第二夜:認識
自宅に連れて帰った彼が目を覚ましたのは、次の日の昼ごろだった。
彼を寝かしつけた寝室から物音が聞こえ、私は仕事の手を止めて寝室に顔を出した。私の侵入に対し、部屋の奥で臨戦体勢をとり、私を注意深く観察する様は本当に野良猫そっくりだった。
私は敵意がないことを得意の笑顔で示し、彼に近づいた。
「…あんた、何者?」
「ひどいな。昨日、私のことを襲ったというのに覚えてないとは」
「襲った? それにしちゃあ、あんたぴんぴんしてんじゃん。俺が襲ったヤツは大抵死んじまうんだけど」
「君が勝手に放棄して眠ったんだろう? まったく、少しは襲う側としての自覚をもったらどうなんだい?」
私は本気で彼に言ったのだが、彼は突然笑い出した。意味が分からず押し黙っていると咳き込むまで笑い続け、さらには警戒を解いてしまった。
「あんた、自覚って…、自覚があったらいいのかよ?」
「殺す側はいつか殺される責を負う。それが分かっていればいいんだよ」
「変な神父。みんながあんたみたいだったらいいのに」
彼の指摘に自分が司教服を着ているのを思い出し、不可解な彼の言動が気になった。
快活そうな表情は消え、視線は床の一点を見つめたまま動かない。過去に何かあったのだろうと容易に想像出来たが、私は何も尋ねる気にならなかった。
「君、今何処に住んでるんだい?」
「住む場所なんて、何処にでも。一昨日は二区の路地裏で寝たよ」
「そうか。なら、うちで私の手伝いをしてくれないかい? 君が望むなら、読み書きも教えてあげよう。幸いこの家はもう一つ部屋が残っていてね。ちょうどいいと思うよ」
「は? なんでそんな?」
「今私と君が会ったことにきっと意味があるからだよ。
それにちょうど助手も欲しかったんだ」
「そっちが本音かよ」
そう問う彼に笑顔で本当のことを隠して、私は彼に返答を促した。
彼はうつ向いてしばらく考える素振りを見せた後、小さく、本当に小さく頷いた。私はそれが嬉しくて、思わず彼の細い身体を抱きしめた。
「なっ! ちょっと、なんだよ」
「私は君の幸せを願っているよ」
私はこの溢れた気持ちを的確に現せる言葉を持ち合わせていない。それが、もどかしく、ただ彼を抱きしめることしかできなかった。
「苦しい…」
腕を叩かれて私ははっと我に返った。
「ごめん。つい嬉しくなってしまってね」
「なんだよ、それ」
「気にしなくていいよ。それより、…君の名前はなんて言うんだい?」
彼を解放して、そう問うてみれば、彼はまた表情を暗くしてうつ向いてしまった。
彼をベッドに座らせると、私は彼と視線の高さを合わせる為に膝をついた。そして彼の顔を見上げながら、再度問いかけた。その問いに対する答えは、私の予想の範囲を越えない悲しいものだった。
「名前なんてない。呼ばれたこともない」
「じゃあ、エコーなんてどうだい?」
「え? …エコー?」
「君の名前、だよ」
どうかな、と聞いてみればエコーは大きく目を開いて何も言わなかった。しかし、一瞬のあと、彼は私に抱きついてきた。ぎゅぅ、という音が聞こえるくらいに強く、エコーは私にしがみついた。
「名前、呼んで」
私は彼に請われるままに何度も名前を呼んだ。今までの彼の人生に足りるように。
しばらくすると、満足したのか催促の声が聞こえなくなった。
そっと身体を離すと、彼は静かに涙を流していた。
「ありがとう。本当に嬉しい。…ねぇ、あなたのことはなんて呼べばいい? 俺も、呼びたい」
「大抵の人は私を役職で呼ぶが、他の人と一緒は嫌だろう? 名前で呼んでもいいんだが、これから私は君に色々なことを教えることになるし、とりあえず、先生、でいいよ。ついでに私の名前はリンデンだ」
「先生。リンデン先生。俺はずっとあなたと一緒にいたい」
彼は少年期特有の大きな目に真摯な光を宿し、私の手を握りしめてそう言った。あの暗い路地裏で出会ってから、やっと彼の本当の表情を見た気がした。
私とて、今まで一人で生きてきたようなものなのだ。連れができるということは大変嬉しい。しかし、彼の食事は到底、他人に理解されないものだろう。ここで私と共に生きていくのだとしたら、私は条件を出さなくてはならない。
「エコー、一つ約束してくれるかい?」
「何? 先生」
「君の食事のことだけど、これからは私の作った食事を食べてくれるかい? できるだけ、今までみたいな食事は控えてほしい」
「……どうして?」
「先刻殺す者は殺される覚悟を持たなければないと言っただろう? ということは、これからも君が殺し続けるなら、いつか君は殺されてしまう。そうすれば、私とは一緒にいれなくなるかもしれない。…それでもいいのかい?」
…我ながらずるい言い訳だと思った。私は、私自身の居場所を確保する為に、この子の気持ちを利用しているだけだ。聖職者たる私が恥ずかしい。
しかし、私は懸命に彼から視線は外さなかった。しばらくの見つめ合いの後、先に視線をそらしたのは彼だった。
「分かった。…先生が言うなら、頑張ってみる。その代わり、おいしいご飯作ってよ?」
「あぁ、もちろんだとも。ありがとう、エコー」
なんて純粋なんだろう。私の言うことを一つも疑わず、彼はその残酷なまでの素直さで頷いた。この性格がいつか彼にとって不利なことになりはしないかと、私は恐ろしくなった。
かくして、私と彼との共同生活が始まったのだ。
やっと物語が動き出しました。
これからもおつき合いしていただけたら光栄です。




