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ラピスラズリの碧い空  作者: 助三郎
第一章・ラピスラズリの碧い空
3/64

3. 碧い運命に惹かれて

入り組んだ細い路地を何本も曲がる、前を歩く彼はまるで全ての通路を知りつくしているかの様に速度を緩めず進んでゆく。

これが何度目の角だろうか。

気がつけば、また随分と広場から離れたところの角を曲がったところだった。


目の前を歩いていた案内人の姿が忽然と消えた。


今まで数メートル先を歩いていた彼の姿が忽然と消えたのだ。

「ちょっと待てよ。嘘でしょう」

人一人分しかない幅の路地は、人が隠れる場所さえない。

今までちゃんと彼の後を追っていたから、見失うはずも無い。


何故だ。おかしい。


突如、背中で軽い物音がした。チヒロはその方向に顔を向けようとした時、首筋に冷たい物が当たっているのに気付く。

「振り向くな」

背後から押し殺したような低い声がチヒロの耳に囁いた。


背筋を一気に寒気が走る。


なんなのだ、こいつは。さっきの巨漢の男にまた出会ってしまったのか。

いや、違う。

その声はまだ若い。


「無礼者、私だ。お前にさっき道を案内してもらった者だ」

半信半疑だったが、彼に呼びかけた。

もし、彼だったのなら気付いてくれるはずだ。

二人の間に緊迫した空気が流れる。


最初に張り詰めた空気を乱したのは、背後の人だった。

「お前、帰った筈じゃなかったのか」

その言葉にチヒロの全身から一気に緊張が解けた。


「尾行されているかと思って、危うくお前の首を掻っ切るところだったじゃないか。ついてくる時は一言俺に声をかけろよ」

 そう言いながら彼は持っていたナイフを器用にくるりと回すと、ズボンのベルトにある鞘に差し込んだ。そこに仕舞えば上着に隠れて目立たない。

「貴方もちゃんと人を見てからナイフを向けてよ。いや、それ以前に、ナイフを人に向けちゃ駄目でしょう」

彼との合流で安心したのか足腰に力が思うように入らない。よろける自分の体を支えようと手を壁に添えた。


そして、その手の平に、何か生暖かい液体が絡まっていくのに気がついた。


恐る恐る視線を向けると、壁は朱色に染まっていた。

「ひっ、これは、」

黙ったまま、チヒロの様子を伺っている彼に聞いた。

自分が考えている答えは聞きたくない。「俺がやった」とその口からそんな言葉を発して欲しくない。

どうか、自分の勘違いでいるように。


「俺じゃない」

カミキはぽつりと呟く。


その言葉でチヒロは少し安心した。

しかし、彼の次の言葉はチヒロの胸に深く刺さった。

「俺の仲間がやった誰かの血だよ」

誇り高く言う彼の姿を最後に、チヒロの目の前は真っ暗になった。



 オレンジ色に輝く日差しが、閉じた瞼を焼き付けてくる。眩しい。

あれ、自分は何をやっているのだろうか。瞳を隠していたサングラスはどうしたのか。なんで自分は横たわっているのだろうか。

チヒロはそっと眼を開けた。


ここは見慣れた自分の部屋ではない。どこか小さな民家なのであろう。

少し離れたところで湯沸しが叫んでいる。誰もいないのだろうか。手探りでサングラスを探ると、頭のすぐ隣に置いてあった。正体が知られる、といった最悪の自体にはどうやらなっていないようだ。


