16. 碧い瞳が守るもの
大分落ち着いたチヒロの金色の髪を大きな手が撫でた。
「チヒロ様はあの質問の時に気が付きましたか」
チヒロが首を振ると、コーユの瞳が愉しそうに輝いた。
「私が侯爵に聞いたのはチヒロ様個人の碧き瞳についての意見です。しかし、何故か侯爵は『君たち』と碧き瞳を持つ者を複数形で表した」
「それは亡くなった国王の事を示しているのでは」
チヒロはそう言うと立ち止まった。目の前にはチヒロの部屋の扉が佇んでいる。
その扉をコーユはゆっくりと開くと、不思議そうな顔をしているチヒロに片目を瞑ってウインクをした。
「私には国王の事を表している言葉には感じませんでしたね。その瞳に対する表現も生々しい。まるで最近どこかで、この私の様にじっくりとこの碧き瞳を見てきたかの様な表現だったと思いましたが」
そう言いながら部屋にチヒロを入れると、自分はそのまま通路に残り一言「おやすみなさい」と言葉を残して扉を閉めた。
侯爵が社交界から姿を見せなくなって以降、国王と顔を合わせた話は聞いていない。必要な用件のやり取りは、代理を立てて文書で通じていたはずだ。それでも『持ち主が抱く気持ちの色によって深みが変わる神秘的なもの』と表現するほど知っている訳は何だ。
開け放たれた窓の外からひんやりとした風が、頭を悩めるチヒロの頬を擦り、それは部屋の中を舞い踊った。明かりをつけずに風に誘われるままチヒロは窓の傍に寄った。
「意外と明るいのだな」
城下街は所々明かりが灯り、人々がまだ起きて生活している雰囲気が感じられる。
街で暮らす人々は今一体何をしているのだろう。
チヒロは時々窓の淵に寄り掛かりながら、人々の生活を想像している。気の合う仲間と集まって、笑いながら話をして、素敵な異性と出歩いて、家族みんなで眠りにつく。そんな国民の当たり前な生活が、城の中でしか生活できないチヒロには羨ましい。
そして、この国の先には暗い海が広がっている。
どこまでも広く、未知なる世界が隠されている。海の先は隣国でさえ月明かりだけでは見えない。この国の行き先も暗い海に沈んでしまっているようだった。
孤立したこの国は今、新しい国王を迎え、全く別物の国へと変貌を遂げようとしている。反逆者を一切許さない厳しい制度を持ち入れ、異国の文化を吸収する。
異国の良いところを取り入れるのは良い。でも、そればかりになってしまいブッチランドとしての国の個性が潰されてしまう恐れをチヒロは感じていた。
反逆者は罰せなくてはならないが、果たして未遂で終わった者も命を絶たなければならないのか。
そして、今、チヒロの初めてできた友達がその危機に晒されている。
チヒロは身震いをした。
「少し冷えたかな」
鼻を軽く啜ると、開いていた扉を閉めてカーテンを引いた。
「どこまで黒い海が続いているのかな、」
背後で誰かの小さな呟きが聞こえてチヒロは振り向く。
「世界中が黒い海に飲み込まれてしまいそうだ」
弱々しく響く声が悲しく嘆いた。
聞き覚えのある声なのに、その人のこんなに悲しい声は知らない。
「カミキ」
チヒロはその男の名前を呼んだ。
彼は独り掛け椅子に深く、足を投げ出して座っていた。褐色の肌からは赤い血が滲んでいる。
「カミキ、なんで君がここにいるのだ。釈放された、訳ではないよね」
近くにあったハンカチを掴むと、彼の額から出ている血をそれで抑えた。
最後に湖畔で会った時に明るい笑顔を見せてくれた彼が全く別人だと思えるくらい、影のある憔悴した顔をしていた。以前は見えなかった右目の碧き瞳が、月明かりに照らされて輝いている。
