神社の少年
木々が風に揺れ、緑色の葉が擦れ合い音を立てる。何段もの階段を上り、古ぼけた赤い鳥居をくぐると、重厚な、そして崇高な雰囲気の拝殿が静かに佇んでいた。
【神社の少年】
「ファテは神社が似合うよね」
白いニット帽を被った少年は参道の隅で拝殿を見上げながら、隣にいる少女に話し掛けた。風に靡く長い白髪をそのままに、少女は呆れたように俯いた。
「袴だからだろ」
「……うん。巫女さんみたいだなぁって」
「巫女は緋袴だぞ」
「うん、まぁ、そうなんだけど……」
ひそりと少年は苦笑を浮かべ、少女の白い袴を見た。ふいに少女が小さな石を蹴飛ばす。石は乾いた音を立てて弾むと、鳥居のすぐそばまで転がっていった。それを目で追っていた少女は、ふと鳥居の向こうに人の気配を感じ取り、くるりと鳥居と反対方向へ駆け出した。大きな木の後ろに隠れ、そっと少年の方を覗き込む。
「え、ファテ……?」
「――あら、お前さんも参拝かい?」
少年は少女の方へと伸ばしかけた手を止めると、声の方向へと振り返る。そこには、穏やかな微笑みを浮かべる老婆がいた。
「……はい、そんなところです」
少年はふわりと微笑む。老婆はどこか嬉しそうに「そうかい、そうかい」と言い、手水舎で手や口を清めた。そんな老婆を少年は目で追っていると、ふと直感した。 ――この人の先は、かなり短いかもしれない。
自分達の勘がよく当たることを少年は知っていたが、少年は首を横に振って考えを振り払った。
「お前さん、この暑いのにコートまで着ちゃって、熱中症になるよ」
そう言うと老婆はカラカラと笑う。少年は苦笑いを浮かべ、白い髪を隠すようにニット帽を引っ張った。
境内に澄んだ鈴の音と拍手の音が響き渡る。じっと祈る老婆の姿に、少年は胸の奥に、ジンとした切なさを感じた。
「お前さんは肌が白くて、病気か何かかと思ったよ。若者は、外を歩き回らにゃいかんよ」
参拝を終えた老婆は少年の前まで来ると、そう言った。少年は「そうですね」と小さく笑う。それから、ふと思い付いたように言葉を紡いだ。
「お婆さん。お婆さんはきっと、白いお洋服が似合いますよ」
唐突な少年の言葉に、老婆はきょとんと目を見開いた。少年の漆黒の瞳をまじまじと見つめ、それからカラリと快活に笑う。
「そうかねぇ。そんな綺麗な目をして言われちゃ、そうなのかもしれないねぇ」
老婆は一頻り笑った後、少しだけ寂しそうに俯いた。一瞬の翳りに、少年は首を傾げたが、老婆はすぐに笑みを浮かべた。
「それじゃ、お前さんもさっさとお参りして帰りな。親御さんが心配するよ」
そう言って老婆はゆっくりと頭を下げた。そして、ゆったりとした足取りで去っていく。そんな老婆に向けて、少年もゆっくりと頭を下げた。老婆が鳥居をくぐり、階段を下りて行っても、少年は頭を下げ続けた。
「――お前、莫迦か」
少女の声に、少年はやっと顔を上げて苦笑した。
「莫迦って……酷いなぁ」
「何が白い服だ」
少女は少年の前に立つと腕を組み、不機嫌そうに少年を睨んだ。少年は苦笑いを浮かべたまま、鳥居の方を見つめる。
「あの人、先が短そうだったから」
「そんなのは見れば分かる」
「うん、だから……」
少年は俯き、そっと囁く。
「白い服を身に付けてくれたら、僕達の神様の加護があるかもしれない」
生ぬるい風が二人の間を吹き抜け、木々を揺らす。少女は少年から目を逸らし、呆れたように溜め息を吐いた。そして、言葉を放とうと口を開いた瞬間、少年の手がそれを制止した。
「分かってる、言わないで」
神様はそんなことしてくれない。それでも、じっと祈るあの姿に、何かしてあげたかった。それだけだったんだ。
少女はぐっと眉を寄せ、少年を見つめた。それから、ふいに丸い瞳を細めて、柔らかく微笑む。
「ま、神様の気紛れもあるかもしれない」
少年は目を見張った。パッと顔を上げて少女を見る。少女がそんなことを言うとは思わなかったのだ。
「私達も、『かつて』は人間だったらしいしな」
「……そう、だね」
「まぁ、そんな記憶は無いんだが」
少女は伸びをすると天を仰いだ。青い空はどこまでも突き抜けそうなほど遠かった。少年は少しだけ嬉しそうに小さく笑う。
「僕、ファテのこと、好きだなぁ」
少女は驚いたように少年を見ると、見る見る顔を赤く染めた。叫びそうな、泣きそうな表情で口を開閉するが、声は出ない。そんな少女を見て、少年は肩を竦めて笑った。
「……この神社、良い神社だね」
少年は目を閉じ、「空気が澄んでる」と続けると深呼吸をした。それから、遠くを見つめて目を細める。
「でも、やっぱり、僕の探し物は無い……」
哀しげに揺れる言葉。切実な祈り。二人の耳に届くのは、木々の葉の擦れ合う音だけだった。
「――もう、行こうか」
少年の言葉に、少女は小さく頷く。少女の髪飾りの鈴が、リンと澄んだ音を立てた。