道端の少年
淡い桃色の花を咲かせる桜の木の枝は、公園の敷地からはみ出し、道路に花びらを落としている。季節に不釣り合いな白いコートと白いニット帽を身に付けた少年は、その枝の下に立っていた。
【道端の少年】
青年がその少年を初めて見掛けたのは三日前だった。その日からずっと少年はそこにいる。桃色の花をじっと見つめ、ただ静かに佇んでいる。
そんな少年に、青年はゆったりとした足取りで歩み寄った。
「何をそんなに見つめているんだ?」
少年は、緩やかに視線を花から青年へと移した。そして、どこか儚げにふわりと微笑む。
「見逃してしまわないようにと思いまして」
そう言って、少年は再び視線を花へと戻す。それからぽつりと零れ落ちた「僕の探し物を」という呟きは、辛うじて青年の耳に届いた。青年には少年の瞳が、何か祈りに似たものを含んでいるような気がしてならない。少年の漆黒の瞳は、哀しげに揺らいでいた。
青年は掛けていた眼鏡を外すと、ポロシャツの裾でレンズを拭いた。そしてまた眼鏡を掛けると、桜を見上げる。桃色の花びらが、ひらりひらりと風に舞った。
「――この世界は、美しいと思いますか?」
「……え?」
唐突な質問に、青年はぽかんと口を開けた。ふいに、青年と少年の目が合う。少年は微苦笑を浮かべると、困ったように首を横に振った。
「すみません……何でもありません」
そう言って俯く。青年は首を傾げることしか出来なかった。
ざぁっと、二人の間を風が通り抜ける。桜の花びらを攫うように、散らすように。少年はもう一度桜の木を見上げた。
「……人は、世界を自分のフィルター越しに見るでしょう」
だから、ちょっと興味があっただけなんです――この言葉を少年は飲み込んだ。青年は黙り込み、ただ少年を見つめ続ける。短いようにも長いようにも感じる沈黙は、少年によって静かに破られた。
「多分……僕は、怪しく見えるでしょう?」
苦笑交じりに囁かれた言葉に、青年は目を丸くした。そう思う気持ちがあるせいで、否定の言葉は喉に詰まる。漆黒の瞳以外が真っ白なその少年は、どうしても、どこか浮いた存在に見えてしまう。
「危険人物ではないんですけど、やっぱり不審人物なんです」
「……まぁ……それは、見た目が」
「はい、それは分かります」
どことなく、きっぱりとした口調だった。青年は目を細めて、少年を上から下まで観察した。全身が白で覆われていて、その白が太陽の光を反射している。どこか儚げで神々しく、少しだけ眩しい。
「白以外の色を身につけたらどうだ?」
その言葉に、少年はぎゅっと眉を寄せた。躊躇いがちに「機嫌を、悪くしてしまうんで」と呟く。徐に見上げた桜の隙間から覗く空は、ほんの少し白んでいた。青年には、少年の言葉の向かう先が分からない。
再び訪れた沈黙。少年はそっと桜の木に手を差し出すようにして、腕を伸ばした。まるで桜の花びらを掴もうとしているように見える掌。青年は、その白い掌を見つめながら、少年の言葉を反芻していた。
「……そういえば、探し物って?」
ふいに放たれた青年の言葉に、少年は少し戸惑ったような表情を浮かべた。言葉を探すように口を開いては閉じる。
ひらりと掌に舞い降りた桜の花びらを握り、それを胸に当てるようにして少年は目を閉じた。
「それは、僕の大切な……大切な」
その声は、切実に何かを求めるような響きを孕んでいて。それ以上の言葉は出て来なかった。
どこからやって来たのか、白い小鳥が滑るようにして少年の肩に止まった。少年は小さく頷くと、青年へと向き直った。
「すみません、長話をしてしまって」
少年の言葉に、青年は面食らったような顔をした。そしてどこか気まずそうに頬を掻く。
「いや、俺から話し掛けたんだし」
そんな青年に対し少年はふわりと微笑むと、丁寧にお辞儀をして、その場から立ち去ろうとした。しかし、青年の「おい」という声が、少年を引き止める。
「あのさ、お前、名前は?」
少年は困ったように視線を彷徨わせると、苦笑いを浮かべた。
「僕は、名前を知らないんです」
そして、少年はもう一度お辞儀をすると、今度こそその場を立ち去った。
青年は暫くの間、少年が姿が見えなくなったその方向を、ただひたすらに見つめていた。