これではっきりとした。
城に侵入した反逆者はカミキだ。間違いない。カミキにチヒロは命を狙われたのだ。心が締め付けられるように痛んだ。疑ってはいたものの、そんな事あって欲しくないと願っていた事が現実となってしまった。それでも自分の命を狙った彼に不思議と憎しみはない。反対に彼のその姿をもう一度見る事ができるのが嬉しかった。
「チヒロ、お前と逢えて短い間だったけれども愉しかったよ」
3つの碧き瞳の視線が交わる。真っ直ぐに見つめた瞳に、以前の彼に見えた活き活きとした輝きは見当たらなかった。
カミキはチヒロの手を借りながらゆっくりと立ち上がった。
「お前に頼みがある、」
言い難そうに言葉を切る。
「頼みって何」
そんなカミキをチヒロは見つめる。
「お前の命が欲しい」
彼はそう短く言った。
チヒロは静かに瞬きをした。
予想をしていたよりも冷静だった事に驚く。カミキがチヒロの部屋にいた時点で察しはできていた。何故彼がここにいるのか。誰が彼がここに来る様しむけたのか。全てが仕組まれた結末に導かれるようにゆっくりと彼等は間合いをつめた。
カミキの右手には短いナイフが握られている。
窓から差し込む月光が反射して、部屋の中はカミキの顔のように青白く輝いていた。
「カミキ」
チヒロは彼の名を呼んだ。
彼の苦しそうな表情は暗闇の中でも痛いほど伝わった。
「ここでお前を殺せば、姉さんたちには手を出さないって約束してくれたから」
右手のナイフを体の手前で両手に持ち変える。
「俺、姉さんたちくらい守りたいよ」
叫ぶように言い捨てる声が震えた。
実際にチヒロを亡き者にしたとしても、約束は守られる補償はない。次の日にカミキも命を絶たれてしまえば、その後は誰も判らない。約束とはそんな曖昧なもの。
それでも、誰かを守りたいと願うのはおかしいのだろうか。
チヒロは大きく息を吸込んだ。
目を閉じて彼の言葉を胸に刻んだ。
ゆっくりと、何回も心の中でそれを復唱した。『誰かを守りたい』という気持ち、それはチヒロにも判る気がした。
ゆっくりと瞼を開いた。
二つの碧き瞳がカミキを優しく見つめた。
「最期に言わせて欲しい。私も貴方といれた時間が幸福だった。王子ではない普通の人間として貴方と笑って過ごして、短い間だったが愉しかったよ」
チヒロは彼に向って微笑んだ。
カミキは迷いを吐き捨てる様に叫ぶと、そのまま体全体でチヒロに向かっていった。
二人は重なり合うように純白のベッドへ倒れこんだ。
カミキの握るナイフが深く突き刺さった。
どこかで夜の鳥が鳴いていた。
透明な雫を頬に零しながら泣いていた。彼の瞳から落ちるその一筋の涙をチヒロは優しく拭った。
カミキはどうしようもないって顔で微笑んだ。
「やっぱり俺には無理だよ」
その微笑が、暖かくて苦しくて切なかった。
カミキの握ったナイフはチヒロの脇腹の横で、純白のシーツに深く差し込まれていた。
廊下を複数の足音が近づいてくるのが、静かな部屋に響く。
突き刺す時にカミキが発した叫び声が聞えたのか、2人が倒れ込んだ時の物音を不信に思ったのか、それにしては異常に集まりが早い。
「貴方に私の暗殺の指令を出したのは誰なの」
チヒロは離れようとするカミキの腕を掴み、彼に問う。
「侯爵だろ。それしか考えられない。貴方がここにいるのも、ミィさん達の事で脅迫できるのも彼しかいない」
見上げた顔は何も答えず、ただ真っ直ぐにチヒロを見つめていた。
チヒロは優しくその頬に触れた。
チヒロを見つめる碧き瞳は、群青の様に深い色をしていた。