 同じ瞳はいないが、金髪なら数少ないがこの国にも存在する。王子という正体さえ誰にも分からなければ別にいい。チヒロは胸を撫で下ろした。


さっきから聞こえる耳障りな音を確認しようとゆっくりと体を起こす。

少々頭が未だぼんやりとするが寝起きのせいだろう。見た目では体に異常が見られない。


音は少し先の台所にあるコンロから聞こえてくるようだ。

この家の主はお湯を沸かしていたのだろう。熱しすぎた湯沸しが悲鳴を上げて口からお湯を吹き零している。


「はい、はいー」

 そんな湯沸かしの赤子の叫びのような音を聞きつけた女が隣の部屋から小走りに駆けてきた。

彼女は手馴れた手つきでコンロの火を消すと、半身を起こした姿のチヒロに気がついた。


「あら、眼が覚めたのね。良かったわ。気絶した貴方をカミキが背負ってきた時は凄く驚いたのだから」

彼女はカップにさっきの湯沸しの湯を注ぐと、甘い香りが辺りに広がった。

「いい匂いだ」

彼女は「ふふっ」と笑うと、湯気の立つカップをチヒロの前まで持ってきた。


真紅の液体が、ポチャンと音をたてて揺れる。

「出涸らしで悪いけど、熱いから気をつけて」

そう言うと、そっとチヒロに手渡しをした。

「ありがとう」

返事の代わりに笑顔を返された。


 彼女は黒い髪を高い位置に結び、まとまりきらなかった後れ髪がスッキリした首筋に揺れる姿は妙に色っぽい。切れ長の目は女性らしく優しい印象を抱かせる。

「貴方は」

まだ湯気がたつカップを啜ると、甘い香りと共に少し渋めの液体が体の中に流れる。

「私はミイよ」

「私は、」

自分の名を名乗ろうと開いた唇を、彼女の細い人差し指が塞ぐ。


「貴方はこの場所で名前を名乗ってはいけないわ。そして、決してそのサングラスもはずしては駄目。ここは貴方にとって敵の中なの。私一人では貴方を無事に帰すことができないから」

唇を覆っていた指ははずされた。髪と同じ黒い瞳が切なく輝く。


 チヒロは悟った。

自分は大変なところに迷い込んでしまったのだと。

飲み頃になった紅茶を、緊張で乾いた喉に流し込む。程よい苦味が刺激的でおいしかった。


「貴方はもう私の正体について判っているのですね。もしかして、彼も」


 心の奥底では彼にだけは、自分の正体を明かしたくないと思った。王子ではない普通の少年として彼と接していたかった。血で染まった壁を前にしても表情を変えなかった彼だが、彼がどんな仕事をしていようともチヒロを案内した時の柔らかな表情だけを見ていたかった。


