2-7. 亜麻色に救いを求めて
「まったく冗談の通じない、つまらない子だね。真面目過ぎるくらいのあんたの事さ、変に大声を出さなくてもそのくらい判っているよ。冗談は挨拶の一つじゃないか」
シスターはそう文句を言いながら、カミキに背負われた少年を見た。
「可哀想に、ここ数日はちゃんとした物を食べられていないね。少し熱があるようだ。空いている部屋を案内するからそこに寝かしておやり」
そして、キサの手を握ったままの少女の頬を皺だらけの手で優しく撫でた。
「風呂が沸いているから二人で入ると良い。せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
キサは湯船につかりながら溜息をついた。
カミキと会う前の長閑の時間が嘘のように、せわしなく過ぎていった。どうでもいい話をしたり、言い合ったりしたので、久しく動かしていなかった口元の表情筋が疲労を感じている。
何であんなにあの小箱について気になったのだろうか。
彼が何を買おうが、誰に渡そうが、キサには一切関係ない筈なのに。
黒い両目に亜麻色の光を反射させながら彼はキサに言った。
『お前に受け取ってほしい』
思い出して赤くなった顔に湯をかけた。
特に意味はない、礼だと言っていたじゃないか。と自分に言い聞かせる。
「おねえちゃん、」
後ろから控えめに声をかけられる。一緒に入っていた少女が体を洗い終わり湯船に入ってきた。
「おねえちゃん、ごめんね。あれはおねえちゃんがあの時一緒に居た男の人からもらったものだよね。大事な物なんだよね」
「そうだね。私は人から条件なしに物をもらう事自体が初めてだったから」
護衛いう立場も、それを周りに認められた事も、自分が腕を磨いて頑張ってきたから手に入れられた物だ。普通の女性の様な服や装飾品や化粧品など物を求めた事はなかった。
だから初めてだった。素直にありがとうの感謝の意を含めた物を他人から与えられるのは。
「それなのにごめんね。でも、あの子にはもっと大切な物なの。ずっと探していて、露店にあるのに気付いてお願いしたんだけど駄目で、とても高くて買えなかったし、お店のおじさんがずっと持っていたから盗む事もできなかった。やっと買った人がいたんで、やっとあの子はあのブローチを取り戻す事ができたの」
「あの子とは知り合いなのか」
少女は首を左右に振った。
「知らない。この街では見た事もない子だよ。嵐が過ぎて行った日に砂浜で倒れていたのを見つけたんだ」
「その日からあなたたちは二人でいるのね。ご両親は」
キサの問いに素直に答えていた少女の顔が曇った。
「嵐が治まったからって仕事で海に出て行ったきりまだお家に帰って来ないの。お船は帰ってきているのに」
「遠くに行くって言っていたかい」
少女は首を何回も横に振る。
小さい胸を寂しさでいっぱいにして、今にも泣きだしてしまいそうな少女のその柔らかい肌を自身の胸にしっかりと抱き寄せる。
「もう大丈夫だからね」
キサはそう言うと洗い終えたシャンプーの優しい匂いがする少女の額に祝福のキスをすると、落ち着かせる為にその頭を優しく撫でた。
キサ達が着替えて戻ると、真ん中に置かれた大きめなテーブルで食事が始まっていた。キサは空いている席に座り、暖かい鍋から二人分を器によそうと少女の前にも置いた。
「お腹一杯になるまでおあがり」
無償で配られた暖かい食べ物を目の前に、困惑していた少女に向かい側の席に座るシスターが微笑んだ。
それを合図に戸惑いを見せていた彼女は一変し、動物の様な勢いで食べ物を胃に入れていく。
少女がどんなに空腹だったのか、どんな生活を強いられていたのか、彼女のその姿を見れば言葉にしなくても察する事ができた。
扉が叩かれダンが入ってきた。例の子供を保護したから身元確認に来るようにとシスターが呼んでいたのだ。扉を開けて食卓を見回したダンが少女の姿を見つけ驚き、少女の名前を呼んだ。
「なんてことだ。そこに居るのは、リリイじゃないか。お前の親父さんたちはどうした。最近港に顔出さないし、船もあれから動かしてないじゃないか」
リリイと呼ばれた少女が食べる手を止めて、今にも泣き出しそうな顔をしているのを見たキサは、素早く立ちあがりダンを部屋から押し出す。そしてキサも廊下に出て、後ろ背で扉を閉めた。
