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ラピスラズリの碧い空  作者: 助三郎
第一章・ラピスラズリの碧い空
1/64

1. 碧い花が誘う香り

***


未熟のラピスラズリは波乱と憎しみを生み、

二つのラピスラズリは栄光と平和をもたらす


***


 明かりのない大広間の中央に置かれたある物に目を惹かれたので立ち止まった。


 毎日、同じ時間に同じ場所を同じ様に見回りをする日々。この平穏な国では今日も異常は何も見つからず、深夜に鳴り響く時計の鐘の音を聞いたので、そろそろいつものように休息を取ろうと自室に戻る途中だった。


 ソレが視界に入るまではいつもと何も変わらない、同じ一日の終わり。


 飾りのないただ質素な土製のか細い花瓶に、たった一本だけ差し込まれていただけなのに、それは自分の色褪せてしまった瞳には、色とりどりと豪華に飾られたどの花瓶よりも美しく、その碧い色が一際暗い部屋の中で輝いて映った。


珍しい花だったはずだ。この国の一部でしか栽培できない、貴重な花。


 その花弁がこの国を統べる王家の血筋に受け継がれる碧い瞳と同じ色だからと、国を象徴する花として大切にされているものだった。


「誰が置いたのだろう」

誰に対してではないが、心に浮かんだ疑問がつい声に出してしまう。


 昼過ぎにこの場を訪れた時には別の花が飾ってあった。それこそ碧い花よりも派手で、香りも強い、男女問わず幅広い年齢層に知れ渡った、今人気の紅い花だった。確か昔に異国から友好の証に贈られた「薔薇」という種類の花で、今はこの地に根付き、城の庭園ではその華やかな姿を咲き乱れている。

使用人が手入れをする際にその茎にある棘が指に刺さって大変なのだと嘆いていたのを耳にしていた。


 それがいつの間に、まるで対照的な印象を持つ花に置き換わったのだろうか。


 私は周囲に誰も居ないのを確かめると、広間に足を踏み入れる。薔薇とは違った、控え目ながらも気品のある香りが静かな部屋を漂う。

 手元に持っていたランプの少し頼りない光をその細い身に受けながら、その花は真っ直ぐに上を向いて咲いていた。夜の闇の中を静かに、でも自分の存在を必死に伝えようとするその健気な姿は、私の心を掴んでいた。


毎日の同じ日々を主の為だけに過ごす。自分を押し殺した生活。それは主の様に決して派手ではないし、誰にも注目もされない影のような存在。


私は何なのだろう。

このままでいいのか。


胸に抱いていた言葉が今まで閉まっていた扉を押し開けて、私の全身を駆け廻り、心に問いかける。


「まるで主に見られているようだ」

私はそう言うと小さな花弁に触れた。


手の平の半分もない小さな花弁は思っていた以上に簡単に握れた。


 ここでこの花を握りつぶしたら、私はあの瞳から抜け出せるだろうか。

私を貫くような、まっすぐの瞳。


『自分で考えて、お前らしい事をやりなさい』


数時間前に主の口から飛び出したその言葉の意味は何だろうか。

それは私に対する命令なのか。

それが命令だったのなら、こんなに悩む事はなかったのに。


 自分で考えるなんて事。そんな事今まで一度も考えてこなかった。

命令された事を忠実にこなし、主を護る為には命を投げ出す覚悟だった。指示をされないと何も出来ないと言う事は自分でも把握している。


 私に反感を抱く使用人は、私の事を主の「犬」と呼んでいるのも知っている。それを不快に感じる事もないし、私も実際にその通りだと思っている。


 いや、思っていたのだ、主からその言葉を告げられるまでは。

 

自分らしい事。私らしい事。

では、“私らしい”とはどう言う事なのだろう。

「私」というものはいったいどんなのだろう。


 通常の業務を進めながらもずっと考えていたものの、答えは一向に出る気配はない。

悩みながら歩いている時に目に留まった花。主と同じく、真っ直ぐに碧く輝いているその花は、私に何かを言いたげで、それを表現する方法を探しているような気がした。


 小さな花弁からゆっくりと手を離す。

花が告げたい言葉が、いつか私に伝わるようにと願いながら。



***



 しんと静まり返った闇の空、突如大音量で警報が鳴り響いた。


「賊だ、賊が侵入したぞ」

次々に頑丈な鎧をまとった兵士達が廊下を慌しく駆け巡る。


何十年と変わらずに平穏な日々を過ごしていた一国を混乱に陥れた、ある事件の幕開けだった。


 青々とした山脈と、見渡す限り広く澄んだ海に囲まれたブチランド国。人口七十万人という小規模でありながらも独立国家は、歴代初の侵入者騒動で目を覚ました。


「賊はどこにいった。見つかったか」

「いいえ。ここにはいません」


 兵士が情報交換をしているその上で彼らに賊と呼ばれたその人影は、鼻で笑うと壁に捕まっている手に力を込めて軽々と外壁を乗り越えるとフェンスに手をかける。そして地上からおよそ50メートル離れたある部屋のテラスにその身を滑り込ませた。


 黒髪でやせ形のその男はゆっくりと慎重に窓に手をかける。彼の身長の倍はあるだろう両開きの窓を押すと静かにうめきながら内側に開いた。白いレースのカーテンが夜の空を求めて外へと飛び出す。


