2-11. 亜麻色の心は揺れて
「大丈夫かい」
シスターの問いかけに、台所で赤髪の少年が使った皿を洗っていたキサの手が止まった。
少年の話しを聞いてからキサはシスターと食器を片づけに台所に来ていた。お互い無言で過ごし、キサは最後の一皿を洗っている最中だった。
「大丈夫って何がですか」
顔を上げると、いつも口を開けばキサに対して皮肉しか言わないシスターが、目頭を寄せた心配そうな顔でキサを覗きこんでいた。
「何がって、あんたのことだよ。あんたとあの黒髪の子の事だ。昨日までとは違って、今のあんた達はわざと壁を作ってお互いを遠ざけ合う様になった。相手に対して惹れているのに、それ以上踏み込む事に怖がっているように見えるよ」
キサは彼女のその言葉に返すことなく、無言で最後の一枚を洗い終わると、間後ろにあった食卓の椅子に座る。
そんなキサの綺麗に束ねられた髪をシスターが、崩さない様に気を配っているのか優しく撫でた。
「私はあんたとあの子がどういった立場なのか知らないし、あんたが話したいと思わなければ聞く事もしない。でも、あんたを育てた母親として、そんな苦しそうなあんたの顔を見ていたくないんだ」
シスターの暖かな手のひらがキサの頬を優しく触れた。
その温もりによって、キサの胸の奥底にそれを潜め、目を逸らしてきた感情が段々と表に引き寄せられる。これまでに感情が高ぶるのはキサにとっては初めての経験だった。少し恐くなってシスターの手から離れようとした。
そんなキサを、シスターは小さい赤ん坊を抱くかのように優しくその胸に引き寄せた。
「ここは城でも城下町でもない。みんな平等に海が見える港街なんだ。ここに居る間だけでも、その身の枷を解き放って、渡り鳥の様に自由に考えてみてもいいんじゃないかい」
空いた窓から仄かに磯の香りがする風が通り過ぎた。
どこか遠くに飛ぶ海鳥の声が響いている。
初めは敵対心しかなかった。大切な主を襲った相手だという認識。
そして同時に興味を抱いた。自分と互角に戦った相手。チヒロが興味を抱く相手。
そして、もう一人の王家の証を持つ者と判ってからは、消された過去を明らかにすることばかりを考えていた。悪事を砕き、第一王子が生きていた真実を民衆に教えたかった。
死刑台の上で彼の瞳を見た民衆の驚いた顔、今まで悪に踊らされていた自分たちに気付いた姿は滑稽だとも思った。
そして王家の証を持った王族がブッチランドを統べるというのが当たり前だと思っていた。
それは彼にとっても良い事だと思っていた。
頭の片隅には気付いていたのだ。
その時、民衆の前でラピスラズリの瞳を明らかにした瞬間に、カミキという一人の民はその死刑台の上で死んでしまった事に。
彼は覚えのない過去を捨て、ブッチランドの一国民として暮らしていた。場所は暗殺集団とはいえど、自分の身は自分で守り、仲間と笑いあい、何も縛られる事のない日々を過ごしていたはずだった。
気付いていたのにそれから目を逸らした。
『そのまま普通の暮らしをしたまま生きる未来はなかったのかな。結婚して、子供ができて、そいつらの笑顔に囲まれながら、辛い仕事も頑張って、いつしか子供が大きくなって、その子供を抱いて、静かに死ぬ、そんな普通の未来は』
数時間前に彼が不意に口にしたその言葉が胸を締め付ける。
王家の証を明らかにしなければ、王になることはなかったのではないだろうか。
キサが彼に興味を抱かなければ、彼は見つかる事はなかったのではないだろうか。
あの騒動さえなければ、彼は普通の国民として一生を過ごす事ができたのではないだろうか。
もしも、出会わなければ。
「私は彼を助けたかっただけなのに、」
堪えていた感情が、
「笑っていて欲しいのに、」
目を逸らしていた現実が、
「どうしてこんなに苦しいの」
嗚咽と共に溢れ出す。
「シスター、私は、この未来を選んだ私は間違っていたのでしょうか」
「あんたは自分が間違った事をしたと思っているのかい」
シスターの問いかけに、キサは少し考えた後首を横に振った。
「なら、あんたが決めた道を胸を張って堂々と歩きなさい。「もしも」なんて過ぎた事を考えない。後悔もしない。誰に言われたからと言って自分の信じた道を突き走る。それがあたしの知っているキサという娘だよ」
