2-1. 亜麻色の髪は故郷へ帰る
こちらは2章です。初見の方は1章『ラピスラズリの碧い空』を読んでからを推奨します。
宝石ラピスラズリのような透き通った碧い空は黒緑色に染められて数日間。海水で水気を多く含んだ分厚い雲がブッチランドという小さな島国を覆っていた。
木々は突風に玩ばれその体を揺らし、島の断崖に打ち付ける波は荒々しく、時より港では停泊していた船が黒い海へと引きずられていく。人々はただその自然の猛威に立ち向かう事はせず、ただ大人しくその日々が過ぎ去るのを待っている。
それが何十年と繰り返される、自然と生きる島国の人々の雨季であった。
その中で風に煽られ、荒波に揉まれ、ある一隻の船がそのような状態の海域を漂っていた。
その船を後ろから包み込むように、黒い雲から刃の様に強く突き刺すような雨が勢い良く襲いかかった。船員は命からがら甲板に出てマストが強風で倒れないように補強し、転覆を避けるため不要な荷を外に投げ捨てていた。
誰かが叫んだのと同時だった。
一隻の船の上に稲妻が走った。
その姿は嵐によって飲み込まれて行った。
ただ、流れる数個の木樽を海に残して。
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雨季を静かに過ごして数日、青々とした山脈と、見渡す限り広く澄んだ海に再び囲まれたブチランド国。人口七万人という小規模でありながらもその国は一つの独立国家である。
数ヶ月前にこの国を統べていた前国王が亡くなり、初めて王家継承の大きな騒動が起こった。
“未熟のラピスラズリは波乱と憎しみを生み、
二つのラピスラズリは栄光と平和をもたらす”
古くから国に伝えられている言葉通り、この国には新しい国王が誕生した。
王家の証である宝石ラピスラズリのような碧い瞳を片方しか持たず生まれ、不吉の存在から亡きものとされていた第一王子と、
両目に碧い瞳を持つが妾の子供である第二王子。
お互いに未熟なラピスラズリが二人でブッチランドを支えている。
小さな島国で生じた被害状況がまとめられた報告書を両目の碧い瞳で文字を追うと、第二王子であるチヒロは目の前に立つ書類を作成した補佐官のコーユに安堵の笑顔を浮かべた。
「今年の嵐もさほど大きな被害がでる事もなく、なんとかやり過ごす事ができたようだね」
「街路樹の倒木の処理や飛ばされた屋根などの補強は、その地区の衛兵と領主が集めた志願者と共に行っています。壊れた堤防は修繕し、ほつれがないか再度見周りも必要です。人出が足りないのなら兵士を派遣しましょう。城に貯蔵してある食料も被害が多かった場所に届けるようにしましょう」
「雨で荒らされてしまった農作物も、まだ生きていればよいのだけれど」
「大丈夫ですよ、チヒロ様。我々ブッチランドの国民が育てた農作物ですから、このくらいの嵐には負けませんよ」
不安そうな顔で呟いたチヒロにコーユは優しく微笑んだ。
チヒロは数ヶ月前に起こった王家継承の騒動以来、コーユが少し変わったと思っている。
鬼のような強さの彼から扱かれた、チヒロの苦手な剣技の時間がなくなった。
前国王が居た頃の王子としての勉強する身分ではなく、国政に関わる執務の時間が多くなったからかも知れないが、閉じ込められたチヒロを助け出す為に扉周辺を破壊した時の後遺症で剣を握れなくなってしまったという話しを使用人から聞いた。
コーユの事だからその事を気にしてチヒロが胸を痛めているのを分かっているからこそ、その身に起きた不調すらも何も言わず、前と変わることなく優しく接していてくれている。だがそれをチヒロも理解しているあまりに二人の距離が空いてしまったような気がして、立場は違うが幼いころから一番近くに居て信頼のおける兄の様な存在の彼だけに、それがチヒロは一番辛かった。
「チヒロ様、どうしましたか」
溜息をつくチヒロに向かって心配そうに声をかける。
「ご気分が悪いのでしょうか。雨季の時から気温が急に変わりましたから、お風邪でも召されたのでしょうか。なにか温かい飲み物でも持って来させましょう」
コーユが相変わらずチヒロに対して心配性なのは変わらなかった。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、コーユ」
心からの感謝の気持ちを伝えるとコーユは頬を染めて嬉しそうにほほ笑んた。
そのコーユが緩んでいた顔を急にしかめて、窓の外を不機嫌そうに睨んだ。
「全く、チヒロ様との大切な時間を邪魔されたくなかったのですが」
チヒロの執務室には窓が一つある。両開きの扉が内側に開く設計で、チヒロの部屋のような外に出られるバルコニーは作られていない。なので出入りをする用途で作られてはいないのだが、
「チヒロー。そこに護衛がいるかー」
地上から数十メートル離れている窓が外から開けられ、黒髪の青年がそれが当たり前というかのように堂々と窓枠から中に入ってきた。
いつまでも抜けない彼の自由奔放さにチヒロは頭を抱えた。
「カミキ、用事があるなら窓からじゃなくて扉から入ってくるようにって毎回言っているよね」