 この部屋への侵入は任務をこなす上で最初の第一段階でしかない。


 広々としながらも余計な物は置かれていない。そんな殺風景な印象の部屋でありながら、所々に置かれた家具は持ち主の財源を現しているかのように、金箔が散りばめられた重厚な造りの逸品だ。床を覆っている深紅のカーペットも織り目が細かく、踏むと足底を包むかのように足音を吸収してくれる。


 部屋の中央に天蓋が下がる清潔感のある白いレースで四方を囲んだ寝具があった。光沢のある柔らかなシーツに包まれて規則的に上下する身体に、吸い込まれるような輝く金髪が枕に埋もれている。


それが今回の標的。

彼を亡き者にするのが彼に課せられた仕事。暗殺集団に身を置いて生きる為の任務だった。


「悪いな。王子様」

彼は小声でそう呟くと、腰にさした短剣を抜きベッドに突き刺した。


手ごたえがあったかのように思えた。

しかし、

「やはり、そう簡単にはいかないか」

彼が突き出した刃は堅いものにより手から弾かれ、相対する2人から離れた床に突き刺さった。


「生憎、私はこのような騒ぎの中で熟睡できるほど神経が太くできてはいないのでね」


 王子はそう言いながら身体にかけていたシーツを捲ると、隠し持っていた剣の刃先を侵入者の喉元に向けた。今にも相手の首を一突きにしそうな鋭い刃は、月夜の光を浴びて銀色に輝いている。


彼は溜息大きくつき、肩を大きく上下させる。

「やはりな。それでも、すべて計算のうちさ」

 言葉を言い切らないうちにその身体を後方に退きながら、床に突き刺さっていた自分の短剣を掴み瞬時に相手との間合いを取った。


王子も獲物を逃がした剣を再び構える。

貴族の色である高貴な金色の髪に、王家の証である群青な瞳が月明かりで照らされた部屋に爛々と輝く。


「私の命を狙いにきたのだな。それは誰の命令だ」

澄んだ声で気高く問う王子に向かって、賊は答える代わりに唾を吐く。


「答える気もない様だな」

王子は彼に向けていた刃をおろした。

「ならば、」


 突然、賊の剣を握る手に鈍い衝撃が走る。負けずに押し返すが、力いっぱい振り上げた刃先は空を斬った。

「戦闘開始というわけか」

彼はそう言うと、にやりと口を歪ませながら王子に斬りかかった。


剣と剣が重なり、暗い部屋に火花が散る。刃先が重なる音が何度も部屋に響いた。


ただし、実力の差は歴然だった。

型が的確でその動きが素早くても王室育ちの王子では、暗殺を生業にし剣で生き永らえている者の腕には敵わない。時間が経つにつれて、寸前のところで刃先をかわしている王子のその珠のような肌は、段々と赤い傷が浮かび上がってくる。勝敗は時間の問題だと思えた。


 その時、今まで闇のようだった世界をいきなり電気で照らされた。


お互い目が眩み、戦うのを止めて腕で明りから瞳を庇う二人。


ふと賊は気配を感じて後ろに飛び退いた。

瞬間、その場に空気が斬れる気配がした。


「誰だ」

未だぼんやりとしか見えない目を必死に凝らしながら、彼は新たな乱入者を探した。


 王子を宥めるように優しく抱いたその人物は、中性的であどけないその顔と華奢な体に似合わず、感情を押し殺した低い声でゆっくりと答えた。


「私の名は、キサ。我が主、チヒロ様の護衛だ」

亜麻色の長い髪を一つにまとめ、整った顔立ちに冷たく輝く瞳が印象的な青年だった。


賊はすぐに痛感した。

相手は自分より実力が上かもしれない。そう直感は彼に告げた。


彼は首元に下ろしていたバンダナを口元まで伸ばすと、先ほどまで腕で庇っていた両目をゆっくりと開けた。

瞬間、声にならない悲鳴あげた標的をその右目で見ると、侵入してきたテラスに再び舞い戻った。


「またな、王子様」

彼はそう言い残すと臆することなく、数十メートル離れた地面に飛び降りた。


「待ちなさい」そう言い、キサが追おうとするのを王子は止める。

「何故止めるのです。彼は貴方の命を狙った反逆者ですよ」

王子はキサの服の裾を強く握り締めたまま、ただ下を向いて黙っていた。


 キサは賊が逃げていった窓を一別すると、今までの騒動が幻だったかのように静かに広がる夜の闇が広がっていた。張りつめていた緊張を解くかのように溜息をつく。そして、

「チヒロ様、」

叱られた後の幼い子供が縋りついているように立っている己の主に向き直る。湧き上がる感情に戸惑っているようで、群青な瞳が暗く濁って彷徨っている。


「チヒロ様がお考えになっているのは、奴の右目の事ですか」

主を促し部屋の椅子に座らせ、自分はその前で床に方膝をついた。そして戸惑う少年を宥めるかのように金色の髪を優しく撫でた。


 チヒロはキサの問いに静かに頷くと、自分を護る凛々しい護衛を穢れないその瞳で真っ直ぐに見つめた。

「彼の右目が、私と同じ色だった。私と同じ碧い瞳だった」


 この国で碧い瞳はブッチランド王家の証であり、その色は王位を就くに相応しい者の瞳にしか現れない珍しい色だった。


「なんで賊の目に」


 開けっ放しのままの開かれていた窓が今度は風に押されて元の位置に引き戻されて、音を立てて閉まる。チヒロの震える声で発した問いかけに冷たい夜の風はもう何も答えなかった。


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