キサはキサの態度に不満を言うダンに、彼女が風呂場で語った事を伝える。
「風呂かー。昔は一緒に入ったよなぁ、っておい冗談だ。悪かった。そんなウジ虫を見下ろすような冷たい目で見ないでくれ、」
ダンは咳払いをして続ける。
「嵐の後、漁に出て行ったリリイの両親の船はすでに帰港しているのに、乗っていた本人たちが帰って来ないと言う事だよな。遠漁に出て行って数日間帰って来ないのなら判るが、もうすでに船が着いているんだろ。帰港した時の報告は必須だし、船から降りて管制所に報告をしに行かなくてはいけない。この業界は狭いから船の所有者が誰だか知っている。だから到着しても報告をしていなかったらすぐに誰かが不審に思うだろう。船から誰かが落ちてしまった、という事故報告も入っていない」
「だとしたら、船から陸に降り立ってから、まだ家に帰ってきていないって言う事なのか。漁港と家のあるこの港街との間はそんなに距離がないのに」
「でもそれ以外に考えられるのか。なんか用事があって帰らないのかも知れないぞ。」
「こんな近場で、しかも子供を一人で置いたままでか。もう嵐が止んで四日だ」
「そうだ。ないとは言い切れない。もしくは捨てられたとか、な。この教会にいる子供たち全員が親をなくした子供たちだ。なくしたと言っても病気で親と離れ離れになったり、死別したり、避けられない理由もある。だがそれとは違って、いくら年月が過ぎようとも、このご時世は相変わらず望まれない子供も減らない。親というのは身勝手だ。動物であろうと人だろうと関係なく簡単に手放してしまうのだから」
その言葉を発するダンの悔しそうな顔を見てキサは返す言葉が出てこなかった。
背で閉じた部屋の扉に触れる。その扉の先で子供たちが楽しそうに食事をしている声が聞える。そして、その中に紛れて空腹を満たす少女を想う。
「もしそうだとしたら、あまりにもリリイが可哀想じゃないか」
「ダンが言っているのは、もしもの話しだろ」
重たい空気の二人の間にもう一人の声が割って入る。そこには水とタオルが入った桶を持ったカミキが立っていた。
「廊下のど真ん中で二人して暗い顔しているから気になって聞いてしまったよ」
「おお、兄ちゃん。ちゃんと仕事はできたか。ここに居るって事は、こいつにもちゃんと会えたって事だな」
「ダンのお陰だよ。ありがとう」
キサの目の前で男二人が片手を打ち合わせて挨拶を交わす。
カミキが持っている桶の水は泥水の様に濁っている。キサはカミキが少年を背負ったままシスターに連れられたっきり姿を見ていなかったのを思い出す。
「あぁ、これか。まだ目を覚ましそうにないから、これであの少年の体を拭いてやったんだ」
キサが桶を見ていた事に気付いたカミキが自分で行っていた事を告げると、キサは驚いて声をあげた。
「そんなことまで貴方にやらせたのか」
「いいだろう別に。俺がやりたいんだ。お前には関係ない」
不服そうに言いながら顔をキサから背けるカミキに、キサは頭を抱える。
「もしもの話しは、それ以外に何か考えられんのかい」
ダンの問いにカミキは頷く。
「嵐が止んで四日。船で帰港したはずのリリイの親の所在は、娘であるリリイも長であるダンも知らないんだ。この陸の上では誰も見ていないのではないか。なら何故、姿の見えない両親がこの港へ帰ってきているとされるのか、それは帰港した時の報告があったからだ。では、その船が到着した事を誰が管制所に報告してきたのか。その人物が判ればリリイの親の事もなにかわかるんじゃないか」
「なるほどね。もしも、本人たちが報告をしていたのだったら、間違えなくこの陸地に降りている。もしも、彼らではない人物が報告をしたのだとしたら、その時に彼らはどこで何をしていたのか、その人物に聞けば知っていると言う事になるな。最悪の場合船から転落したような事故があったとしても、報告を怠っている場合もあるかもしれない。判った。明日対応した奴に聞いてみるよ。リリイもシスターの元で安心したようだし、もう一人の方もキサ、お前に任せておけば大丈夫そうだ。今日はひとまず帰るわ」
そう言いながらダンはシスターに宜しくと一言沿えると、夜道を自宅へと帰って行った。
その後中断していた食事を終えて自室に戻ったキサは、髪を梳かしながらダンに言っていたカミキの言葉を思い返していた。
