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京都にての歴史物語

不忠者の朝

作者: 不動 啓人

「兄者、私も共に!」

「ならぬ。そなたまでが出陣しては誰が城を守るか」

「しかし、余りにも無謀!」

 食下がる楠木正儀くすのきまさのりに、長兄である楠木正行くすのきまさゆきは柔和な、けれども寂しげな笑みを浮かべた。

「楠木の名の為だ」

 呟かれた正行の言葉に、正儀は更にむきになって詰め寄る。

「ならばこそ!」

 その正儀の額に、横合いから平手が飛んでパンッ、と軽く高い音を響かせた。

「なっ、なにをするのですか!」

「ぎゃあ、ぎゃあ、うるさいのう。無謀かどうかはやってみなければわからぬではないか」

「しかし、二郎の兄者、相手は戦上手の高兄弟ですぞ。しかも兵数は8万にも達するとか。そんな相手に正面から打って出るというのは……」

「情けないことをいうのう。楠木の男にとって戦は数ではない。なるようになる」

 次兄の正時まさときは、こんな時でもケラケラと笑って見せた。

 それは楠木家の本拠である東条城の一室でのやり取り。時は南朝暦正平3年(1347)、北朝暦貞和4年の正月。四条畷への出陣を控えた兄の正行と正時に、正儀が自分も出陣したいと懇願する情景。

「よいか正儀。これからはお主が楠木の棟梁として帝をお守りせねばならぬ。頼んだぞ」

 正行は言い含めるように、詰め寄った正儀の肩を逆に取り、その両手に力を込めた。

 正儀は――正行の両手から伝わる切なる願い、そして無念を、ひしひしと重みを以て感じた。

 重みは――急速に重量を増し、正儀の両肩を押し潰さんばかりとなった。それはとても正行の物理的な力とは思えず、一抱えもある巨岩を背負い込んでしまったような。

 正儀は知っているのだ。自分が迎える困難を。正行の無念を晴らすことができない、己の無力さを。

 正行の無念。それは第一に生きて後村上ごむらかみ帝を都に還幸できなかったことであったが、それと同時に、3兄弟の父である正成の遺命である、君臣和陸くんしんわりくを以て南北朝の統一を果たせなかったことにある。

 正儀も正成の遺命、正行の願いを胸に万進したのだ。だが、それを実現させる為には余りにも正儀の力は微小に過ぎなかった。

 己の限界を痛感した正儀に去来したのは、生きている後悔。華々しく散った父、そして兄達に対する羨望の想い。

――どうしてあの時、自分も楠木の名の下に死ななかったのか!

 正儀は己の身に圧し掛かる巨大すぎる想いを振り払うように、悲痛の叫びをあげた。

虎夜叉とらやしゃよ」

 正儀の幼名で呼ぶその声は、きっと父の正成まさしげの声なのだろう。雑草の生えた土の上に四つん這いに伏した正儀が顔をあげると、視線の先に床几しょうぎに腰かけた鎧武者の姿があった。ただし、顔は黒い霧に包まれたように見えない。正儀が正成と最後の別れをしたのが七歳の頃。その後、足利尊氏あしかがたかうじにより届けられた正成の首は、塩漬けにされ相貌が崩れていたので、今やはっきりとした容貌を思い出すことができない。それでも、正儀には鎧武者が正成であるとわかる。その左右には、鎧を纏った正行と正時が寄り添うように立ち、正儀に笑みを浮かべていた。

「頼んだぞ」

 正成が言う。

「頼む」

 正行が言う。

「しっかりやれよ」

 正時が言う。

 3人は、小舟に乗っていた。気付けば、目の前は対岸が霞むほどの大河。

 小舟は、ゆっくりと岸を離れ、川の流れをものともせずにまっすぐ対岸を目指し遠ざかって行く。

 正儀は立ち上がり追い掛ける。

「お願いです、私だけを置いて行かないでください!私も共に!共に!」

 川に入って追い掛けようとするが、その手前で長く伸びた雑草が足に絡みつき、それ以上の追跡を許さなかった。正儀は川に入ることもできず、ただただ3人を見送ることしかできなかった――


「共に……」

 目を覚ました正儀の視線の先に3人の姿はなく、あるのは差し込む朝日に照らされた木目美しき天井ばかり。


 時は南朝暦正平24年(1369)。北朝暦応安2年4月、所は六条万里小路にある細川頼之ほそかわよりゆき邸。

 朝餉を終えた正儀は、刻限を迎えると頼之に従い将軍・足利義満あしかがよしみつが住まう三条坊門万里小路の御所へと向かい、義満と対面の上、北朝への帰順を許された。


 己の限界を知った男は、それでも足掻いていた。

 父や兄達の想いを胸に秘めて。

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