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ラピスラズリの碧い空  作者: 助三郎
第二章・ラピスラズリと亜麻色の海
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2-8. 心は亜麻色に沈む

 窓から差し込む朝日に照らされて、キサは目を覚ました。毛布の中で寝がえりをうちながら、まだはっきりしない頭で昨日の事を思い返していた。

 体は起こさずに横になったままの体勢でぼんやりと部屋を見る。キサは幼い頃から置いてあった椅子と机、あまり物が飾られていない本棚。そしてキチンと折りたたまれた布団。

 

思いっきりキサは飛び起きた。


 供も連れずに自分勝手に城から飛び出して姿を見せたと思ったら、我が物顔でキサの周囲に溶け込んでいる彼。自分は国王という高貴の存在なのに、それを隠してまで普通の民と同じ様に過ごしたがる。


そんなカミキは既にこの部屋から出て行った後だった。


 キサは昨日、彼に「帰れ」と言った。

彼の命を脅かすかもしれない人間がいない場所に、彼の身を護る人間がいる場所に。彼の居るべき場所に。


 彼を思って発した言葉は「関係ない」の一言で消されてしまった。

もしかしたら、陽が出てから城に帰ったのかもしれない。何も言わず出て行ったのかもしれない。


彼の動向はキサにとっては「関係ない」事なのだから。


そう考えると胸が痛いのは何故なのだろう。

喪失感があるのは何故なのだろう。


 台所のある部屋の扉を開ける。シスターが朝食の準備をしていた。昨日の朝は並んでキサもやったのだが、今のキサは家事を手伝う気力すらない。やればシスターに散々文句を言われるし、今はただぼーっとしていたかった。


「全くこの子は何もできないし、挨拶もできない子なんだねえ」

昨日だったら苛立って反論していたシスターの悪口でさえ耳から抜けて行く。


そんなキサの目の前に暖かい飲み物の入ったカップが置かれた。

「おはよう」

無意識にその声の主を探していたのかもしれない。キサの止まっていた脳が少しずつ動き始める。


「なんでまだいるんですか」

そう言うと、キサはカップを両手に持って口と運ぶ。そして恥ずかしそうに視線を逸らして小声で言った。

「おはようございます」

そんなキサに向かってカミキは太陽の様に笑った。


 子供たちも起きて来て、全員でテーブルを囲んで朝食を頂く。良く眠れたかと聞く子供にカミキは頷きながら、朝早くに目覚めてしまったのでシスターと共に朝食の準備をしていたと言う。


「この子はあんたと比べて筋がいいよ。家でよく教え込まれていたんだね」

「オヤジは何もできない人だったから、ほとんど家事は姉さんがやってたんだ。その姉さんの手伝いを色々とさせられていたからな。最近は俺だけでやらされていてたけれども」

シスターがそう言って褒めるのを、過ぎ去った懐かしい日々を思い出すかのように目を細めてカミキは言った。


「いいじゃないか。今は男だって家事をする時代なんだ。あんたの姉さんと言うのは、しっかりした賢い女性なんだね」

カミキはシスターの言葉に、自分が褒められた時のような照れ臭そうな顔をして大きく頷いた。


「これは姉さんを越えるのは難しそうだな」

シスターは隣に座って食べているキサに小声で告げてきた。


「私には関係ない」

「何をいじけているのか。ホント、あんたはつまらないね」

キサに聞えるようにわざとらしくシスターは大きな溜息をついた。


 食事を終えてシスターから命じられたキサは、少女らの手を借りて洗い物をしていた。人数が多い分、使った皿も多い。

 城とは比べて品も量もない質素な食事だったが、大勢で机を囲んで食べれば不思議と美味しく感じられた。他愛もない会話をして、同じ物を食べながら笑いあう。シスターと子供たちの血のつながらない『家族の団欒』という時間。キサは随分と忘れていた気がした。

 城にあがる前は自分もこの輪の中にいたのだろうか。もしそのまま城からの誘いを断わり、この場所に居れたのなら、こんなつまらない自分になっていたのだろうか。


「ちょっとお前、その髪だと家事しにくいだろう」

背後の声にキサは我に返った。別の用事が済んで戻ってきたカミキが呆れた顔でキサに言う。


 シスターの元に帰省してから女性があるべき恰好しなさいと、足首までの長いスカートを履く事と、今までは一つに縛っていた亜麻色の長い髪を女性らしくおろす事をシスターに強制されていた。

 特に髪は今まで気にしていなかったせいもあり、腰くらいまで伸びていたのを改めておろした事で気がついた。下を向くと視界を遮ったり、気がつけば濡らしていたりと、今まで意識していなかったところで失敗する回数が増えていた。


