつつも答えを既に知っているかのように見えた、護衛の強気な態度は自分を見下している様に思えてならない。それが彼には屈辱でならなかった。悔しさで歯を軋ませる。
ふと、今日の会話について考える。
奴は確か、城に侵入してきた賊は王家の証である碧き色の瞳と言っていた。
もしそれが見間違いではなく、真実なのだとしたら。
好機だと侯爵は思った。
「碧き瞳か」
彼はそう誰に当ててでもなく呟くと、重たく暗い空に不適な笑みを浮かべた。
風が強く吹き始め、木々が騒いだ。嵐を誘う雨雲が、ゆっくりと国を包んでいった。