13. 碧の真実を探して
まずは、手始めに仄暗い部屋の閉ざされていたカーテンを開けた。
部屋全体を昼間の太陽が覗き込むと、何年も日に照らされていなかった書庫が段々とその姿を現した。キサの身長の倍はあるだろう大きな棚が列を成して並び、そして全てに隙間なく書物が埋められている。城にある資料室と比べると少し小さめだが、個人所有の本の量として侯爵の屋敷にあるこの書庫はかなりの品揃えだ。膨大な量の本を前に溜息が毀れた。一体何冊あるのだろう。
この中で消された過去に関する記述を探すのは、剣術の鍛錬で師であるコーユを負かすくらい困難なものだ。ただ、その困難を越えた後に訪れる達成感は今まで経験したもの最高のものになるだろう。
キサは袖のカフスを外して、腕を捲り上げた。
ほっそりした白い腕を頭の上に伸ばして、息を深く吸いこんだ。
埃と古本の混ざった独特の空気が胸にいっぱいに広がる。
自分を駆り立てる様に気合を入れると、消された過去を探す為に手近な書物を読み始めた。
***
「チヒロ様、医師から有力な情報を聞きだしました」
弾む声でチヒロの部屋に飛び込んで来たのは、亡き国王の瞳を持ち出そうとした医師のイチタケから事情を聞いていたコーユだった。
「何か詳しい話でも手に入れたのか」
チヒロは向き合いに座るミイに目配せをしながら、コーユに問う。チヒロその言葉に頷くと、持っていた書類を渡してきた。
「イチタケはあるコレクターの一人から、金になる話があると誘われて犯行に及んだと。高く買い取るからと促されたそうです。勧誘者の名前は知らないと言い張っています」
「隠している、と言う事は」
反対側でコーユの報告を一緒に聞いていたミイの鋭い問いに、予想いていたかの様にコーユは首を横に振った。
「イチタケ医師のあの言動や精神状態を見ていると、嘘をついているとは思えません」
「結局まだ良く分からないままか、」
チヒロが諦めたその時、
「なので、仕方がないので私自身でなんとなく調べてみました」
驚いて見上げるチヒロとミイに彼は優しく微笑んだ。
「単なる辻褄あわせですよ。私に調べられないものはありませんから」
周囲に控えていた使用人がゴクリと唾を飲み込む。
チヒロも昔から変わらないはずのコーユの笑顔の奥に何か黒い存在を感じて背筋が凍った。コーユはどうやらかなりこの状況に苛立っているようだ。
コーユはチヒロの座る背凭れに片手を乗せ、開いている手の指先でチヒロが持つ書類をなぞる様に指し示した。
「イチタケは城から指定医師として17年前に認定されてから2年間は国外の仕事を引き受ける事はありませんでした。王族以外の患者も国内の年配者がほとんどで、当時に闇コレクターとの接触を図った可能性は皆無です」
「確かその時は、週に2回は城に往診にきて、診断やら薬品の調合やら行っていたそうだな」
チヒロの呟きに、コーユはゆっくりと頷く。
「ところが、その2年後、ある資産家に囲われた後から彼の生活は一転しました」
コーユがある資産家と名前を伏せたのは、部屋にいる使用人の目を気にしての事だ。
一医師を個人用として囲ったある資産家とは、現在侯爵大臣の役職に付き、王の亡き後はその場を引き継ごうとしているイナガだった。
イナガ侯爵専属の医師になってからのイチタケは、以前経営していた医療場をたたみ、一般市民との接触を断ち、他国の資産家を主に相手取った高値の病院を建設した。その病院は臓器売買や、闇のオークションの会場になっているとの黒い噂も多く浮き立った。
その噂が突如跡形もなく消えたのは、2年前に国王の体調が悪くなり、大臣のイナガの任命でイチタケが医師として再び城勤めに舞い戻った頃からだった。
最初はただの風邪のように見えた国王の姿が、安静をとる度にやつれていった。風邪が合併症を起こしてしまったとの診断で、全ての診察資料はイチタケを通してイナガが管理をしていた。次第に国王は自力では動けなくなった。病状の急変に他の貴族達は声を揃えて抗議をしたが、「これは薬の副作用です」という言葉に、素人の彼等は次の言葉が出てこなかった。
