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ラピスラズリの碧い空  作者: 助三郎
第二章・ラピスラズリと亜麻色の海
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2-16. 亜麻色を責める悲鳴

 鍋の中の沸騰した水が勇ましく音を立て、その中に入れられた野菜が気泡と共に湯の中を回転し、その身を柔らかく変えていた。キサはただその鍋を焦げ付きがない様に、でも荒波をたてないように静かに掻き混ぜている。

 数時間前にはシスターと子供たちと、そしてカミキと囲んだ食卓には、その思い出を塗り替えてしまうかの様にシスターの他に3人の見知らぬ男が座っている。


 2階に居たキサは下の部屋の騒がしい声を聞きつけ降りてきた。そして玄関の前でシスターに詰め寄る男達がいるのを知る。玄関の外にもいるようだ。望まれない来訪者は4人。

 自分より頭2つ以上大きな男に気丈な態度で立ち向かうシスターの後ろで、少し前に共に降りて行ったリリイが彼女の服の影に縋りついて、その小さい体をさらに縮ませ震えている。


 男の1人がキサに気付いて下卑た笑いを向ける。シスターが制止しようとする体を突き飛ばし、その男がその気味悪い笑いを貼り付けたままこちらに歩いてきた。彼の着る服は色褪せ、解れ、そして近付くにつれて異臭が周囲に漂う。

『俺たち、昨日お前と露店でブローチを買った黒髪の男を探しているんだけど、そいつが今どこにいるのか教えてくれないか、』臭い口が言った。『俺たちはそいつの知り合いなんだ』


 城に居る時のいつものキサだったとしたら、肌身離さず腰の横に下げている愛用の細身の剣を抜き、その不快な口を二度と使えなくなるように切り刻んでいたかもしれない。それくらい、男の言葉はキサの心を苛立たせた。しかし、その怒りの衝動で無闇に争いを始めてしまってはカミキに顔を向けられない。心を落ち着かせ、正面の男に向き合った。そして顔を左右に振る。

『知りません』

『そうか。ではここでそいつが帰ってくるまで待たせてもらおう。もし何かを隠していてもすぐにわかるからな、変な気は起こすなよ。大人しく言う事を聞いていれば命は保証してやる』

 シスターの背中を押しながら大男が他の2人を連れて屋敷の中に入ってきた。キサの前に居た臭い男もニヤニヤと笑いながら彼の後に続く。その場に取り残されたキサの耳に、居間に残っていた子供たちの悲鳴が響いた。


 そして、それから少し経ち、男たちが食事を作れと言うのでキサは台所に立っていた。

 4人の子供たちは2階の部屋に閉じ込められたようだ。台所に居ても子供たちの泣く声が聞え、暴れて床を踏む衝撃で1階の天井は揺れている。またキサを手伝おうとするシスターは、男達に止められて彼らが囲む食卓に座らせたのも、彼女を人質とする事でキサが逃げ出したり、料理に変な物を混ぜたりさせないためなのだろう。そのせいでキサは初めて1人で料理をする事になり、何をすれば良いのか、どのくらい入れればいいのか、自分の舌先と数日間シスターを横で見ていた記憶を頼りにやるしかなかった。


 出来上がった料理に酷評があがるのも当たり前だった。男たちに笑われて蔑められて、それが悔しくて仕方がなかった。行き場のない震える拳を抑える様に両手で握る。するとその手に皺だらけの優しい手が重ねられた。椅子に座るシスターの手だった。『大丈夫だから』と言い聞かせるように触れられたその彼女の手は暖かかった。いつまでも彼女の中ではキサは手のかかる子供なのだ。幼い時と同じ方法でキサの心を落ち着かせてくれる。


そうだ。まだ怒りを抑えなくてはいけない。


 騒いでいた男の1人が違和感に気付く。

「随分と静かだな」

その一言で同じ部屋に居た5人は一斉に天井を見上げた。

 視界に映るのは屋敷を建てる時に携わった職人が丁寧に仕事をしたのが一目瞭然の、凹凸のないよう綺麗に塗り固められた土。先程まで天井を振動させていた足音も、助けを求めて泣き叫ぶ声も聞こえない。窓の外に広がる暗闇のように、その境から上はひっそりとしている。

「泣き疲れて寝ちまったのか」

誰かが疑問を口にした。誰もそれを肯定することができない。彼らの仲間の1人が用足しに行ってからまだ帰って来ない。彼がこの屋敷に存在する音さえ聞えて来ないのだ。


 瞬間、キサの視界の端で影が動いた。それは窓の先の暗闇の中で何かが動いている。それに視線を向けた。

「兄貴、外だ。子供が2人、外で暗闇の方に走っている」

 キサの視線の動きに気付いたのだろう。男が窓にかじりついて外を指さしながら、大男を呼ぶ。呼びかけられた男、玄関先の時にシスターに詰め寄っていた大きな男が、彼らの中で上位の存在なのだろう。