管制所に報告をするのは船の所有者であるリリイの両親でなくてはいけないという決まりはない。確かに、対応した人物がリリイの両親の顔を見ていれば彼らが既にこの港を通っている事が判明する。そうしたら今度は港街やこの街周辺を探せばいい。門兵なら出入りを知っているかもしれない。
いや、陸に降りているのに意図的に帰らないのだとしたら、彼らを探すべきなのだろうか。子供を捨て、家を捨て、新しい人生を走り出したのだとしたら、全く関係ないキサ達はするべきことがあるのだろうか。
『関係ない』
その短い言葉が突き刺さって胸が痛い。
キサが無意識に溜息をついたのと、扉の鍵が空いたのは同時だった。
「誰だ」
キサはそう言うと、扉に体を向けて身構えた。
「なんだもうすでに護衛がいるじゃないか、」
開いた扉の間に居たのはカミキだった。
風呂に入ってきたばかりなのか体から湯気が立ち、まだ雫が垂れる黒髪に白いタオルを被ったままの姿で手元の鍵を不思議そうに見ていた。
「あのばあちゃん、部屋のカギを渡し間違えたのか。勝手に開けて悪かったな」
顔を上げた彼を見て、キサは絶句した。
先程までの好奇心旺盛の黒い両目から、右目だけが穏やかな碧い瞳に色を変えていた。
「あぁ、ずっとレンズを入れていると痛くなるから、寝る前には外しているんだ」
「痛くなるとか、そういうんじゃなくて、ここは城ではないのですよ。国民が目の前でその瞳を見たらどんなに困惑するかご存じでしょう」
「だから一人になれる時間を見計らって、誰にも見られずにここまできたんだよ。なのに渡された鍵で開けてみれば、なんでお前がいるんだよ」
「ここは私の部屋です。昔使っていた」
そうキサが返すと、カミキは「へー」と感心しながらその二つの色が違う目で部屋の中を見渡している。
「見ないでください」
手元にあった枕を投げるとキョロキョロしていてキサから視線を外していたカミキの顔面に当たる。
「お前、何投げてんだよ」
声は後ろからだった。
「あんた達、本当に仲良しだね。みんな寝静まっているんだ、もう少し静かにしなさい」
扉の前に立つカミキの後ろにシスターが立っていた。
二人は言い合いしていて、彼女に声を掛けられなければその存在に全然気付かなかったのだ。
大急で枕で顔を隠したカミキの腕を掴み、キサはその彼の体を部屋の中に引っ張り入れる。すると扉の横で立っているシスターが布団を抱えているのに気付いた。彼女と目が合う。
「そんなに手荒く部屋に連れこまなくてもいいだろう」
シスターの発した言葉の意味を考えたキサは、少し遅れて顔を赤く染めた。
「勘違いをしているようですが、私とこの方は貴方の考えている様な関係ではない。貴方はこの方に部屋の鍵を渡し間違えたようだ。正しい鍵を渡して、」
「いいや、間違えてないよ。新しく子供が入ったからもう空いている部屋が無くなってしまってね、あんたたちが親しそうな様子だったから部屋が同じでも問題ないだろうと。ほら、これは布団ね。悪いんだけど、どちらか一人は床に寝てくれる」
「ちょっと待って、」
キサの制止する声に耳を貸さず、シスターは布団をキサに押しつけて「おやすみ」と言いながら扉を閉めた。
「色々問題だろう」
閉められた扉に向かってキサは呟く。
後ろでくぐもった笑いが聞えて振り返る。
キサに引っ張られたことで、ベッドに上で仰向けに半身を横たえたまま、顔面を埋めた枕の下でカミキはこの状況を笑っていた。
「そんなに笑わなくても良いだろう」
そう言いながら彼の顔の上にあった枕を退かした。
閉ざされた暗闇から一転、天井に取り付けられた照明に照らされてカミキは眩しそうに右手で影を作れば、照明の下に立つキサと視線が重なった。キサを見上げるラピスラズリの碧い瞳が部屋の照明に照らされて、それは宝石のように輝いて見えた。
キサの心臓が跳ね上がった。
その理由からすぐに目を逸らした。
「布団をひかなきゃ」
自分に言い聞かせるように、シスターから受け取った布団を下に敷く。
その後、今度はどちらがベッドで寝るのか討論になり、またシスターが煩いと叱りに来た。
仕方なくカミキの希望通り、カミキが布団で寝てキサがベッドで寝ると決まって、毛布に入ってからはすぐに夢の中へと旅立っていった。