担当医を変えようとするものも、国家の政治も段々とイナガが精力的に動き出し、国への資金の大半は彼の懐から賄われ、益々誰も口を出せなくなった。
そして今、国を支えた有力な人物として王子の代わりにそのイナガ侯爵は、空いた国王の座に座ろうとしている。
「国王の暗殺に例の資産家が関わっているのではないかと、そうコーユ様は考えるのね」
ミイは椅子の背凭れに深く寄り掛かった。
「そこまで言うのなら何か証拠として、イチタケの裏にその資産家がいたと証明できるものがあるのかしら」
小首を傾げて形の良い唇が優しく発すると、黒髪が頬を伝い、目を細めて可愛らしい笑顔を浮かべた。
しかし、目は笑うことなく身にまとうオーラも刺々しい。そんな彼女を正面から向かえるコーユも柔らかく微笑んだ。
「相手が年配の医師で助かりました。やり取りしていた内容忘れないように書きこんでいたノートや送られてきた手紙などがそのまま残されていました。そしてその中で面白いものまで見つけてしまいましたよ」
コーユはそう言うと、どこからともなく別の用紙を取り出して読み上げた。
「処方する薬品に致死に満たない量の毒物を定期的に混入しなさい」
部屋の隅に控えている使用人が背筋を伸ばした。
「いい手紙ね。これだけでも相手と戦う事ができるわ。もちろんお手紙なのだから差出人の名前も記述されている筈よね」
ミイが勢い良く椅子から立ち上がった。
「早く続きを読んでチヒロ様にお伝えしなさい」
テーブルに乗り出すほど体を前に傾け、ミイはコーユの次の言葉を急かす。
その二人をチヒロは不安と緊張で見比べる事しかできなかった。
「ミイ・ハワード、貴方はどこまでこの事件の真相をご存知なのですか」
コーユは溜息交じりに呟くと、そのやり取りを愉しむようにミイの黒い瞳が爛々と輝いている。
「これではまるで、我々の都合のいいように一つの物語が完結していくようだ」
教育係は頭を抱えながら、首謀者の名前を読み上げた。
***
文字から目を離して上を見上げた。
あれから何時間が経過しただろうか、時の流れを知る統べを持たない部屋は窓から差し込む光だけが唯一、太陽が沈み始める頃だと伝えてくれる。同じ体勢で居たせいか、その場で背筋を伸ばすと節々が悲鳴をあげた。キサがいる机の周りには、何百冊という量の文書が積み重なり、その一番上に読み終えたばかりの本を乗せた。
この書庫にある大半に目を通したが、キサが探している過去の記述が見つからない。
いや、正確には、国家が成立し平和と戦争の時代を重ね、現在の国王が座に着いた17年前の出来事からチヒロ様が生まれた14年前の記述までの、3年間の記録が抜け落ちている事になる。
その空白の3年間の間に一体何が起こったのか埃を掻き分けながら書棚を探したが、関連付けされる内容はついに出てこなかった。
「消された過去の重要な時期が分かった。しかし、その過去の証拠を見つけなくては話が進展しない」
キサは一人呟きながら部屋中を見回した。本棚には読み終えた書物の他にも、この事件とは一切関係なさそうな料理の本や、大きなサイズの辞典も陳列されている。
「そう言えば、この本は随分と分厚いな」
部屋の端にある棚の奥に、20センチくらいの厚さをもつ「辞典」と書かれた本が立てかけてあった。
他にも辞典は並んでいるものの、題名が「美術辞典」や「国語辞典」など辞典の用途に分かれて出版されているが、その本だけは薄く削れてその文字のみ印刷が残っていた。
キサは不思議に思い、それを手に取って開いた。驚くべき事に、中にあるのは文字ではなく、金色に塗られて様々な宝石が散りばめられた長い鍵が納められていた。それは何度か取り出された様子で、埃が舞うほかの本とは違って、大切に保管されていた様だ。身近にこれを必要とする仕掛けがある事は間違いない。キサは鍵を取り出すと、周囲を注意深く見渡した。
すると、辞典類のおいてある棚の裏側に、小さな穴が開いているのを見つけた。
手を伸ばして壁を押してみたが、ビクともしない。しかし、辺りの壁と叩き比べてみると、穴の周囲だけが薄いことが判る。
間違いない。鍵穴だ。
キサは金色の鍵を差し込み、回した。