自分の信じた道を突き走る。
女だからと馬鹿にされながらも剣の道に進んだ。今は自分の手で主を護る事が出来る力と自信を得た。
それは最終的に彼の命を救う事ができた。彼の素直な言葉を思い出す。
『今ここに居られるのも、こんな素晴らしい世界をこの目で見られるのも、全部お前のお陰だよ』
『ありがとう』
これが、キサ、私が選んだ道。
頬を伝っていた涙を自分の手の平で拭いとる。
胸の中のキサが動き出したので、名残り惜しみむかのようにゆっくりとシスターはキサから体を離す。
「あんたは昔から友だちが作れない子だったから、他人との接し方が分からないんだろうね。だから相手の動きや感情の変化で迷ってしまう。あんた達はお互いに言葉が足りないんだ。思っている事は言葉にしないと相手には伝わらない。子供でもあるまいし、そんなこともわからないのかい」
椅子から立ち上がり、顔を真っ直ぐ前に上げたキサにシスターはいつもの様に皮肉を言った。
「余計なお世話ですよ」
彼女なりの笑顔を浮かべながら、そうキサは返して部屋を出る。
喧嘩している様に見えていつもシスターはキサの事を見ていてくれる。それは今も昔も何も変わらなかった。
小さい頃から感情を表に出せなかったキサの心が弱くなった時には、必ずシスターが優しく抱いてくれた。抱いてと懇願した事はない。
口では皮肉を言いながらも子供たちの事をちゃんと見ている彼女には、子供の真っ直ぐな心までもお見通しだったのだろう。彼女の優しさと励ましで、再び前へと歩み出す事ができた。
まさか大人になった自分が再び同じやり方で励まされるとは思ってもいなかった、とキサは廊下を歩きながら一人頬を染めた。
赤髪の少年の部屋にはリリイとカミキと、そしてダンが来ていた。
「少年の目が覚めたって子供たちが俺のところに知らせに来てな、」
そう言いながら赤髪の頭を右手で乱暴に撫でる、ダンの顔は嬉しそうだ。
「大急ぎでここに来たら、俺の顔を見て早々、リリイとこいつから「ごめんなさい」だもんな。何事かと思ったぜ」
「そうか、ちゃんと言えて良かったな」
キサが子供二人にほほ笑んだ。
満足そうなリリイの元気いい返事の隣で、赤髪の少年もダンに髪の毛をぐしゃくしゃに撫でられて迷惑そうだがどこか嬉しそうに見えた。
「それでだ。兄ちゃんにはさっき話したが、言われた通り調べてみたら変な事が分かったんだ。リリイの親の船が帰港した時に管制所へ申請を出しに来た人物は、彼らとは全く別の人物だった事が分かったよ。担当した者がその男が見知らぬ顔だったから声をかけたそうなんだが、男は「少し前に雇われた」と言っていたそうだ。夫婦二人でやっているような仕事なんだ。人を雇う必要はないと俺は思うんだが」
「その男は怪しいな」
「もう一つ、港に近い住民からの情報だ。帰港以来、船は動いていないが、夜には明かりがついていて人の気配があるそうだ。今、詳細を知る為に俺の仲間たちが船を見張っている」
「つまり船の中で人が暮らしている可能性があるという事か」
なるほど、と言いながらダンの情報にキサは腕を組んで考えている。
「もしかして、私が乗った沈没した船に居た奴らじゃないか。私がこの国に流れ着いたように、彼らもその船に助けられたり、奪っい獲ったりしていれば」
「というのならば、相手は異国の窃盗団か。だとしたら、探しているのかもな。君の居場所とそれを」
カミキはそう言うと、少年とその手の中のブローチを指差した。少年は唇を固く結んで、右手を握りしめた。
「何よりもう少し情報が欲しい。正式な相手の人数とか。リリイの親が「雇った」とされる男が一人だけとは思わないしな」
キサが顎に指を置きながら考えるていると不意に、キサの姿を見ていたカミキと目が合った。
「なんだ」
「なんでもない」
キサが問いかけると少し楽しそうな声色で返された。
彼が王だと意識するのは今は辞める。
ここは誰も彼の事を王だと知らない街だからこそ、彼の自由にさせてあげようとキサは思う。
だが、もちろん危険からはできるだけ遠ざけておきたいという気持ちもある。だからこそ、この偶然にも巻きこまれてしまった厄介事が何事もなく早々と解決すれば良いとキサは願っていた。