 人見知りのお坊ちゃんと言われて笑われてもいい。一人の人間として彼の傍にいたかった。

そんなに彼を求めていたはずなのに、自分から彼の目の前で意識を手放すなんて。


チヒロは自分の髪を掴んだ。輝く金色の髪。金髪は貴族が好む色。そして庶民はそれを嫌がる。


「チヒロ様。私の弟は、いえ、カミキは何も知りませんよ」

 ミイが頭を抱える王子の思考を覗いていたかのように、今チヒロが欲しい言葉をくれた。そして計ったかのように、カミキが音の外れた鼻歌を唄いながら玄関の戸を開けた。


「姉さん、撒き割り終わりました。お前、目が覚めたのか。目の前で急に倒れてビックリしたぞ」

迷子になって困っていたチヒロを慰めてくれた時のように、優しくチヒロの頭を軽く撫でる。


そして、絹のような金色な髪の束を摘むと、パラパラと流れる様に落とした。

「お前、金髪だったのか」

チヒロの背筋が緊張する。


大丈夫だ。金髪はこの世にたくさんいる。そう自分に言い聞かせた。

「まっ、まあな」

平然を装う声が震える。


返答はない。

チヒロが王族だと判ってしまったのだろうか。

彼の指から全ての髪が離れた時、彼は口を開いた。


「お前、綺麗な髪をしているな。姉さんより女らしいよ」

「え」聞き返す短い言葉は二人の口から同時に毀れた。

急激に緊張が緩んだチヒロと、異性と比較されて負けたミイだった。


「そんなこと、」

ない。とチヒロが言い終わる前にカミキの体はものすごい速さでその場に倒された。

鈍い音と共に、姉からの教育的パンチが彼の腹部に炸裂したようだ。


「ふっざけるんじゃないわよ。そんな汚い手で人を触れる暇があったのなら、早く薪を片付けてきなさい」

 チヒロは寝かされていたベッドから身を乗り出してみると、ダメージの残る腹部を抱えながら立ち上がろうとする彼の足元には大量の薪が散らばっていた。

この量を彼一人で割ったのだろうか。だとしたら自分はどのくらいここで寝ていたのだろう。


「いてぇな。分かったよ」

彼はまだ痛む腹を庇うように立ち上がると、薪を拾い集め一つにまとめて奥へと消えていった。


カミキが十分離れたのを見計らって、彼女は溜息をついた。

「眼の色を見られずにいてよかったよ。あれがとう」

「ええ。でも、チヒロ様、この偶然が二度も起きると思わないで下さいね。弟は未だ半人前で人を信じ過ぎるの。それでは今後、仕事上で不利になるわ」

 自分の背後に回って刃を向けたあの動き、人を引っ張りながらも緩まない脚力、あれでも彼は半人前なのか。なら、一人前と呼ばれる人間はどのような超人なのだろう。


「申し訳ないのですが、体調が良いのなら貴方は今すぐにでもここを出てください。そして、もう二度とココへは近づいてはいけない」

チヒロは彼女の優しげな表情に隠れる、強い緊張を感じた。

「それは貴方のためなのですから」


「君は、君達は一体」

彼の問いかけに彼女は薄っすらと笑みを浮かべた。小さな家の小さな窓から、褐色の太陽が沈もうとしている。

「私達は、黒猫暗殺団。貴方達、王族の呼ぶ『賊』よ」

太陽の最期の光が、彼女を後方から差した。まるで天女のように輝き、優しく微笑む彼女。何人もの人生を紡いできた者だけが持つ輝きだった。


チヒロは彼女に再び顔を向けた。表情は明るい。

「そうか、分かった。もう帰るよ」

そう言うしか彼に残された選択肢はなかった。


「ええっ、もう帰っちゃうのかよ」

折角来たばかりじゃないかと不貞腐れた顔をしながらも、カミキはミイと一緒に軒先まで見送りに来てくれた。

「気が向いたら遊びに来いよな」

彼の何気ない言葉が笑顔が、チヒロの胸に杭を刺す。


賊と王子、二人は相容れてはいけない存在。彼とは違った、自分の決められた道を歩かなければならない。もし、彼の道と重なる時があれば、その時はお互いの立場を理解しているだろう。


相対する存在。

今日みたいな事は、今後一切ありえない。でも、

「あぁ、またな」

事の重大さは理解している。しかし、短い間だが親しくなった誰かと離れるのがこんなに辛いとは。何かに吸い寄せられて近付きたいのに無理矢理にも離している様な感覚。


チヒロは後ろを振り返り、大きく手を振った。彼が未だ手を振り続けている。


もし自分が王子という枠に縛られていなかったら、この瞳を持っていないで生まれたら。今も、そしてこれからも、彼と逢う事が許されるはずなのだ。同じ年齢の変わらない友だちとしていつでも、何度でも。


だったら、王子なんていらない。


そう考えた時、離れたところからカミキが大声を上げた。

「お前、名前は何て言うんだ」

名前、名前くらいなら。


彼は再び後ろを振り返った。そして、彼等の元まで声を届かせるために両手を口元まで移動させた。

「私の名前は、」

まさに同時だった。

「チヒロ王子様」

背後で聞きなれた声がチヒロより先に名を呼んだ。チヒロの事を「王子」として。

「キサ」

マントを翻し、腰に王室細工で飾られた剣を腰から抜きながら、路地の向こうから走ってきた。


それと同時に、王子の背中に突き刺さるような視線を感じた。急いで再び振り返るとチヒロが避けたかった結果になっていた。離れていても伝わる、今までの明るい表情とは異なり無感情を感じさせる顔、彼の黒い瞳は標的に向けられた殺意で輝いていた。


昨夜の侵入者は、やはり君なんだね。

王族の証である碧い瞳は自分の見間違いだったのかもしれない。

光の加減か、それとも自分の理想と想像が作り上げた虚像だったか。

チヒロが探している“あの人”とは無関係かもしれない。


 何か他の、もっと大切な物を失くしてしまったような、今まで感じた事のない喪失感が胸を襲ってきた。もうこれで、さっきまでの関係には完璧に戻れないのだ。


「チヒロ様、探しましたよ。とにかくここからでましょう。殺気を放つ数人かに囲まれています」

まるで時が止まっているかの様に動かない主を、キサは必死に説得する。

「チヒロ様、早く」

息をきらせながら、キサは王子の肩を抱えてその場を走り出した。


知っているよ。そんなこと。だってここは敵の中なのだから。そしてあの優しい兄弟も、チヒロとは出会ってはいけない存在なのだから。


後ろ髪を引かれる思いで立ち止まる事はもう無かった。


 キサに連れられるまま自分の家へと戻っていった。自分を守る存在が四六時中いる、このブッチランド要である、国全体を見下ろす事のできる大きな城へ。


でもチヒロの中で、なにか大きなものに吸い寄せられる感覚はまだ残っていた。いくら離れても放されても切れない運命という名の大きなものをその小さな体に感じてしまったのだから。


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