錠の外れる軽快な音と共にゆっくりと壁の一部が奥に開く。大人一人がゆったりと通り抜けられる様な道が目の前に現れた。少し傾斜になっていて、その先には誰もいないはずなのに電気がついているのか明るく照らされているのが見える。
「信じられない」
まるで冒険物語に出てくる様な隠された巣窟が、実際にこの屋敷で存在する事に驚く。
訪問者を招き入れるかの如く明るく照らされた部屋に入るのは、敵が張った罠に誘われているかのようで迂闊に動くのは危険だ。
そして迷う。
隠されたこの部屋に踏み入れることで、侯爵だけではない、国家自体で消そうとしている秘密が明らかになってしまうのではないか。その暗面を知ってしまったキサは今後どの様に城に尽くし、チヒロと接していけばいいのか。焦りと不安は、隠せない。
それでも、前に進まねばならないのだ。
キサは右手の拳を胸に当て「我が主に忠誠を」と呟くと、金色の鍵を手に取り、光に誘われるままに足を踏み入れた。
そこは予想していたよりも小さな場所だった。
部屋の隅に大きめな机と椅子が配置されている。侯爵の趣味には到底思えない質素なデザインのものだった。裸電球が机を真上から、優しく照らしている。そして机の上には大量の本が束になって積み重なっていた。
キサは一番上のものを手に取り、開いた。書庫にある本の様に埃がのっていない。つまり誰かが最近までこの部屋に出入りをして、この机を使い、これらの本を呼んだ形跡だろう。
『世界希少遺産』『コレクターズ・カタログ』並んでいるのは国家で販売が禁止されている希少品を掲載した、収集家専用の本だった。
14年前のチヒロが生まれた年に国王が、争いの火種になるのを防ぐために製造を禁止し、異国の物でさえ持ち込むことを拒んだと聞いている。内心ではコレクターと呼ばれる収集家たちを国王が非常に嫌っていたからだと噂で聞いた。
そんな禁じられた本が何故ここに。
ページをめくると、あるところで目が釘付けになる。
日々忠誠を誓う、見覚えのある碧き瞳がそこに載っていた。
キサは背筋が凍りついた。
宝石ラピスラズリの異名を持つ王家の証が、大きく描写してある。その下には国が一つ購入できそうな値段がつけられていた。
コレがカミキの言っていたコレクション。
彼の話を疑っていたわけではないが、実際に出版された書籍に載っているところを見ると、その話は段々現実味を増してくる。人間が人間を狙う恐怖。
『狙われたのか』
『返り討ちにしてやったさ』
何も知らないキサが発した疑問にどんな気持ちでカミキが答えたのだろう。
瞳を隠す前に、どのくらいの人々が一般人に不釣合いのあの瞳を欲したのだろう。
時々見せる暗殺者としての鋭い眼力は自分の身を守る為に身に付けた、防護壁。その壁を打ち破らなければ、彼に近づく事はできないのだ。
キサは左手で自分の亜麻色の髪を掻き毟った。
判らない。
何故彼がそんな運命に立たせられなくてはいけないのか。
見つからない。
国家が厳重に隠さなければいけない過去はどこにあるのか。
近くの本を手にとっては、読み、不要だった物は投げ捨てる。それを何回も繰り返した。
机の上にあった山は段々と崩され、部屋中に散乱する。気付くと机の上にあるのは最後の一冊となっていた。ここもダメなのか。キサは諦めるように溜息を吐く。
表紙は古ぼけていて、文字が掠れていた。外国文字でスペルが5つ繋がっていたようだ。判別できる部分を繋げて予想すると、一つの単語が思い浮かんだ。
『日記』
誰の日記なのだろう。何故ここに置いてあるのだろう。これを書いたのはこの部屋の持ち主なのだろうか。
キサは不思議に思い、その本を捲った。
少し右上がりで個性的な文字の書き出しは印象的だった。
『良心と誠実な精神が消えてしまう前に真実を書き連ねておこうと思う』
枠に沿って丁寧に描かれた文字は、人が最後に残す遺書の様に見えた。
その日記が書き始められた日付を確認したキサは、息を呑んだ。
探していた17年前に書かれた文章。
では、書き出しにある「真実」とは何があったのか。その場に座り食い入る様にその日記を捲った。