カミキに声をかけられて気付いてみれば、皿と一緒に髪までもが泡まみれだった。


「まったく、仕方がないな」

そう声を震わせながら彼はキサの後ろに立つと、亜麻色の髪をひっぱった。

「痛い。何をする」

「まぁ、まぁ。お前はそのまま前を向いて洗い物を続けてろ」

背後でご機嫌は鼻歌まで聞える。


キサの両隣で手伝っていたリリイたちの手も止まり、キサの後ろで繰り広げられるカミキの手の動きを目を輝かせながら魅入っている。


「できた」

「お兄ちゃんすごい。キサお姉ちゃん、カワイイよ」

楽しそうな声が聞えた。

少女は駆け足でその場を離れると手鏡を抱えて戻ってきて、それを覗けと催促する。

鏡に映る、あの邪魔だった亜麻色の長い髪は綺麗に編み込まれ一つにまとまっていた。

「すごい」

無意識な感動が言葉に出る。


「小さい頃から姉さんの髪をやらされていたからな。これくらいなら朝飯前だ」

驚いて振り向いたキサと目が合うとカミキは恥ずかしそうに笑うと、次は私の順番だと迫る少女たちに困惑していた。


 キサは綺麗な編まれた束を一つにとめている物に気付く。カミキがブローチを買った露店に並んでいた女性用に造られた真珠のブレスレットにそれは似ていた。


「ちょうど良い物があったからな。そのまま使えよ」

椅子に座り、リリイの髪をブラシで梳かしながら、キサの方を見ずに彼はそう言う。

「ありがとう」

キサが感謝を告げると、赤面したカミキの指がずれて編んでいたリリイの髪が解けてしまう。

それを指摘されカミキはリリイ達に笑われた。それにキサも一緒に笑った。


 綺麗に編まれた髪を満足そうに揺らしながら、少女たちは手を取り合って部屋を飛び出して行った。その様子をキサはカミキと見送っていた。


「やっぱり良いな。普通の生活は」

呟くカミキに、洗い物を終えたキサは彼の向かいの席に座る。


「お金がなくても、不便な日々でも、太陽と共に起きて、仕事して、みんなで昼飯食べて、仕事して、日暮れと共に家に帰って、みんなと食事して、風呂に入って、寝る。それを毎日繰り返す。そんな普通な生活。俺も数か月前までその中に居たんだなって、」


彼は背もたれに寄りかかって上を見上げ、目の上に手の甲を置いて視界を閉じる。


「お金があって、食べる物は随分と良くなった。物に不自由しなくなったし、なんでも使用人がやってくれる。でも、広いテーブルに一人。執務室に籠りきり。いつも同じ顔ぶれ。一人で自由に外を動くことさえ許されない。誰かに護られなくてはいけないそんな生活」


「それは貴方がこの国の王だから」

「そう俺は王になるのを受け入れた。名のない反逆者として死ぬか、消された過去を明らかにするため生きるか、その選択を迫られた時俺は生きる事を選んだ」


「どうしました、」

カミキに伸ばしたキサの手先が手前で止まった、彼は震えていたのだ。


「なぁ、そのまま普通の暮らしをしたまま生きる未来はなかったのかな。結婚して、子供ができて、そいつらの笑顔に囲まれながら、辛い仕事も頑張って、いつしか子供が大きくなって、その子供を抱いて、静かに死ぬ、そんな普通の未来は」


 門兵と赤ん坊を背負った女性の幸せそうな夫婦の笑顔、年老いたシスターを囲んだ子供たちの楽しそうな声、市場の人々の毎日を懸命に生きる姿。それは少し前までキサ自身も思い浮かべていた、城という権力ある場に居なかった時のもしもの自分の姿を。


 普通の暮らしをする人々は城に入り権力を恋い焦がれ、権力がある者は下々の自由な暮らしを求める。それは決してお互い判り合えない、人間が持つ欲求だった。


 でも、もしもの自分が、もしもの未来を歩き出した事でそれはもう既に自分ではないのをキサは知っている。

キサは剣の腕を見込まれて城にあがった。そして兵士の中でも特に努力した。それを見こまれてチヒロの護衛を任される事になった。そしてカミキからチヒロを守った。


 もしキサが女性らしく剣を触れない普通の生活をしていたのなら、それはもうキサではない別の人物なのだろう。


 だからキサは手を伸ばして、彼の手首を持って視界を塞いだ手の甲を退かす。驚いて開かれた、不安に包まれた黒い瞳にその姿を映して、キサはカミキに言った。

「私はこの未来であった事が嬉しい」

「そうか」

寂しそうに笑みを浮かべたカミキの顔が気になった。


 掴んでいた手の平が彼から離れた時に、とてつもない喪失感がキサの胸を通り抜けた。なぜその感覚が生まれたのか意味は判らない。ただ切なかった。


 ノックの音と共に扉が開かれてシスターが顔を出した。

「あの坊やが目覚めたから、残っていた食べ物を持って部屋に来ておくれ」

「先に行っている」

シスターの脇をすり抜けるように部屋を出て行ったカミキに首を傾げると、キサの顔を見てシスターは驚いた。

「部屋の空気が重いと思ったら、どうしたんだい。私は今まであんたのそんな顔を見た事がないよ」


キサはそう言われて、自分の頬に触れた。

先程までカミキを手の平を掴んでいた自分の手が、震えていた事にそこで初めて気がついた。

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