「間違いない。貴方が私の捜し求めていた兄上なんだね」
込み上げる感情が次の言葉を消し去ってしまう。
そして彼の温もりが皮膚を伝って流れ込んできた。明日には別物の様に冷めて動かなくなってしまう儚い存在。変えられないカミキの運命に何もできない自分へ腹立たしさを感じる。
「私は貴方を守りたい」
チヒロは心の底から願うように強く言った。彼は悲しい顔で微笑み、「ありがとう」とだけチヒロに呟いた。
瞬間、扉が大きく開いた。
数人の武装した兵士が雪崩込み、チヒロに覆いかぶさっていたカミキを力任せにはがした。
「お怪我はありませんか、チヒロ様」
声を聞くだけで頭に血が上ってくる。その声の主は兵士の後ろにいた。
「偶然近くを通りかかったものでね。お陰ですぐに駆けつけることができました」
甲高い笑い声が部屋中に響く。侯爵の指示で2人の兵士がカミキの両腕を抱えて彼を外へと連れ出した。
「囚人がこんなところで何をしていたのやら」
「私が気付かないとでもお思いですか」
チヒロは体勢を戻しながら、侯爵に静かに言った。チヒロを見つめる瞳が鋭く輝いた。
「奴が何か話したのかな」
侯爵の問いにチヒロは首を左右に振った。
カミキは一切言わなかった。
依頼主の事も、脅された内容も、全て。いつも。
でも彼の2色の瞳は語っていた。
チヒロの解いた推測は確証を得ると言う事を。
チヒロはゆっくりと人差し指を侯爵に、真っ直ぐに突きつけた。
「貴方が私の暗殺を企てた張本人ですね」
甲高い笑い声が耳を刺す。
「何を言うかと思ったら、急に世迷言を」
「医師イチタケの派遣、そしてその行動の指示。王家の瞳を狙っている者、そしてカミキの瞳の事、すべて貴方の意向だとするのなら辻褄が合うのです」
チヒロの言葉を聞きながら、侯爵は己の2段に割れた顎を指で遊んでいた。
その姿が図星を当てられながらも余裕を見せられているのか、自分が見当違いの事を言っているのか、どちらを表しているのか判別が付かずチヒロの額には冷や汗が流れる。
「人差し指が揺れていますよ。不安と焦りの象徴かな」
侯爵はそう笑った。
「チヒロ様。今気付かれても、もう遅いのです。私は明日、貴方の父上に代わりこの国を統べる国王となります。そうしたら、権力・財力・名声全て思いのままだ」
まるで子供に言い聞かすようにゆっくりとチヒロに言った。
「貴方はここで戴冠の儀式が済むまで静かにしていればいいのです」
侯爵の細くなった目に、悪寒が走る。
チヒロはまだこの事実を誰にも話していない。
つまり、今ここでチヒロの口を塞いでしまえば、侯爵の考えている事を周囲に隠すことができる。
「15年前の様に、今回は一国の王子をそう簡単には抹消できませんよ」
チヒロは精一杯背筋を伸ばし、平常を保ちながら言った。
まだ侯爵はチヒロを亡き者にはできないはずだとチヒロは考えていた。国王になる前に権力に響く騒動は起こすわけがない。
チヒロの啖呵に侯爵は深く頷いた。
「確かに今消えてしまわれては今後に響く。しかし、明日真実を言いふらされても困るのだよね」
侯爵はそう言うと、後ろに控えていた執事に顎で命を出した。
彼はチヒロに向かってゆっくりと近づいてきた。
「決して貴方の企みは果たされることはないだろう」
チヒロはそう言うと体は力なく崩れ、甘い香りの誘われるままその場で意識を手放した。
執事の手には小さな缶が握られていた。
「貴方は知っているだろうか。異国には睡眠薬を気体化したものまで売られているのだよ」
侯爵の甲高い声だけが、静かな夜に響いた。