 外を走っている子供は服装や体格から、シスターの家に居た少年2人だ。閉じ込められていた2階の部屋から飛び出して、屋敷を背に脇目も振らず真っ直ぐに林道の方へと駆け抜ける。

「逃げられた。どうして」

兄貴と呼ばれた男が悔しげに唸る。


 少年たちはどのように外にでたのか、残りの少女とリリイはどこに行ったのか。


『お前はそこで何をしているんだ』

 突然、上で怒鳴り声がした。2階が静かになったので様子を見に上がった男の声だ。その声を聞いて窓枠に張り付いていた男も加戦すべく2階へと駆け出して行った。広くなった窓の鍵を上げて、ガラスを開く。外の涼しい爽やかな風が部屋の中に入ってくる。そしてその風に乗って、少女の泣き声も聞こえてきた。キサは窓枠に乗り上げ、体の上半身を外に出してそのまま上を見上げる。


 重なる2つの大きな正方形を乗せた様な造りの屋敷は、建物の土台も兼ねる1階は2階より骨組みもしっかり造られ一回り大きくできている。だから1階と2階の大きさの差の部分が、2階建築の際の足場として使われる事があった。しかしその足場は決して広くはなく、人がぎりぎり通れるくらいの幅しかない。

 彼はそこに立っていた。黒髪を風に撫でられながら、両腕で震える少女たちをしっかりと抱いて、自分の足裏くらいの幅しかない足場にカミキが立っていたのだ。


『先に行ってくれ』

彼が足元に向かって声をかけると、死角になっていた壁から梯子を持った男が2人出て来て、それを担いで少年たちが消えた林の方へと走って行った。片方はダンで、もう一人は港の職員だったはずだ。彼らが持っていた梯子は、屋敷の隣に建っている教会を修復工事の過程で使っていたものだ。


 キサはここでやっと子供たちが外に出る事ができた手段を知った。

 死角になる場所に梯子を設置し、それを使ってカミキが足場を伝って子供たちが閉じ込められた部屋に行き、彼らを窓から外に出す。そして梯子の元に連れて行って、それを使って子供たちを地面に下ろす。そして林の先に居る仲間のところまで子供たちを走らせる。だから初めは度胸もあり、足も比較的早い少年たちが選ばれた。少年たちを足場に下ろせば、自分で脱出しようと動いてくれるし、梯子のところに辿り着ければダン達が彼らを補助するだろう。そしてそれを成し遂げる少年たちの姿を見れば、気遅れ気味の少女たちだって怖さに打ち勝ち自ら動こうとしてくれるはず。カミキ達はそう考えたのだろう。


 もう少し、窓枠をまたぐ彼女たちに時間があったのなら。

カミキの右腕で高所の恐怖で泣き震える少女と、左腕には熱が出てぐったりとしているリリイ。彼女たちには1人で動く事は不可能に近い。梯子を持ったダン達を先に逃がしてしまった今、彼は降りる事もできない。


『さぁ、観念して子供たちをこちらに戻せ。大事な商品になるんだから、持ちだしされると困るんだよ』

2階の窓から男が手を出して外にいる彼に催促する。


 そんな八方塞りの彼が笑った。

リリイに何かを呟くとそれを聞いたリリイは彼の腕の中で大きく頷いた。


瞬間だった。

キサは驚きのあまり小さな声を上げていた。

カミキが少女たちを抱えたまま自ら足場を蹴って、闇の中に飛び込んだのだ。


 後方宙返りを繰り返し、身軽な彼は足元から地面に着地する。そしてしっかりと抱えていた腕を開くと、少女たちが2人手をとり林の方に走り出して行った。その様子を見てキサは安堵する。

 キサの真横から外に向けて真っ直ぐに腕が延ばされた。兄貴分の男だ。その手が握る取っ手の付いた持ち手の先に真っ直ぐ伸びる筒の様な物。その先を凝視する男の目が血走り、筒の向く方向にはこちらを背にして走る少女たちが居た。それが何なのかキサには知らない。でも、キサの全身に悪寒が駆け抜ける。

「いけない」

キサの叫びと共に、男は持ち手の先の引き金に添えた指に力を込める。


何事も起こらなかった。


キサは向けられた筒の先を見る。

窓枠の外には彼が居た。

黒い髪で黒い両目のカミキが男の前を両手を広げ立ち塞がる様に立っていた。

標的を隠された筒の先は、カミキの胸のあたりで止まっていた。


カミキは笑顔を浮かべて男に言った。

「それだけは勘弁してくれないかな」


キサは気付いた。そんな彼の額から汗が流れ落ちた事に。


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