「だっていちいち階段を使って上がって扉を開けるよりも、壁を伝って上がってきた方が早いじゃん。オレの部屋はこの真下だし」
第一王子であるカミキの左右違った瞳は、右目の碧い瞳を好奇心で揺らし、左目の黒い瞳はいかにも自分が正しいと主張している。
チヒロとカミキは異母兄弟である。
カミキの方が年上で国王と王妃の間で生まれた正式のブッチランドの王家の血が流れている。しかしこの国で重要視されている王家の証である碧い瞳を片方にしか持っていない未熟とされた不吉の存在であり、事故で第一王子は王妃と共に亡くなった事にされていた。
それが数ヶ月前の騒動で彼が一般国民として彼が生きていた事が判り、今は同じく未熟の存在である第二王子のチヒロと共にブッチランドの国王として君臨している。
しかし、彼が生きていたのは一般国民の中でも暗殺集団であり、法に縛られる事なく日常的に命のやり取りをするような場所だった。品位や美意識とは無縁の生活を送っていた。と言う事もあり、今現在は王族としての振る舞いを猛勉強中らしい。
「あれ、なんだ。ここにも護衛がないのか。せっかく外が晴れたから手合わせしようと思ったのに」
部屋の中を見回して目的の人物がいないのがわかると、残念そうに彼は言った。
彼が護衛と呼ぶのは、チヒロの護衛であるキサの事だ。
カミキが暗殺集団に居た頃チヒロの命を狙いに城へ侵入した事があり、その時にチヒロを守るキサと互角に戦った。その後も殺される寸前のカミキを救ったりした事から彼はキサが気に入ったようで、今では暇ができるとチヒロの部屋を覗きに来ては、キサを呼び出し手合わせを行っている。
あまり感情を表に出さないキサだが、最初はその子供の様に強引な彼の誘いを迷惑そうな顔をしていた彼女も、今ではその時間を過ごすのが楽しそうに見えるから、彼女の中でもカミキの存在は大きなものになっているのだとチヒロは思っている。
「キサはチヒロ様にお休みをいただいて、里帰りをさせていますよ。一昨日の大嵐で、昔に彼女がお世話になっていた教会が大きな被害を受けてしまいまして、その復興の手伝いに行かせています」
コーユはそう言いながら窓縁に居たカミキをそこから降りるように指示し、彼が入ってきた窓を閉めて鍵をかけていた。
「その里帰りの場所ってどこだ」
カミキはチヒロが座る机の近くに来て聞いてきた。
「このブッチランドの唯一の港がある、ブロンズ地方だよ。ここからだと馬を走らせて一日くらいかかるかな」
「ふーん、そうか。ありがとう」
カミキから発せられた感謝の言葉に疑問を抱くも、次の瞬間、窓を叩かれる音で彼から窓へと視線を移す。
先程コーユが閉めていた窓の外で女性が窓を叩いていた。窓が閉まっているから声は聞こえないが、その様子を見て部屋の中でお腹を抱えて笑っているコーユに何か文句を言っているのが判る。
カミキが窓からやってくるのと同様彼女も何故か彼と同じルートを辿って追いかけてくるので、その彼女にちょっかいをかけるコーユも、チヒロにとっては数ヶ月前からこの長閑な光景が全て日常茶飯事になっていた。
「ほら、コーユ。ミイさんをいじめていないでちゃんと入れてあげて」
チヒロの言葉でしぶしぶコーユは窓の鍵を開けると、外の女性に両手を差し出した。その手に抱えられるようにカミキと同じ黒い髪のミイが執務室に入ってくる。
ミイはカミキの姉である。正しくは、第一王子が事故にあったあの日に大怪我したカミキを救い、家族として育てた暗殺集団の団長の一人娘である。その父が亡くなった後を団長として受け継ぎ、カミキが王となった今は暗殺集団は解散し、団員のほとんどは城の兵士となり、ミイは弟の護衛役として彼の傍に居る。
「貴方が変な事で遊んでいるから、あの子を逃がしちゃったじゃない」
ミイがコーユに悪態をついた。
彼女の言葉通り執務室には先程まで居たカミキの姿はなかった。
「大丈夫ですよ。彼の向かう先は判っていますから。閉め切った城の中で足りない頭を使うのではなく、人手の足りないところであり余った体力で肉体労働でもしてくれば良いのですよ」
「確かにこの雨季の間は執務室で慣れない王族仕草とか言葉遣いとか、誰かさんに散々叩きこまれていたみたいだからねぇ。実に窮屈そうで可哀想だったわ」
「さきほど、このこの爽やかな碧い空のように教えた事を綺麗さっぱり忘れて、そこの窓から入ってきましたが」
「そういう事はいざという時にできればいいのよ」
「貴方がそう甘やかしているから身につかないのですよ」
「男の子は元気が一番なのよ。少し頭が軽いほうが、石頭で色々と縛られた貴方みたいな人よりも女には魅力的に映るものよ」
「それは男を手の平で自分の思うように転がす、女豹の様な貴方の好みでしょう」
「あら、まぁ。私の事をそう見ているのね。ひどい人」
「ねぇ、二人とも。お互い楽しそうに毒の吐き合いをされているのも良いですが、私が不在にしているカミキの分も仕事をしなきゃいけないって事は判っているよね」
目の前の二人に向けてチヒロは力なく言った。




